第5話 世界の自浄作用
イルザークの行動は早かった。
驚いた表情でアデルを見ている魔法士たちに視線をやって、「今日はここまでだ」と険しい声で促す。
「イルザークどの、その子は……」
「弟子だ」
ちりっと焼けつくような視線にアデルの首裏がそそけ立った。
敵意。──嫌悪。
この世界には色々な髪や目をした人がいる一方で、アデルやイルザークのような黒髪はごく少ない。
そして二十年前に封印された魔王が黒い髪に黒い眼をしていたせいで、どちらかというと不吉なものの象徴のようになっている。オクの人びとは長年ベルトリカの森に棲むイルザークを知っているからそんな発想はないようだが、遠方から訪ねてきた客などは、あからさまにぎょっとすることが多かった。
魔法教会に属する者でさえこうだ。
イルザークの手を借りて立ち上がったアデルは、片目を歪めてこちらを見下ろす銀髪の青年から遠ざかるように客間を出た。
「オルガ! リディアを捜せるよね?」
座ったまま待ってくれていたオルガの背に跨ると、イルザークが天海を仰いで眉を寄せる。
追って出てきた二人は立ち上がったオルガを見上げてぎょっとした。
魔力を持つものであればオルガほどの魔物の格など一目でわかるものだ。
「なんでこんなところに神格が……」
「……というかあの弟子、神格の魔物の背に乗ってるぞ……」
二人を一瞥してこてんと首を傾げたオルガに「教会の魔法使いだよ」と教えてやると、「めずらしいものだな」と鼻を鳴らした。
アデルの後ろにひらりと跨ったイルザークが呻くようにつぶやく。
「〈穴〉が開いたか」
「うむ。前回ぶりであるな」
「あの莫迦、落っこちおったか」
「というよりは、リディアのいた場所に〈穴〉が開いたのではないか。自浄作用であろう」
ぽかんとしている教会の魔法士たちをそこに放置して、オルガの背に乗った二人は森のなかを疾走した。
振り落とされないようにしっかりとしろがねの毛を掴む。
「いないのだな。アデル」
「いない。……感覚がない」
体の半分を抉られたような喪失感がずっと続いていた。
最初こそ動揺したが、平然としているオルガやイルザークのおかげでいくらか落ち着いた。
〈穴〉が開いた。オルガの言った前回というのは、アデルとリディアがこちらにやってきたときのことだ。世界を超えることは、当たり前とはいかないまでも、有り得ないことではないのだ。
「〈穴〉は一度開いたら九日間は開いたままだ」
「……そうなんですか?」
「そういうものだ。前回もそうだった。おまえたちが昏倒しているうちに閉じたがな」
疾走するオルガの背に揺られてオクへ続く道を辿ると、町にごく近い小道でオルガが急に茂みのなかに突っ込んだ。枝葉が頬をぶつ。身を低くしてオルガにしがみつくと、彼はぴたりと足を止めた。
魔物や動物が使っているらしい獣道の中ほどに、ぽつんとバスケットが落ちている。
リディアが今日、ココのもとへ持っていくパイを入れていたものだ。
アデルとイルザークが背から下りると、オルガはすんすんと鼻を鳴らしながら天海を仰ぎ、まるでそこにアデルの目に見えない澱みでもあるかのように不快そうな声を洩らす。
「ここで途切れている」
「ああ。ここだな」
イルザークは無造作に地面に手をやった。
するとその手首から先が、土に飲み込まれて消える。
「だがどうする。魔力のないリディアをどうやって捜し出す?」
「そもそもこの〈穴〉はどこに繋がっているんですか、先生。まさか日本?」
「……、……まあ落ち着いて座れ、アデル、オルガ」
落ち着いて座っていられる気分ではないのだが、横にいたオルガが大人しくぺたりとおすわりの体勢になったので、アデルもぐっと堪えて地面に腰を下ろした。
〈穴〉を囲んで二人と一頭で輪をつくる。
なんとなく落ち着かなくて、アデルは拾い上げたバスケットを膝の上に抱えた。
「世界が、こう……」イルザークは両手でおおきな円を描いてみせた。「ここからここまであるとする」
この世界には惑星や宇宙といった概念がない。
父から聞かされていた宇宙の始まり、無数の星、引力や重力といった働きは、すべて天海のくじらと神々の加護によって与えられる恵みの一部として教えられている。
「一番おおきな『世界』のなかには、ちいさな『世界』がいくつも存在する。我々と同じような人間が生きる世界、全く別の命が生きている世界、そのなかにはむろんこの世界や、アデルやリディアの生まれた世界も含まれる」
オルガはこっくりとうなずく。
アデルには初耳の講義だが、こちらの世界の魔法使いや魔物にとっては当たり前の話なのだろう。
「そしてこれらの世界には、それぞれにそれぞれの力が作用して、近づいたり遠ざかったりを繰り返している」
「それぞれの力っていうのは……例えば魔力?」
「そうだ。この世界での代表的な力とは魔素、或いは魔力だ。ほかの世界にも魔力や似て非なるものがあるかもしれないがそこまでは解らぬ。
そういった力で常に動く世界同士はなんらかの大きなエネルギーによって偶発的に重なり、世界と世界に交点が生まれてしまうことがある。それを我々は『世界の〈穴〉が開く』と称する。そして――」
師の言葉を、アデルは継いだ。
「そしてそのとき稀に、人が世界を超えることがあるんですね」
「そうだ。それがおまえたちだ」
あの日、アデルの両親が事故に遭ったこと。
リディアに手を引かれて家を抜け出したこと。
ちょうどそのとき開いていた〈穴〉に触れたふたりがこのベルトリカの森に迷いこんだこと。
それらを改めて言葉に説明されてみると、途方もなく壮大な話だった。
いくつも存在するちいさな『世界』のなかで、ただ一人この親切で不器用な魔法使いに拾ってもらえた幸運にも気づいたが、それはまたあとで噛み締めればいい。
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