53:獣人都市インバハネス

 俺たちの荷馬車は獣人都市インバハネスの領内に入っていた。


 街道の先に、王国から派遣されていた兵士たちの駐屯地跡が見える。


 常時、あそこの駐屯地に数百名単位の王国軍が駐屯し、武装蜂起を繰り返すインバハネスの街の住人を監視していた場所らしかった。


 だが、今は兵士が数人詰めているだけで、治安維持の任務は自警団に引き継がれているそうだ。



 その駐屯地を抜けると小さい山や平坦な草原が広がった先に、塀や城壁などを備えていない街が見えていた。


 事前にインバハネスのことを調べていたスザーナによると、ユグハノーツに比べて人口は少なく領内に住む者は周辺の村落を合わせても三万人ほど。


 ユグハノーツの半分程度の人しかいないのであった。



 周辺に魔物はある程度発生するものの、都市を守る壁は築かれていない。その理由はこの都市の住民は王国に良い感情を持っていないため、住民が蜂起し都市に立て籠もるようなことがいつ起きてもおかしくない。それを恐れた王国が、建設許可を出さないらしい。


 そのため、常に魔物の襲来に備えているインバハネスの住民たちは自衛の意識が高く、自警団が作られている。


 その自警団が王国の駐屯軍と諍いを起こし、武装蜂起に繋がることが多かったそうだ。



 だが、その諍いもラドクリフ家のジャイルが領主になるまでで、今は自警団が治安を守る組織としてそのまま雇われたらしい。


 そんなインバハネスの街に向けて、俺たちの馬車は進んでいた。



「駐屯地跡は利用されてないみたいだな……。保守のために少し人がいるくらいか」


「王国軍が引き上げて二年ですからね。あちこち草だらけみたいです。それに、ここでの通行者の確認も撤廃されたみたいですし」



 荷馬車は、かつて街道からインバハネスの街へ入る者の関所も兼ねていた駐屯地跡を抜けている。


 駐屯地と言われているが、周囲を壁で囲われているため、実質は砦と言っても差し支えないほど整備された場所である。


 そんな駐屯地も今は居残りの王国軍兵士たちが、暇そうに草むしりをしているだけだった。



「この設備を放置とは、もったいないな……」


「長く王国がインバハネスを統治してきた象徴みたいな場所ですし。それに、ここは独立王国だったインバハネスが屈辱の併合調印をさせられた場所ですから、住民たちからしたら壊したくてしょうがない場所かと思います」



 駐屯地を抜ける間、スザーナがこの場所に関する歴史を俺に教えてくれていた。



「そういうものなのか……。俺は生まれた時からハートフォード王国民という意識しかなかったが、ここの住民は違うのか?」


「併合され長く時が経ちましたから、インバハネスの住民も大半はそう思ってるはずですけどね。ですが、獣人族はやはりハートフォード王国では人族に比べ冷遇されていると思いますし、冷遇されれば今の世の中をひっくり返したくなるかと」


「そうなのか……」


「そういうものかと」



 たしかに王都では、その姿から獣人たちは珍しがられるし、差別というほどでもないが、人族からは無意識に下に見られていることもあった。


 王都では人数も少なかったこともあり、獣人は獣人としかつるまないと言われていた。


 だから余計に壁があった気もする。



「インバハネスは獣人の方が多い街なので、くれぐれもトラブルだけは避けていただけるとありがたいです。フリック様の腕前では街の獣人をすべて叩き伏せてしまえそうですしね」



 荷馬車を運転しているスザーナが冗談交じりに、俺に自重をしろと忠告していた。



 忠告されなくても、トラブルには気を付けるし、仮にトラブルになったとしても平和的な解決法を模索する気でいる。


 けして、獣人すべてを叩き伏せるなんて野蛮な行動をする気はない。



「大丈夫だ。俺はそんなに野蛮じゃない。話し合いが通じる者と喧嘩をするつもりはないさ」


「通じない相手とはどうします?」


「……相手が先に抜いたら、戦う。それだけだ。俺もそこまで優しいわけじゃないから」


「承知しました」



 俺の答えに満足したのか、それとも呆れたのか分からないが、スザーナはそれ以上の質問をしてこなかった。


 その後、馬車はインバハネスの街の入り口に到着する。



「いちおう中を検めさせてもらうぞ。今は我々インバハネス自警団が治安業務を請け負っておるのだ」



 簡易的な柵が作られた街の入り口では、武器を手にした獣人が街へ出入りする人たちの確認作業を行っていた。



 王都や街道で何人かすれ違った獣人は、人に近い容姿だったけど、獣人の本場はやっぱり獣化が色濃く出てる人もいるんだ。



 俺たちの荷馬車を改めている獣人は、狼の顔に人の身体を持ち、全身が灰色の体毛で覆われていた。


 獣人の身体に起きる獣化は、人それぞれらしい。


 耳だけが獣化するだけで容姿が人族に近い者や、顔や手足が獣化している者もいる、さらには獣化の元となっている生物に近い姿の者もいて、獣人と言ってもその姿は千差万別であった。


