惨殺死体の目撃者は何を語るのか
昨夜の捜査で被害者の血の味から読み取った記憶の中で見た化け物は、ヴァンパイアが持っているものとよく似た牙を持っていた。だが、その他の特徴は似ても似つかない。
てらてらと光を放つ、無数の節を持つ灰色の表皮。地を這うほどの長い両腕。巨大で鋭利な鉤爪。その奇怪でおどろおどろしい姿が脳裏に焼き付いて離れず、そのせいで珍しく真昼間に九十九刑事は起きているのである。
「たしか、こんな姿をしていたはず……」
眠い目をこすり、うーんうーん、と頻りに唸りながら、彼女は事務所の白板の上にその姿を再現しようと試みる。が、彼女の絵は、お世辞にも上手いとは言えない。
まず、歯列を描くのに重きを置き過ぎて、歯が顔の輪郭からはみ出ている。
頭髪は十本足らずしか書かれておらず、ほぼ禿げ頭。
そもそも鉤爪の途中から手が生えて腕が二股になっている。
「よし、できた!」
得意気になっていた彼女だったが、傍で見ていた須藤からは「幼稚園児の落書き」とこき下ろされた。
「いいでしょ。どうせ化け物なんだから滅茶苦茶な姿でも」
「いや、それを言ったらお終いだろ」
他愛もない言い争いをしていたところ、コンコン――と事務所の扉がノックされた。少し間をおいて、署に勤めている若い婦警が二人の女性を連れて入ってくる。
「あなたがたは、さっきの事件を通報された――」
九十九刑事が、どこかで見たような――と思案していたところで須藤に先を越される。
「ああ、そう! そうだった!」
「九十九さん、三百歳超えてるんですから物忘れが激しくなってるんじゃないですか?」
「そんなことはありませんー! ヴァンパイアは老化とは無縁なんですー!」
まるで小学生の喧嘩のようなやり取りの合間に、婦警のわざとらしい咳払いが割って入る。来客をさしおいて、くだらない言い争いをしていたのだから、苦い顔をされても文句は言えない。
ひとまず、来客の二人をソファに座らせよう、と誘導したはいいものの、そこでソファの上に丸まった毛布が置かれていることに気づく。慌てて毛布を投げ飛ばして、座面を叩いてから「どうぞ」と取り繕うも声が上ずってしまった。
うつむいて笑いをこらえる須藤を小突いてから、九十九刑事は「さて――」と二人がここに来た訳を尋ねた。
来客の二人のうち一人、
対して、もう一人の
「最近、私たちの街、物騒なの――」
などと、ぼそぼそとした口調でこぼす落合を、髪を撫でながら宥める水治。
「私たちが住んでいた頃の街は、もう戻らないかもしれません。でも、少しでも治安が良くなって、私たちの街が守れるならば、捜査に協力したいんです」
「気持ちは分かるが、どうしてそれで私たちのところに?」
「一昨日、そして昨日と死体が見つかった場所が、私たちの街。かつて私と有栖が住んでいた場所なんです」
落合は、水治の言葉にこく、こく――と頷きながら、彼女のシャツを手繰り寄せた。そして俯きながら上目遣いで九十九刑事のことを睨みつける。
「有栖はこのとおりですから、少しでも安心させてやりたくて」
須藤からは、「ヴァンパイアだから怖がられているんじゃないですか」とからかわれたが、ヴァンパイアが人間から疎まれるのは、ありふれていて否定のしようがなかった。
水治の話では、落合は自分たちの住む地域が牙月区に入ってから、移り住んできたヴァンパイアに両親を殺されたという。そういう過去を持つ者なら、ヴァンパイアになら誰彼構わず警戒心を抱いてもおかしくはない。
「また近いうちに、私たちの近辺で事件が起きると睨んでいます。私はあの近辺の地理にも詳しいですし、ボランティアで清掃活動も行っていますから、張り込みだって喜んでします」
水治は落合を安心させてやるため、自分たちも協力して張り込みをして、犯行現場をいち早く押さえると切り出した。
「それは容認できません」
あまり捜査に一般人を巻き込むのは気が進まない、と断ろうとした九十九刑事だったが、先に須藤が断固とした強い口調で突き返した。
「捜査の協力は有難いですが、相手は民間人を惨殺する猟奇犯です。その犯行現場を取り押さえるためとくれば危険を伴います。そこに一般人を巻き込むのは警察としては許すわけにはいきません」
水治の意思は強かったが、須藤があくまで安全のためと説明すると、すんなりと折れてはくれた。結局、何か異変があればまた連絡するとだけ取り交わした後、水治は落合を連れて事務所を後にした。
「須藤もああいう真っ当なこと言えるんだな」
いつもからかわれている復讐も兼ねて、須藤の背中を呼び止める。
「ええ。あくまで建前ですがね」
背中越しに予期していない言葉が帰ってきたものだから戸惑った。須藤が水治に言った言葉は真意ではないとでもいうのか。
「真意ではありますよ。ただ部外者が警察の動向を知る状態というのが、好きじゃないんです。たとえ向こうから好意を以って接してくる人間でも、みだりに信用するのはよろしくない」
「疑り深いんだな、須藤は」
「九十九さんは表裏がなくて能天気だから信用できますけどね」
表裏がないまでは言い。能天気だから、は余計だ。と九十九刑事は反論したが、「へいへい」と軽く受け流される。
この手のからかいには、慣れていた。けれど――
『たとえ向こうから好意を以って接してくる人間でも、みだりに信用するのはよろしくない』
その言葉の裏に悲しい思惑が渦巻いているように感じてしまった。
ただ、それを向こうから話してくれるとも思わないので、一口啜ったハーブティーとともに飲み込んだ。
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