悪の華

第二十七幕 悪の華(Ⅰ) ~開花

 その日、リベリア州全土に激震が走った。いや、それ以外の州やひいては帝都にまでその報せ・・は、遍く中原を駆け巡った。


「エ……エトルリアが……陥落・・!?」


 ゴルガの宮城内にあるディアナの個人用執務室。そこでディアナは訪れたアーネストから驚愕の報せを聞かされて絶句していた。


 アーネストが神妙な表情で頷く。



「はい……一夜にして崩壊し、エトルリア公のバルトロメオは殺害され、全く別の勢力が州都を支配しました。……簒奪・・です」



「……!!」


 聞き間違いではなかったと理解してディアナは息を呑んだ。エトルリアはこのリベリア州の州都である。当然ゴルガとは比較にならない規模の街であり、そこを支配しているエトルリア公のバルトロメオは1万近い兵力を有しており、このリベリア州では最も強大な勢力として、ディアナもアーネスト達も州内統一に際して最大の障害と認識していた相手である。


 それが一夜にして崩壊して別の勢力に乗っ取られたとあっては、驚くなという方が無理な話だ。


 彼女が驚いたのはそれだけが理由ではなく、そもそも『簒奪』が発生した事自体についてもだった。



 この中原では新たに勢力を興す手段として2つの方法があり、1つは勿論『旗揚げ』だ。ディアナ達がやったように私兵や同志を集めて、どこか既存の勢力に戦いを挑んで都市を奪い取り実効支配するのだ。


 そしてもう1つが『簒奪』である。これが今回のケースに当てはまる物で、既存の勢力に仕えてから君主に対して反乱を起こして勢力を乗っ取るというやり方だ。


 『旗揚げ』も決して楽ではないが、『簒奪』はより難易度が高い。周到な準備が必要になる上、露見すればその時点で終わりだ。イメージも良くないから賛同者も得られにくく、計画を実行できるような戦力を整えるまでに何年も掛かってしまうケースも珍しくない。


 それで成功すればまだ良いが、実際には時間が経てば経つほどどこからか計画が漏れる確率も上がっていく。結果何年も周到に準備した簒奪計画が一瞬で水の泡と消えて自身も処刑される、というケースが殆どだ。『簒奪』は割に合わない、というのが中原での共通認識であった。


 しかしアーネストの話が本当なら、直近でその『簒奪』を成功させた者達がいるという事になる。それも大勢力と言っていい州都エトルリアのバルトロメオ軍でだ。



「い、一体誰が……? 名前やその他の情報などは……」


「残念ながらまだ情報が錯綜していて、確定的な情報を精査している段階です。しかし……大勢力に対する簒奪、しかもこの時期にとなると、我々はその条件に当てはまる・・・・・・・・者達を良く知っているはずですね?」


「あ……」


 アーネストに言われてディアナもすぐに気づいた。まさに今、自分たちが暗闘を繰り広げている相手……


「まさか……エヴァンジェリン一味ですか!?」


 以前にトレヴォリでの事件でバジルが調べてくれた内容。確かエヴァンジェリンはとある太守の愛人の座に収まっていて、尚且つその地位の簒奪を目論んでいると。


 まさに今回の条件にピッタリと当てはまる。エヴァンジェリンは州都エトルリアのバルトロメオ公の愛人だったのか。


「バルトロメオ軍であれば、ペリオーレの事件の際にあれだけの兵力を軽々に動員できたのも頷けます。まだ詳細な情報は届いていませんが、十中八九奴等の仕業と見て間違いないでしょう」


「……っ!」


 ディアナは緊張に喉を鳴らす。エヴァンジェリン一味とはこれまでにも暗闘を繰り返し、相当な脅威である事が解っている。そして彼女を罠にはめて殺しかけ未だにトラウマとなっているフレドリックや、彼女を自分の物にすると公言していたユリアン、そして何より……あのオズワルドがいる。


