第二話「大般若孝vs八百長横綱」
「続きまして本日のメインイベントを行います。 青コーナーより、狛ヶ峰入場」
リングアナのコールを聞いた浩太郎の目がまん丸に見開かれる。
行き先も告げられず、病院の許可が出たからと両親らに連れられて来たのは、プロレス会場だった。
浩太郎はこれまでプロレスに興味を示したことなど一度としてなく、なぜ両親が久々の外出先にこの場を選んだのか、まったく測りかねていた浩太郎。ようやくそのわけを理解した。
両親は自分と狛ヶ峰を会わせようとしているのだ。
これは浩太郎にとっては余計なことだった。
おおかた両親は、狛ヶ峰が大相撲から去って気落ちしている自分を励ますつもりで、外出先に大般若興行の会場を選んだのであろう。だがもはや相撲界を去った狛ヶ峰に、浩太郎は興味を抱いてはいなかった。少なくとも浩太郎自身はそのように思っていた。
なので、浩太郎は敢えてリングから目を逸らした。狛ヶ峰に対する怒りが未だに解けていないということを、両親に知らしめるためであった。
リングアナのコールで入場する狛ヶ峰。
浩太郎がそっぽを向いたのとは違って、狛ヶ峰が大般若孝との一騎打ちを実現させるまでのプロセスを知っている観客は大歓声だ。寄り集まった歓声が、浩太郎の耳に否応なく入る。
そういえば、初めて狛ヶ峰を知ったのも、ひときわ大きな拍手や歓声がきっかけではなかったか。
横綱同士の千秋楽対決を前に観客が声援を送るその声に興味を持った浩太郎が、浩介に身を起こすよう求め、そこで目にした大相撲中継で初めて狛ヶ峰の存在を知り、ファンになったのではなかったか。
この数ヵ月、心の奥底に封じ込めていた狛ヶ峰への憧れ。
リングから目を逸らすので精一杯だ。横綱時代は
(興味ない。そんなもの、持ってたまるか)
無関心を装うのに必死の浩太郎の
大相撲時代は緑の締め込みがその象徴だった。プロレスに転向した後もその色を受け継ぐとともに、元横綱の豪快さを強調したワンショルダーである。両膝には同色のニーパッド。これに黒革のリングシューズという出で立ちだ。手のかかる髷は切り落とされてから随分経ち、ザンバラ頭に違和感はなかった。
リング上に立った狛ヶ峰に、ひときわ大きな歓声と拍手。
「続きまして、大般若孝入場」
リングアナのコールに会場が暗転。
一瞬の静寂の後、大般若孝の入場テーマが鳴り響く。
浩太郎が見た大般若孝は、彼が知る狛ヶ峰より遙かに小柄な男だった。
「邪道」と背中に大書された革ジャンを着込み、手にしたペットボトルの水を頭から被ったり、口に含んでは群がる観客に噴霧する行為が、一体何を意味するのか理解できない浩太郎。
いや、理由など最初からなかった。
自分が格好いいと思うからやる。
その行動原理は誰を相手にしても一貫している。そう、最強横綱狛ヶ峰を迎え撃とうという今日このときも、大般若孝はいつもどおり大般若孝のままなのである。
不気味なのはこの男、体格では遙かに狛ヶ峰に劣るというのに、今から勝利を確信しているかのような余裕の表情を浮かべていることだ。本来であれば観客から怨嗟交じりの野次を受けるべき狛ヶ峰が、今日ばかりはやたらと温かみ声援を受けているのも浩太郎には気懸かりだ。
もしかしたらこの小柄な男なりに勝算があるのかもしれない。
浩太郎はそう思うと不安になった。
無関心を装うために必死でリングから目を逸らそうとしていたが、いま、その目はリング上の狛ヶ峰をしっかりと見詰めていた。声援を我慢するのが精一杯である。
入場がてら、無造作に転がっていたパイプ椅子を手にした大般若孝。パイプ椅子をリング上に投げ入れると、狛ヶ峰が怯んだ一瞬を見逃さず俄然走って滑り込むようにリングイン。猛然とハンマーパンチとキックの雨あられだ。これぞ大般若興行名物、奇襲攻撃という名の予定調和的試合開始である。
大般若孝が猛然とラッシュを仕掛け、狛ヶ峰が頭を下げるとその首根っこを掴んで早速有刺鉄線に狛ヶ峰を振った。
バチバチッ! ドカン!
火花と火焔、そして黒煙が上がり、有刺鉄線に振られた狛ヶ峰の姿が一瞬消える。のっけから炸裂した爆薬に、早くも観客席は騒然だ。
なお本日の会場はディファ荒牧。屋内興行とあって消防法との兼ね合いから火薬量は控えめであったが、屋内である分音響は凄まじいものがあり、また初めてこの試合形式を目にする浩太郎にとっては十分な迫力を伴って見えたことは申し添えておかねばならないだろう。
ともあれ立ち上っていた黒煙が消えると、狛ヶ峰が有刺鉄線を背に苦悶の表情である。
そこへ大般若孝が追撃を加える。
通常の打撃技では狛ヶ峰にダメージを与えられないと思ったのか、パイプ椅子での攻撃である。狛ヶ峰の脳天に大般若孝が思い切りパイプ椅子を振り下ろすと、座面が吹き飛んでパイプ椅子はパイプばかりとなった。
驚いたように呆然立ち尽くす大般若孝。
狛ヶ峰は首にぶら下がるパイプを跳ね上げると、大般若孝の胸に強烈な張り手を次々と見舞う。一発一発の打撃の重さは大般若孝の比ではない。これを恐れて奇襲攻撃を加えた大般若孝であったが、怒る狛ヶ峰が反撃に転じたことで早くもたじたじだ。
いよいよ有刺鉄線に追い詰められようという大般若孝。しかしこの手の試合では一日の長があることもまた確かである。危うく爆薬を作動させてしまうところまで追い詰められると、大般若孝は自らダウンして巧みに有刺鉄線への接触を回避する。大般若孝はそのまま転がるようにして場外へとエスケープ。
追撃する狛ヶ峰だったが、大般若孝にとっては場外こそ主戦場であった。
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