第84話 稲生の閃光

 熊がちゃんと鎧を着てたのはすぐに戦に参加する為だったのかもしれない。ここで鎧を着てないのは、俺と滝川殿だけだ。


「厳しい戦いになりますな」

「ええ……」


 明らかに信行兄ちゃんの兵の数の方が多くて、信長兄上の陣営は押されている。だけど、大将である信長兄上の参戦によって、少しずつ信行兄ちゃんの勢いが弱まってきていた。


 雨はもう止んで、遠雷の音と剣戟の音が混ざって聞こえる。


「首は捨ておけぃ! 勝てば皆に褒美を取らす! そのまま突き進め!」


 槍持ちの馬廻りを五十人ほど引き連れた信長兄上大声で叱咤激励し、後ろに下がった林を目指して青い旗を持つ兵たちをなぎ倒していく。信長兄上の親衛隊とでも呼ぶべき彼らは、弾丸のように信行兄ちゃんの兵たちの群れへとなだれこんでいった。


「まさに一騎当千ですな」


 滝川殿の言う方を見てみると、熊が槍を振り回しながら、次々に敵兵を倒していくのが見える。武将らしき相手も倒していて、まさに獅子奮迅の活躍だ。


 勇猛果敢で有名な前田利家殿も、信長兄上の先に進み、進軍を阻もうとする敵をなぎ倒している。


 こうして見ると、明らかに兵たちの練度が違った。


 信長兄上に味方する兵は、熊とか佐久間のおじちゃんを除けば、ほとんどが部屋住みの三男や四男だ。

 嫡男であれば家督を受け継ぎ財産のほぼ全てを受け継ぐ。次男はその長男のスペアとして、長男ほどじゃないけど優遇される。

 でも三男や四男は、受け継ぐ遺産もないまま部屋をもらって、ただひたすら家の為に尽くす居候になるしかない。当然、妻子を養う禄がないから結婚もできない。


 確か、前田利家も四男かそこらだった気がする。


 信長兄上はそういった連中を雇う事によって、兵力の充実を図っていたわけだ。一生部屋住として肩身の狭い思いをして暮らすのと、信長兄上の馬廻りとして出世するのと、どっちがいいだなんて言うまでもない。確かに命の危険はあるけど、戦場で死ぬのは武士の誉れだ。願いこそすれ、厭うはずがない。


 しかもずっと一緒に戦っているから、彼らの士気は他で見ないほど高い。


 激戦だったと聞いた一昨年の村木城の戦いでも、信長兄上の近習たちは勇猛果敢に戦って、かなりの犠牲を出しながらも勝利していたはずだ。

 そこには自分たちを引き上げてくれた信長兄上への、心からの忠誠がある。


 対する信行兄ちゃんの兵は、数は多いけど、本来の農閑期だけ参戦する農民の足軽たちがほとんどだ。味方する武将も勇猛さで名の知れたものは、弓の名手で知られる林弥七郎、林のジジイの与力である橋本十蔵、大脇城主である大脇虎蔵、前田利家の父である前田利昌くらいだろうか。


 数では負けているけど、個々の戦闘能力に関して言えば勝っている。

 だから信行兄ちゃんの兵が兵力の多さで押し切ろうとしても、信長兄上の覇気に押されて及び腰だ。


 このままいけるか、と思って見ていたら、少しずつ押し返されてきている。

 くそっ。やっぱり兵力の差で、厳しいのか。


「喜六郎さま。戦っている兵たちに檄を飛ばしてやってください」


 俺なんかの檄で、どうにかなるのか?

 いや、どうにもならなくてもいいじゃないか。やるだけやってみればいいんだ!


「織田の兵よ! 天は我に味方せり! 織田に大恩あるはずの奸臣、林通政、及び林通具の逆心を許してはならぬ! 皆の者、勝利を我らに!」


 思いついた言葉を次々に叫ぶ。それに対して兵たちが「おおー!」と呼応する。

 俺はさらに言葉を放った。


「特に林通具の専横を許してはならぬ! 天誅を与えよ!」

「たわごとを抜かせ! 我ら兄弟ほど、尾張の行き先を案じておる忠臣はおらんわ! お前のような小童こわっぱが、知った風に言うでない! ええい、生け捕りなどと生ぬるい! 磔にしてくれよう!」


 林のジジイがそう言って、槍を振り上げた。

 その時―――





 ドオオオオオオオオオオオン。

 眩い光と共に、轟音が響き渡った。





 大きな音に、馬が暴れる。振り落とされそうになったけど、滝川殿が俺を抱えて馬から飛び降りた。閃光に視界がホワイトアウトしていて、何が何だかよく分からない。


 とりあえず、俺は今、滝川殿に抱えられて地面をごろごろ転がっている。


 な、なんだ!?

 何が起こった!?


 ようやく回転が止まった。そして辺りは奇妙なほどの静寂に満ちている。


「喜六郎様、大丈夫ですか!?」


 滝川殿が焦ったように聞いてくるのを見上げる。

 あ、うん。俺は滝川殿にかばってもらったからね、多分、怪我もしてないと思う。

 

 地面がぬかるんでるから、全身どろどろになってると思うけど。


 でも、何が起こったんだ?


「私は大丈夫です。滝川殿のほうこそ大丈夫ですか?」

「良かった……御身にかすり傷一つでもつければ、義兄にこっぴどく怒られますからな」

「それにしても、一体何が……」


 滝川殿に手を引かれて立ち上がる。

 ようやく見えるようになってきた目を何度かしばたいて、周りを見た。なぜか足軽も槍兵も弓兵も、頭を抱えて地面に伏せている。


 さっきの轟音で馬たちは一斉に逃げたのだろうか。騎乗している武将は、一人もいない。


「て……天罰じゃ……天が怒っておられるのじゃ……」


 誰かがそう言うと、その言葉がどんどん伝染していく。ざわめきが波の波紋のように広がり、やがて爆発した。


「ひいいいいいいい。天罰じゃぁぁぁぁぁぁ」


 その言葉をきっかけに、信行兄ちゃんのほうの兵たちは、一斉にその場から駆け出した。信長兄上の兵も半分くらいが逃げ出したけど、馬廻りと呼ばれる者たちは、信長兄上の周りにいてその身を守っていた。


 信行兄ちゃんは、どこだ……?


 やがて、蟻の子を散らすように兵たちがいなくなると、そこにいるのは、俺と滝川殿と、信長兄上とその馬廻りと。


 そして呆然としたように立ち尽くす、信行兄ちゃんだけだった。

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