万物は流転する

 「もう、夏も終わりだね」

 まるで過ぎ去っていく夏の断末魔のような甲高い音を伴って夜空に咲き誇る花火。それを見上げて、アコは何だか酷く淋しそうにそう呟いた。俺はアコのそんな儚げな横顔を見つめることに夢中で、彼女のそんな呟きにただ曖昧に相槌を打つだけで精一杯だった。

 「え……あ、うん」

 アコとは俺が6年前に大学進学のために上京するまで、ずっとこの町で一緒に育った、幼なじみ、友達以上恋人未満の関係。上京してからどうやら自分が彼女を好きらしいと俺ははっきりと気づいた。アコは特別美人なわけではないし、顔も俺の好みじゃない。むしろ、街にいる女たちの方がよっぽど当てはまるのだが、それでもやっぱりアコの方が好きだから、多分よほど俺は彼女に惚れているらしい。だが、今更それを言葉にしなくても、アコも同じ気持ちだと何となく理解っているから、今の関係を維持している。よく恋愛はタイミングが大事だと言うが、俺らの場合、あまりに一緒に長く良すぎて、単なる幼なじみから恋人に一体いつ変わるかというタイミングが掴めていないのだろう。昔から俺たちのことを見てきた大人連中や友達は「いつになったらくっつくん? 」と呆れた表情を浮かべて見守っている。今まではそれで良かったけれど、そろそろ、このままじゃいけないことくらい、鈍い俺自身も理解ってはいた。だが、今のこんな関係を変えてしまうことへの躊躇いがあることも事実で、俺は6年経っても相変わらず、今の関係を変えようとしていない。

 「タクちゃん、どうしたの? 」

 俺の曖昧な相槌に気づいたらしく、アコは少し不満げに口を尖らせながら、首をかしげてそう問いかけた。

 「え? 」

 「やっぱり、もう町の花火大会なんてつまんない? 東京の方がやっぱり面白いもの、たくさんあるから――」

 アコはそう拗ねたように訊いてくる。アコの家は古いしきたりが多く、本当は彼女も上京したかったらしいのだが、親族とやらが許さなかったらしい。

 「いや……そりゃ東京は色々面白いもんがあるけどさ、俺はこっちの方が好きだよ」

 「ホント? 」

 「ん……だって、東京じゃこんな風景、見られないだろ? 」

 花火が消えたのを待ちかねていたように、闇に支配された世界にあちこちにちらほらと儚げな青白い光が舞い始める。そう、この町には街にある娯楽はないけれど、蛍がいる。子供の頃は「蛍なんて田舎の証拠だろ」なんて馬鹿にしていたけれど、今はそれが酷く誇らしい。無論、それは闇夜を舞う蛍の光に惹かれているだけじゃなくて、隣でそれを毎年のように瞳を輝かせて見つめているアコの横顔が見られるからだった。上京して6年、俺は休暇を貰うと毎年欠かさず帰郷し続けた。アコの側にいたい、ただそれだけの理由だった。

 「……ねぇ、タクちゃん」

 花火の余韻も過ぎ去り、すっかり人気がなくなった河原に俺とアコは並んで座った。そして、アコは少しだけ言いにくそうな口調でそう俺を呼んだ。

 「ん? 」

 「アタシね……今度、お見合い、することになりそうなんだ」

 「は? 一体、どこのどいつと? 」

 「タケシ叔父さんの知り合いの息子さん。この町の役場に勤めてるんだって」

 アコに見合いをさせたがっているタケシ叔父、それが彼女の上京に一番強硬に反対した親族だ。本当は見合い話のことはアコが切り出す前から、出掛ける前に母親に聞かされて俺は知っていた。何でもそいつは町会議員の息子で、もう少ししたら役場を辞めて、父親の地盤を継ぐらしい。つまり、この町の有力者の卵ってやつだ。つまり、アコがそいつと結婚すれば、彼女の家もこの町の有力一族に加わるということだ。アコの叔父が酷く野心が強い、目的のためなら手段を選ばない男だというのは知っていたが、まさか自分の姪までその野心を満たす道具にするとは思わなかった。多分、アコが誰かとこの町を飛び出さない限り、彼女がその道具となる運命は避けられないだろう。

