第10夜  着々と……

 ーーガタン。


 楓が帰った明日葉。


 神楽の看病をしていた空幻は、その銀色の眼を鋭くさせた。

 後ろで戸が音を立てたからだ。


 乱暴に開けられた戸。

 そしてーー、気配。


「何の用だ?」


 空幻は神楽の脇で、正座をしている。

 戸の所に立つのは、漆黒の髪をした蒼い眼の男。


 端正な顔立ちから冷たい笑みが零れ落ちる。

 その姿は、黒い細身のスーツ。


 スタイルの良さを際立たせるシックなスーツだ。

 しっかりと白のワイシャツに、グレーのネクタイ。


 “東雲建設社長”と言う肩書きを失くしても、その品位と高貴さは消えてはいない。


「“東雲”」


 空幻はゆっくりと身体を向けた。

 和室の木製の格子戸を開けた……東雲の方に。


 正座したその姿を半身。

 向けた。


 銀色の眼と蒼い眼がぶつかる。


「楓はどこだ? “タタラ”を殺ったらしいな。」


 スーツのパンツのポケットに、右手を突っ込み立っている。

 毅然と。


「知らんよ。それよりーー、先に言う事があるだろう? 私の大切な者を傷つけたんだ。お前の仲間は。」


 空幻の表情は冷たく浮かぶ。

 東雲は、鼻で笑う。


「仲間? そんなものいねーよ。勘違いされると困る。アイツらは、勝手に動いてるだけだ。俺が指図した訳じゃねー。」


 東雲の声は太く低く響く。

 美しさの中に浮かぶ狂気が、声にも滲む様だ。


「ここにはいない。私はお前の顔を見たくもない。帰れ。」


 空幻はゆらり……と、立ち上がる。

 東雲と向き合う。


「冷てーな。“唯一の肉親”だろ? 兄貴。」


 東雲は口角をあげた。

 冷めた笑みだ。


 空幻の銀色の眼がギラつく。


「二度は言わせるな。それにお前はもう“弟”ではない。」


 真っ直ぐと見据えるその銀色の眼を、東雲は見つめると、ふっ。と、笑う。


「それは結構。忠告に来ただけだ。肉親としてな。」


 東雲は、そう言うと踵を返した。

 部屋を出ようとした。


「待て。何をするつもりだ。この現世で。」


 空幻はそう聞いた。

 それは睨みを解かない眼のままで。


「……“願いごと”ってのは、思うだけじゃ叶わねーんだ。兄貴。叶えるには“力”が必要だ。絶対的な力が。」


 東雲は空幻を見る事なくそう言った。

 空幻は右手を向けた。


 そこから放たれるのは、“小刀”だった。

 それが数本。


 東雲に向って放たれた。


 ゆら………


 東雲の身体は揺れる。

 陽炎のように。


 そのまま、東雲の姿は消えた。


 小刀は素通りして、戸の向こう側。

 通路の壁に突き刺さっていた。


「“影”か。」


 空幻は呟いた。


 陽は堕ちてゆく。



 ✣




 ーー楓は、夕暮れの落ちてゆく空を見上げていた。

 淡雪街のビルから。


 その屋上にいた。


 街のなかは何も変わらない。いつもと、同じ賑わいだ。


「……東雲。どこにいる。」


 ぎゅっ。


 右手を握り締める。


(くそ。居場所がわかんねぇとどうにもなんねぇ。闇喰いの巣を解放しまくってるし……。妖狐のおっさんはもうねぇ。とか、言ってたけど、まだあんじゃねぇか!)


 ガシャ!!


 楓はフェンスを掴んだ。

 両手で。


(……皇子みこ……。どーすればいいんだ。このままだと、あの黒坊主みてぇのや、タタラみてぇのがこの現世に来る。オレはどーしたら!)


 楓はフェンスを掴んだまま、俯く。

 顔に掛かるのは夕陽の灯りだ。


(……大切な者を護る為にはどうしたら……)


 ヴ〜……ヴ〜……


「ああ……“またか”……」


 楓の胸元でバイブ音が響く。

 さっきから数分置きに鳴る。


 葉霧からの着信だ。


 だが、楓は出れなかった。


 今も出ようとはしない。


 楓は顔を上げた。


(……“紅蠍べにさそり”……。秘薬。もしかすると……東雲は、“北のヌシ氷瑚ひょうご”の時から……オレ達を狙ってたのかもしんねぇな。あの時も……“鬼娘”だと言ってた。)


 凶と爆は、楓の事を知っていた。


(秘薬……“祈仙きせん”だったな。もしかしたら……なにか知ってるかもしんねぇな。)


 楓はフェンスにたんっ。と、飛び乗った。


 そのまま蒼月寺に向かう。


(祈仙……。お菊とフンバか。)


