21.生き延びた理由

 「ありがとう御座います……ジャン様はどうして湖に飲み込まれなかったのですか?」


 アーティアの発した質問、それは『全てを飲み込む』と言われている魔の湖から生還した事へ対する疑問だ。

 アーティアはこの湖が木の葉すら沈めてしまうのを直に見て知っている。

 だとすればジャンには湖の力を上回る何らかの力を持っているのかも知れないと思ったのだった。

 

 実際に飛び込んだジャンとしては、皆 迷信を恐れているだけと感じた。

 この陥没湖が恐れられているのは、底の浅い部分が一切無い特殊な地形故に自殺の名所となり、迷信となって根付いてしまったのだろう。

 実際に湖から上がってきた自分を見ていながら尚、彼女は迷信を信じているのだろうか? 

 いや、どちらかと言えば、彼女自身が湖に引き込まれた事が有るからの疑問の様にも聞こえる。

 ではその場合、彼女が今生きているのは何故か、という疑問もでてくるのだが。

 ジャンはどう答えたものか、と思ったが偽り無く話すことにした。

 

「私は湖に飛び込み直ぐにある程度深くまで潜ったんだ。重りになる剣と財布を捨ててね。そして私は水属性魔法が使えるから息が出来るよう湖面まで細い空気の抜け道を作り、裏切り者達がこの場を去るのを待った。魔法で音を拾えるようにもした。後は知っての通り、ジジ殿が危機が去った事を教えてくれたってところさ」


 魔法で水を避けて空気の抜け道、言わばシュノーケルを作ったというところだろうか。

 まるで忍者の水遁の術である。

 証拠とばかりに、ジャンはぐっしょり濡れた衣服を水属性魔法で水分を飛ばして乾かした。


「水属性と風属性、なるほど魔法には随分と精通しておるのですなぁ」


 音を拾う魔法は風属性魔法『遠耳』である。

 ジジが関心したのは、ジャンの使用した魔法がかなりの熟練者でなければ発動できないものばかりだったからだ。


「いえ、まだまだ未熟者ですよ」


 先程ジジはロープを仕舞った、ただそれだけの行為だったが、ジャンは魔術師として、ジジが自分より遥か高みにいる存在だと思ってしまった。

 そんな方に褒められるのはどうにも落ち着かなかった。

  

「アークサンドの騎士は皆その様に魔法に精通しておられるのかの?」


「いえ、皆がと言う訳では……」


 ジャンは言葉を濁した。

 あまり触れられたくない話題だった。







 アーティアはジャンの話を信じられないでいた。


( 違う、この湖はそんなじゃない。魔法程度で逃れられる優しい存在ものじゃない )


 アーティアいや、あの時のリリアーシアもただ藻掻いただけではなかった。

 リリアーシアが得意なのは光属性魔法だったが、水属性魔法が使えない訳ではない。

 水属性魔法としては初歩の魔法『浮遊』、水に浮く為の魔法であるがリリアーシアは必死にその魔法を発動しようとしたのだ。

 魔法は発動しなかった。

 何度も何度も足掻きながら魔法を使おうとした。

 しかし、魔法は発動する事無く、ただただ魔力が吸われていく。

 どれだけ水をかき分けても、重い何かになったかの様に沈んでいく体。

 どんどん遠くなっていく湖面の光。

 底が見えない湖底の暗闇。

 魔法が発動しない焦り、何をしても逃れられない恐怖。

 そして終に苦しくて大きく息を吐いてしまい、水を飲み込んでしまった時の絶望。

 薄れゆく意識で最後に感じた生への諦め。

 気がつけばアーティアはその時の恐怖で震えていた。




 アーティアの異変に気付いたのはジジだった。


「アーティア」


 アーティアを呼び戻したのはジジの温かい声。

 

(そうだったわ。私は助けられて今こうして生きている。) 


「ご、ごめんなさい。ぼーっとしてしまって」


 ジジに名前を呼ばれ、我に返ると先ほどまでの恐怖は無くなっていた。

 アーティアには湖の真実は判らない。

 でも自身もジャンも湖に落ちて、そして今も生きている。

 それは疑いようもない事実。


「アーティアさん、怖がらせてしまったなら済まなかった」


 自分を気遣ってくれる紳士な騎士。

 語ってくれた内容もきっと偽りはないだろう。

 疑問は残るもののアーティアはジャンの言葉を信じることにした。

 