「……っ」


 ディアナは小さく身体を震わせる。それは緊張だけでなく、恐怖・・による物でもあった。


 エヴァンジェリン一味は強敵だ。フィアストラ軍など比べ物にならない。ましてやそれがエトルリアの国力と兵力を全て得たとするなら……



「しかし……考えようによっては、むしろこれでやりやすくなった・・・・・・・・とも言えますね」



「え……?」


 ディアナが見上げると、アーネストは不敵とも言える表情で口の端を吊り上げていた。


「今までは連中の拠点や規模が分からず後手に回るしかありませんでしたが、これで奴等の全容も居場所もはっきりします。しかも国同士の戦いという事なら条件は互角です。奴等は言わば手の内を晒したようなものなのです」


「……!」


「しかもこのタイミング。恐らくディアナ殿がソンドリア郡を統一して《公爵》として承認された事で、エヴァンジェリンは焦ったのかも知れません。我々自身も既に奴等にとって脅威・・となりつつあるのです」


「…………」


 アーネストの話を聞いている内にディアナの心は平静を取り戻していた。そうだ。自分はこれまでの経験で必要以上に奴等を恐れてしまっていたのだ。


 今や自分も1郡3県を領有する、押しも押されぬ《公爵》だ。エヴァンジェリンからしてみればディアナは既に難敵・・のはずなのだ。



「……ありがとうございます、アーネスト様。お陰で落ち着きました」


「どう致しまして。しかし勿論奴等が強敵である事は紛れもない事実。自信を持つ事と油断する事は同義ではありませんので、そこはご注意下さい」


 アーネストは優雅に一礼しつつ忠言する。過度の自信は油断に繋がる。ディアナもそれを決して忘れず肝に銘じる事とする。



「でも……そういう事なら、今のうちに軍隊を編成してエトルリアに攻撃を仕掛けるべきでは?」


 今なら簒奪の直後でエヴァンジェリン達も混乱しているかも知れない。そこを上手く突けば一気に一網打尽に出来るのではと思ったが、アーネストはかぶりを振った。 


「それは正直かなり危険な賭けになりましょうな。向こうにも軍略に長けた者がいます。そうした状況を想定していないとは考えられません。間違いなく何らかの罠が待ち受けているでしょう」


「……!」


 確かに敵にはあのオズワルドがいる。あの男がディアナ程度が考えつくような行動を予測していないはずがない。


「それに地理的な問題もあります。エトルリアに直接攻撃を仕掛けようとすれば、こちらも『嘆きの荒野』から進軍する以外にありません。奴等もそちら方面には相応の備えをしているでしょうし、何より進軍ルートが限定されているのは罠を仕掛けてくれと言っているような物です」


 アーネストが早期決着を勧めない理由を指折り挙げていく。


「更に言うならばエトルリアに総攻撃を仕掛けようと大量の兵を動員すれば、周辺諸侯に付け入る隙を与える事になりかねません。敵はエヴァンジェリン一味だけではないのです。我が軍もソンドリア全域を手中に収めたばかりで安定しているとは言い難い現状もあります」


 平和的に接収したペリオーレはともかく、侵攻して攻城戦まで行って併呑したフィアストラはまだ安定した統治がなされているとは言えない状況であるのは事実だった。今はバジルが直接現地に赴いて統治体制を整えている真っ最中であり、混乱が収まるにはもう少し時間が掛かるだろう。


 ちなみにバジルが不在の間、ゴルガの内政はヤコブが請け負ってくれていた。



「そう……ですね。確かに今は国内を安定させる事が最優先事項ですね。周辺勢力への警戒も必要ですし。アーネスト様のご意見も尤もです。分かりました。今は国内の地盤固めと国境の警備体制作りを優先しつつ、エトルリアを含めた周辺勢力の情報収集を徹底させましょう。私自ら皆に通達しますので、すぐに臨時評定の手配をお願いします」


「畏まりました」


 ディアナの指示を受けてアーネストは再び深く一礼する。自分の意見に固執する事なく素直に助言を聞き入れ、しかしただ言いなりではなくきちんと自分で勘案した上で、躊躇う事なく決断を下せる……


(……武将としてだけではない、この方は君主としても着実に成長なされている。エヴァンジェリンや他の有象無象共などに絶対にこの芽を摘ませはせんぞ)


 ディアナの姿を眩しげに見据えながら、アーネストは内心でそう固く決意するのだった……


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