苻登16 廃橋の戦い
が、その直後、なんと竇衝が離反。
秦王を自称し、
こんなのを見過ごすわけにはいかない。
苻登は、
竇衝は
姚萇はここで嫡子の
ま た 後 ろ か 。
ケツの穴ガッタガタである。
苻登、慌てて胡空堡に戻る。
こうしてピンチを脱した竇衝は、
ついに姚萇と同盟を組むのだった。
ここで、ついに姚萇が死亡。64 歳。
それを聞いた苻登は大喜びで語る。
「後継ぎは
このへし折った杖で
むち打ちにしてくれる!」
苻登さんいけない。
それはフラグ台詞と言うやつだ。
再び大赦をなし、改めて東に進軍。
それぞれ守っている堡に攻撃、
共に陥落させる。
そして
ここで姚興が迎撃に出る。
苻登軍5キロほどのところに対陣。
姚興軍の存在を認めた苻登、
そろそろ行軍にあたっての水分が
足りなくなってきた。そこで、
廢橋に待ち構えていたのは、
懸命に説いた人物である。
尹緯を倒さねば、水が確保できない。
苻登は攻撃を仕掛けたが、落とせない。
そのせいで苻登軍の二割近くが、
喉の渇きによって死んでしまった。
これはいけない。
苻登、全軍での攻撃に切り替える。
が、ことごとく尹緯に跳ね返される。
夜にもなれば、その状況は壊滅、
とすら呼ぶべき状況に。
そのため苻登は、遂に単騎、
雍へと逃げ延びるのだった。
以竇沖為右丞相。尋而沖叛,自稱秦王,建年號。登攻之於野人堡,沖請救于姚萇,萇遣其太子興攻胡空堡以救之。登引兵還赴胡空堡,沖遂與萇連和。至是萇死,登聞之喜曰:「姚興小兒,吾將折杖以笞之。」於是大赦,盡眾而東,攻屠各姚奴、帛蒲二堡,克之,自甘泉向關中。興追登不及數十里,登從六陌趣廢橋,興將尹緯據橋以待之。登爭水不得,眾渴死者十二三。與緯大戰,為緯所敗,其夜眾潰,登單馬奔雍。
竇沖を以て右丞相と為すも、尋いで沖は叛じ、秦王を自稱し、年號を建つ。登は之を野人堡に攻め、沖は救を姚萇に請い、萇は其の太子の興を遣りて胡空堡を攻ましめ以て之を救う。登は兵を引きて胡空堡に還赴し、沖は遂に萇と連和す。是に至りて萇は死に、登は之を聞きて喜びて曰く:「姚興は小兒なれば、吾れ將に折杖にて以て之を笞せん」と。是に於いて大赦し、眾の盡きを東し、屠各の姚奴、帛蒲の二堡を攻め、之を克し、甘泉より關中に向う。興は登を追えど數十里及ばず、登は六陌より廢橋に趣き、興が將の尹緯は橋に據し以て之を待す。登は水を爭えど得たらず、眾に渴死せる者、十に二、三なり。緯と大いに戰い、緯に敗らる所と為り、其の夜に眾は潰え、登は單馬にて雍に奔る。
(晋書115-27_衰亡)
竇衝と言う重要な片翼の離反、そして苻堅に「そなたのような者の存在に気付けぬほど、余は不明であったか! これでは滅亡もやむなきことだ!」と、そのやり取りによって感服された尹緯の出現。苻登がじり貧に加えてさらに追い打ちをかけられる感じで、もう悲惨である。
苻丕の振る舞いについてはただただ同情の余地はあったんだけど、苻登についてはもうちょい振る舞いようがあったのかもしれない。まーけどこのひとの視野は、どう頑張っても戦術クラスだったんでしょうね。戦略クラスの目を持つ姚萇とやり合うと、初めにぶつかり合う単純な戦闘だったらまだしも、期間が延びれば伸びるほど詰んでいく。
苻登も「死休」って標語を掲げたんなら、どんな犠牲をも惜しまず、389 年のうちに姚萇を殺しておかなきゃならなかった感じがします。と言うのも、時間はどうしても姚萇に味方する。それは両者の持つ視野の違い。
……とか書きたいところなんですけど、十六国春秋では竇衝を右丞相に任命する直前に「巴蜀人在關中者皆叛萇據弘農來附登」、長安周辺の益州人たち(おそらくは
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