「ありがとう御座います。その魔法がお上手なんですね」


「いや、それ程も事は。ジジ殿の様な賢者殿のお孫さんに褒められると恐縮してしまう。 アーティアさんも魔法の手ほどきは受けておられるのでしょう」


 少し困った様な、苦笑いを浮かべたジャンはアーティアの話題にシフトチェンジしようと試みた。

 アーティアも自分の事を聞かれ返答に困る様子を見せたものの、意を決した様に頷くと口を開いた。


「いえ、私には魔法の才が無くて」


 嘘を言った。

 ジャンに申し訳無いと思ったが、魔法を使える事を教えるのは他国の騎士とはいえ、やはり躊躇われた。

 

「それは、申し訳なかった」


 思いもしなかった回答にジャンは失言だったと反省した。

 賢者の血を引く者が魔法の才を持たないとは思わなかったのだ。

 普通は親に魔法の才があるならそれは子に引き継がれる。

 しかし、確かに魔法の才を持つ血筋が多い貴族であっても稀に魔法の才をまったく持たない者が生まれる事が有るのも事実だった。

 アーティアがその稀な例だとしても可笑しくは無かった。

 アーティアから感じる魔力は微弱で、それも外套から感じる。

 おそらくはジジが付与した魔法の掛かった外套なのだろう。

 

 ジャンは外套に魔法が掛けられていると思い至った時、アーティアの顔が認識できない事に思い至った。

 ジャンは魔力探知に関しても高い才があった。

 彼でなければ、外套に魔法が掛かっていると気付かないのではないだろうかという巧妙に隠された魔力だった。


(顔を見せたくない理由があるのだろうな)


 そんな事を思いながらもジャンは気付かないふりをした。

 しかしジャンにも気付け無かった事がある。

 この外套はアーティアの顔を認識できなくするだけで無く、アーティアの魔力も認識できなくさせていたのだ。


「その、お気になさらずに。私も気にしてませんから。それから話を遮ってしまって済みませんでした。ジャン様のお願いをお聞かせ下さい」


 アーティアもまたこれ以上自身の素性の話をしたくなかったので、話を元の流れに戻したのだった。


「そうでした。ジジ殿、実は先程お話したとおり、財布は湖中に捨ててしまったので無一文なのです。 援助いただければ助かりますが、ご無理でしたら一晩だけでも泊めて頂けないでしょうか?」


 ジャンとしては最悪フェリス公爵に頼るつもりだったが、今日のところは避けたかった。

 万が一、裏切り者達と遭遇する可能性を避けたのである。

 最初から敵として対峙するなら、又は崖っぷちに追い詰められていなかったなら、彼ら4人掛かりでも全く問題にならない自信があった。

 でもそれでは、彼らに命令した者に暗殺失敗と知らせてしまう事になる。

 だから彼らには一旦は無事に帰って貰わなければならないのだ。


 ジジはアーティアを見た。

 ジジの視線に気付いたアーティアは、ジジが自分を気遣ってくれていることに感謝した。

 アーティアは端からジジの決定を全面に支持するつもりだった。

 自分も助けてもらって居候の身なのだから、反対できるはずもない。

 しかし、ジジはアーティアの意見を尊重してくれる。

 その事が嬉しかった。 

 アーティアはジジの視線に、頷きで返した。

 実際にはアーティアの外套のフードが僅かに揺れただけだったが、それだけでジジには伝わった。

 

「ここで助けたのも何かの縁じゃろ。今日は泊まって行きなされ」


「ジジ殿、有難うございます。アーティアさんも有難う。」


 ジャンはジジとアーティアの先程の無言のやり取りを見ていた。

 その意味も分かった。

 年頃の娘のいる家に若い男が泊まるのだ。

 警戒もしようというもの。

 勿論そんなつもりは毛頭ないが、それを信じろと言っても難しいだろうことも判る。

 なにしろたった今出会ったばかりの縁なのだ。

 それなのに、一晩泊めてくれるという。

 尤も、ジジは賢者だ。

 襲われても対応できる自信があるからかも知れない。

 

「ホッホッホ。こちらも先に謝っておきますかのう。実はもう一人孫娘がおって、これが騒がしい娘でしてな。ご容赦くだされ」

 

「賑やかな方が私としても助かります」


 ジャンは爽やかな笑顔でそう返した。


「今日は買い出しに行く予定だったのじゃが、明日にしましょうかの。 先ずは家まで案内するので着いてきなされ」


「それは忝ない」


 3人は歩き出す。

 ジャンに気を取られていたアーティアは湖の湖面に浮かぶ木の葉に気づくことは無かった。

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