 その者の居場所を、知ってるのはこの二人だ。

 秘薬を貰いに行っていたからだ。


 街中を飛び、楓は蒼月寺に急いだ。



 ✣



 ーー“蒼月寺”では、玄関で葉霧が鬼の様な顔をして待っていた。


 だが、楓はその顔を見ても


「葉霧。聞いてくれ」


 と、いつもの様に謝り倒すことはしなかった。

 すると、葉霧は


「聞いた。さっき……“空幻さん”から連絡を貰った。」


 と、やはり鬼の様な形相をして、腕を組み立っている。

 楓を見下ろしていた。


「え……? またなんかあったのか?」


 楓の顔色は変わる。


 葉霧はそんな楓を見ると、息を吐いた。


「東雲が来たらしい。」


 玄関先ではあるが、話を続けたのだ。


「なんで?」

「それはコッチの台詞だ。“知ってた”んじゃないのか?」


 楓の言葉を遮る葉霧に、


「なにを?」


 と、聞き返した。


 葉霧は冷たい眼を向けていた。


「空幻さんは……東雲の兄だそうだ。」


 と、そう言ったのだ。


「え? そんなの知らねぇよ。聞いてねーし。ん? てことは……。東雲は空幻に会いに行ったのか? なんでだ?」


 楓は考え込みながら、葉霧に聞いた。


「俺が知るワケないだろう。」


 葉霧はため息ついた。


(知らないのは本当らしいな。)


 と、楓の様子から“嘘をついている”とは、思えなかった。


「それで? 今までどこで何をしていた? 電話にも出ないで。三時間の約束は?」


 葉霧はどうやら許すつもりはないらしい。


「あ。違う。葉霧。祈仙だ! お菊とフンバだ!」


 楓は途端にそう言うと、スニーカー脱ぎすてばたばたと、玄関にあがったのだ。


「はぁ? まだ話は終わってない!」


 葉霧はさっさと和室に向かう楓に、怒鳴る。


「説教でも正座でも後で聞くよ! お菊! フンバ!」


 楓は和室に入るとそう叫んだのだ。

 葉霧はため息つきながら、和室に向かう。


(正座を聞く。って何だ?)


 冷静な突っ込みは忘れない。



 こうしてーー、お菊とフンバを連れて、楓と葉霧は“祈仙きせん”に、会いに行くことになる。



 ーー技藝から貰った馬車には、お菊ともぐらのあやかしのフンバがいる。


 葉霧は窓の外を眺めるお菊を、抱きながら目の前に座る楓に目を向けていた。


 フンバもお菊と一緒に窓の外を眺めている。


「空幻さんから話は聞いたが……何でそう勝手なんだ。」


 葉霧の咎める様な声に、楓は腕を組んだまま


「葉霧。もしかして……北のヌシ氷瑚ひょうごを、暴走させたのって……東雲なんじゃねぇのかな?」


 と、そう言った。


「楓。話をーー」

「葉霧! 後で聞く! なぁ? 東雲はオレらをずっと狙ってたんじゃねぇのか? あの凶ってヤツを使って北のヌシを、差し向けたんじゃねぇのかな?」


 葉霧の声を遮ったのは、楓だった。

 そのいつも以上に、興奮している楓に、お菊とフンバも顔を向けた。


「楓殿……」


 フンバはとても心配そうな顔をしている。

 隣のお菊もだ。


「だとしても……何も変わらない。始まりがどうであれ、その過程が何であれ、“倒すべき敵”だ。深く考えても仕方がない。」


 葉霧はそう答えた。

 楓の興奮はこの冷静な反応に、治まっていく。


「……ああ。そうだよな。確かに……」


 と、そう言った。

 その顔を俯かせる。


「“止めてくれ”」


 葉霧の言葉に楓は顔をあげた。


「空幻さんからの“伝言”だ。そのまま伝える。“止めてくれ”と、そう言っていた。」


 葉霧の表情はとても冷めている。


「……兄弟だったんだな。知らなかった……」


 楓は顔を俯かせた。


(親が人間の母親と鬼の父親。それしか知らなかった……。鬼なのか人間なのか……東雲もいつも、気にしてた。オレもアイツがどっちなのか……よくわかってなかったし、もうちょい……話を聞いてやるべきだったのかもしれない。)


 楓はぎゅっと右手を握りしめた。


「余計な事は考えるな。“過去は取り戻せない”。俺達がやるべき事は……これ以上。“死者を出さないこと”」


 葉霧は窓の外を見つめていた。


「……わかってるよ……」


 楓はそう呟く。


“後悔する気持ちになるのも、優しさを与えて貰った”からこそわかる感情だった。


 葉霧に出会ってなければこんな感情には、ならなかっただろう。こんなに深く“他人の気持ち”を、考える様にならなかったであろう。


 楓も少しーー、“本当の優しさ”を知ったのだ。

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