 「ふぅん……で、そいつと結婚するの? 」

 気持ちで通じ合っていると知っているアコのそんな告白はいつまでも友達以上恋人未満の関係に甘んじる、6年経っても煮え切らない俺への最後通告だ。しかし、いくら最後通告を突きつけられたからと言って、唐突に今更な告白するのは男として何となく照れくさくて、俺はあえて皮肉めいた口調で意地悪にアコに問いかけた。

 「え……冗談言わないでよ」

 俺の問いかけにアコの横顔が不意に歪んだ。ああ、アコは子供の頃よりずっとずっと綺麗になった、女になったというのに、こうして意地悪をされて泣きそうになる表情だけは変わらないなと俺は微苦笑を口元に刻んだ。子供の頃からちっとも変わらない、河原から眺めるこの町の景色、アコの泣き顔、そして素直になれない俺自身。

 「……ずっと、子供のままでいられたら、良かったのかな」

 相変わらず求めている言葉を口にしない俺に失望したのか、不意にアコは暗闇に舞う、蛍の光に囁くようにそう呟いた。その声は酷く淋しげで、きゅっと俺の胸を締め付けた。

 「子供のままでいたかったのか? 」

 「ん……大人になっちゃったから、きっと欲張りになったんだよ。子供の頃はさ、タクちゃんとちょっとの時間、一緒にいられるだけで、幸せ、だったのに、ね。大人になったから、それ以上を、心が、求めちゃうんだよ」

 アコはそこまで言うと不意に声を詰まらせた。暗闇でよく見えないが、その頬が蛍の放つ光に照らされて、微かに光っている。

 「……アコ」

 「ホント……この町の景色と、蛍と同じで、ずっと昔のままで、ずっと変わらないでいられたら、幸せ、なのにね。どうして、変わっちゃう、のかなぁ」

 そう言うと、アコが目を擦りながら、すっと立ち上がるような素振りを見せた。俺は慌ててその肩を掴んだ。そのせいで周囲の草に止まっていた蛍が一斉に空へと舞い始めた。

 「ま、待てよっ! 」

 もう今更気持ちを言葉にするなんて照れくさいなんて、今の関係を変えようとすることへの躊躇いなど捨ててしまおう。

 「アコ……見合いなんかすんなよ。んで、俺と、い、今すぐは無理でも、俺と一緒に、東京行こう。一緒に暮らそう」

 俺はワンブレスでそうアコにそう言った。あまりに唐突だったせいか、アコは涙目でじっと見つめ、それ以上の言葉が見つからないのか、俺の名前を涙声で呼んだ。

 「タクちゃん……」

 「お前は昔のままで、変わらない方が良いって言ったけどな……大人になったからこそ、変わったからこそ、見えてくるもんだって、理解ってくるもんだって、あんだからな」

 子供の頃と少しも変わらない、河原から見る町の景色、闇夜を儚げに舞う蛍。だけど、それを見つめていた、子供だったはずの俺らはいつの間にか大人になった。子供の頃は単なる友達だった、幼なじみだったのに、いつの間にか、気になる男に、女になった。そして、いつしか恋人になりたい、その全てが欲しいと思うようになった。多分、それは人間という常に変化をしていく生き物にとってはごくごく自然なことなんだろう。

 「タクちゃん……」

 俺は自然にアコを抱きしめていた。本当はこの町の景色だって、蛍だって、俺らが子供の頃から厳密に同じかって言われたら、多分答えはノーなのだ。町の景色は同じであっても、そこに暮らす人達は移り変わっているし、今年飛んでいる蛍も、来年はもういないだろう。「万物は流転する」と中学校の理科の授業で聞いた言葉がふっと脳裏を横切った。そう、自然が四季によって移り変わるように、そこに生きる俺らも変わっていくのだろう。

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