 今のところ確認されている獣人の獣化の元生物は兎、虎、猫、犬、狼、鳥、牛、狐の八種類だそうだ。



 あまりジロジロと見ては失礼だと思い、車内を検分する獣人をチラ見していた。



「とりあえず、車内は申告どおり女性が一人いただけで問題なしだな。来訪目的は?」


「こちらの冒険者ギルドに用事がありまして……ユグハノーツから参りました」


「冒険者ギルド……。そういえば中の女性は白金等級の冒険者だったな。それにそっちの剣士も冒険者か。こっちでしばらく依頼を受けるのか?」



 車内の検分を終えた狼の獣人の視線が、俺の外套の襟に着いた冒険者徽章に注がれた。


 彼の眼付きから察するに、この街では普段から他の街から流れてくる冒険者にはあまりいい感情を抱いていないと読み取れた。



「はい、しばらく街に逗留して依頼をこなそうという話に。それと私たちは――」



 スザーナが、自分たちはユグハノーツ辺境伯の使いであることを示す親書を見せようとした時、急に周りが騒がしくなった。



「て、敵襲――!! 翼竜だ! ドデカイ翼竜が飛んでるぞ!! 総員、弓を持ってこい!!」



 見つからないよう、かなり高い位置を飛ばせてたのに、見つけられたか……。


 獣人は目が人族よりいいみたいだ。



「ちょ、ちょっと待って。あの翼竜は敵じゃないんだ。実は――」



 見張り台からディモルに撃ち始めた獣人たちを制止しようと、俺は馬車を飛び降り、弓を持つ獣人たちに説明していた。



 ディモルを一人残すのは不憫だったので、弓が届かない高い場所を飛ばせてついてきてもらっていたが、その姿を目がいい獣人が見つけてしまったようだ。


 魔物の襲来に慣れているようで、見張りからの警告を聞いた獣人の自警団たちは、すぐに営舎に戻って弓を持ってくると、ディモルに向かって放ち始めた。


 だが、かなりの高度を飛んでいるディモルにまで届く矢はなかった。



「邪魔をするな。翼竜が人を襲わないわけがないだろうが!」



 俺たちの馬車を検分していた狼の獣人も、自らの弓を取ってきたようでディモルに向かって矢を放つ。



「お待ちください。あの翼竜は我が家の所有物です。あの翼竜に弓を引く者は、我がエネストローサ家に敵意を示す者と断定しますがよろしいか?」



 騒ぎに気付いたノエリアが荷室から出ると、弓を構えた獣人たちに対し、エネストローサ家の紋章入りのペンダントを見せていた。


 そのノエリアの行動に、獣人たちの弓を引く手が止まる。



「エネストローサ家……ユグハノーツの辺境伯か!? だが、翼竜は人を襲う――」


「安心してください。あの翼竜はそこのフリック様の言うことは必ず守ります。彼が食事をするなと言えば、餓死するまで永遠に食事を取らぬよう調教がなされています。万が一、翼竜が勝手に暴れたり、人を襲った場合はエネストローサ家がすべての責任を負うとここに明言いたします」


「そのようなことを言われても……こちらとしては困る」



 狼の獣人は自警団の責任者のようで、ノエリアの言葉を聞いて困惑した顔を浮かべていた。


 そんな彼に、スザーナがロイドの書いた親書の羊皮紙を見せていた。



「辺境伯様の直筆の親書です。領主様への親書であるため、中身は見せられませんが、ノエリア様が言われた通り、あの翼竜の起こした問題に関してはすべてエネストローサ家が責任を取ると書かれております」


「そのような話は事前に通してもらわねば困る。それに街に翼竜を入れるなど前代未聞だ!」



 狼の獣人は、スザーナの見せている親書を見てさらに困惑を深めていた。


 彼としては、勝手に通してあとで問題化するのが嫌なのだろう。



 このままだと、らちが開きそうにない。


 街を仕切っている代官の判断が下るまで、俺はディモルと街を離れた方がよさそうな気がしていた。



「ノエリア、俺はディモルとあっちの駐屯地にいるよ。あそこなら居残りの王国軍兵士に事情を説明してディモルの世話くらいはさせてもらえそうだし。その間に話を通してもらえるとありがたい」



 チラリと俺を見たノエリアだったが、やがてふぅとため息を吐くと、頷いていた。



「承知しました。ディモルの滞在の許可等をわたくしたちが交渉してまいります。終わり次第、駐屯地にお伺いしますので今しばらくお待ちください」


「助かる。ノエリアには苦労をかけて申しわけないな」


「いえ、フリック様のお手伝いができるのであれば、苦労だとは思いません」


「ほんと、ごめん」



 面倒ごとを押し付ける形になったノエリアに、深く頭を下げると口笛を吹いてディモルを呼ぶ。


 上空を飛んでいたディモルは、俺の合図に気付いて一気に地面まで降りてきていた。



「よ、翼竜が来るぞ!! 構えろ!!」


「ディモルは攻撃をしてこないから、落ち着いてくれ」



 急降下してくるディモルに反応した獣人たちが、再び矢を番えた。


 説得はできないと悟った俺は、すぐに魔法の詠唱を始める。



「見えざる空気よ。堅き障壁となって周囲に発現せよ。空気壁ウインドバリア



 俺は近づいてきたディモルの身体に空気壁ウインドバリアを発生させる。


 発動した魔法は獣人たちの放った矢を弾き返し、俺は地表スレスレまで降りてきたディモルの身体に飛び乗ると、そのまま駐屯地の方へ飛んでいった

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