第6話 素直なひと

 するとジャンは目を丸くして、そしてすぐに驚いた自分を恥じるように、眉間に気合いの入った皺を刻む。

 よくも悪くも、彼は素直だ。

 気に入らないものは気に入らないと声高に叫ぶ。清々しいほどきっぱりとものを言う。あまりに明け透けなものだから敵も多かろうが、この裏表のなさがリディアに似ていて、アデルはけっこうジャンが好きだった。

 表向きは優しさを気取っておいて裏で陰口をいうような大人より、よほど信用できる。


「……リディアの家族が見つかったんだ」


 ジャンは一瞬、呆気に取られたような顔になった。

 九歳の春、イルザークに連れられてオクの町に顔を出した二人の身の上は、家族を亡くしてベルトリカの森に迷いこんでいたと説明されている。


「……死んだんじゃなかったのか?」

「まあ、色々あって。ぼくの家族はもういないけど、リディアの家族は生きてる」


 ジャンはぎゅっと眉間に皺を刻んで凶悪な顔つきになると、なにか言いたげに口を開けて、そしてそっぽを向いて舌打ちをした。


「……戻るんかよ。リディア」


 そう思うよな、とアデルはこっそり安堵の溜め息をつく。

 天涯孤独とされていたこどもに家族が見つかった。その家族はこどもが戻ってくることを願っている。ふつうは家族のもとに戻るものだろう。リディアに帰るよう提案したことは、正解ではもちろんないけれど、大外れというわけでもなさそうだ。

 ただ自分たちはふつうではなかった。

 ふつうではなかったから、世界を越えた。


 帰らない、帰る場所なんてない。――そう語気荒くオルガに反論した自分も確かに心のなかにまだ居座っているけれど。


「リディアは戻らないって」


 言い訳をするように、ホットミルクのマグに口をつけたままつぶやくと、ジャンは片目を歪める。


「で?」

「家族がいて、その家族が一緒に暮らそうと言っている。それなら家族と一緒にいたほうがいいって、ぼくは思うんだけど。──って言ったら泣かれた」

「相変わらずてめぇは腑抜けのど阿呆だな。頭ンなか薬草でも詰まってんじゃねぇのか」

「清々しい罵倒……」


 おかみさんはジャンの悪口のレパートリーが乏しいなんて嘆いていたが、とんでもない。

 これで《学院》に入学したあかつきには、更なる罵詈雑言のストックを用意して帰省してくるのだろう。


「リディアがなに択ぶかなんてわかりきってんじゃねぇか。……ここにいたいって言うに決まってる」


「そうかもね」両手でマグを支えて、鼻から下を隠すようにしてアデルはうなずいた。「だけどそれじゃ駄目だと思ったんだよ」

 ジャンが眉を跳ね上げる。


「おまえがどうこうしたほうがいいってどれ程言ったって、結局択ぶのはリディアだろうがよ。自分の罪悪感を払拭するためにリディア泣かせてんじゃねぇ燃やすぞ」

「……あんまり燃やす燃やすって言わないほうがいいよ。無駄に敵が増える。ただでさえ自分から誤解を招く達人なのに」

「るっせぇなほっとけ陰険眼鏡糞野郎が」

「はいはい」


 あ、とアデルは動きを止めた。

 さすがに相槌が適当すぎたかもしれない。

 げんに目の前に座るジャンはぶるぶる震えている。次の瞬間椅子を蹴倒しながら立ち上がって、右手にぼっと火の玉を掲げ、左手でアデルの襟首を掴んだ。


「前から思ってたけどてめえ猫かぶりも甚だしいな! 普段リディアにギャーギャー騒がせてその背中に隠れといて、あいつがいなくなった途端これかよ!!」

「いやだなぁ。いつもリディアがぼくより先に爆発するからタイミングを逃しているだけで、本当はいつも心のなかで言い返してるよ……ほら炎しまって」

「今日という今日こそはてめぇのそのスカした眼鏡を叩き割る。リディアもいねぇし丁度いい」

「アー、面倒くさい……」

「なんか言ったか!?」


 カッと両眼を瞼の限界まで見開いたあげく額に青筋まで浮かべたジャンに、襟元を引きずられるようにして立ち上がる。

 食堂で昼間っから酒をひっかけていたオクの男どもに「おっ、ケンカか」「魔法は使うなよ、やるなら素手だぞ」とにこやかに見送られながらジャンがドアを開けると、ちょうど入店しようとしていたザジが目を丸くした。


「……なんだ、どうした、ケンカか? 魔法は使うなよ」

「ザジ先生ちょっとそこどいて。俺はこれからこの陰険眼鏡の眼鏡を叩き割って消し炭にする」

「眼鏡を? どういう状況だちょっと待てこら」


 ジャンは学校に通っているのでザジに魔法を教わっている。

 ちょっとだけ態度がしゃんとしたものになったジャンが、物騒な予告をしながらアデルを連行していくのを、ザジは慌てて止めにきた。


「眼鏡を消し炭にするのはまた今度にしろ、ジャン。南の町で《黒き魔法使い》が目撃された」

「……はあっ?」


 盛大に顔を歪めて振り返ったジャンの拘束から逃れて、アデルは軽く咳払いしながら体勢を立て直す。

 二日前、教会の魔法士たちがイルザークを訪ねたのは、目撃情報が北上しつつある《黒き魔法使い》討伐のために、この辺りの地理に明るい彼に協力を取りつけるためだったらしい。これはもしや師にも改めて要請がいったかもしれないなと、ベルトリカの森の奥深くへアデルは視線をやった。


「町長とも話したが、しばらくは全員、家に籠もって外出しないほうがいいだろう。アデルもひとまず森に帰ったほうがいいぞ」

「……ザジ、リディアに会わなかった?」

「ああ、さっき公園で会って森のほうに帰っていくのを見送った。……そういや、二人が別々にいるなんて珍しいな?」


 いま気づいたらしい。ザジが眉を顰めて首を傾げたが、答えずにアデルはきびすを返す。


「ありがと、ザジ。気をつけて」

「おお、お前たちもな。なにかあれば呼べよ!」

「また腰やっちゃったら大変でしょ。ザジこそ家で大人しくしてて」


 ぶすっとした顔のジャンには「眼鏡はまた今度ね」と手を振っておいた。

 眼鏡を叩き割らせてやるつもりは毛頭ないが、一応、話を聞いてくれたお礼のつもりだ。

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