第51話 求められる品

 静かな病院の地下にある一室にて、千夏はベッドの上にうつ伏せになっていた。彼女の姿は灰色の怪鳥、キャリアーの姿になっており、大きく広げられた翼が呼吸に合わせてゆっくりと揺れ動いている。

 そんな彼女を見下ろす人影が一つ。中年の女医が大きなピンセットを持ち、千夏の背をじっと見詰めている。


「じゃあ、ちょっと痛いでしょうけど我慢してね」


「は、はい……」


 女医は手袋をした手で千夏の腰を押さえる。そしてピンセットで腰の羽毛を摘まみ、おもいっきり引っこ抜いた。


「いっ……」


 痛みに一瞬身体が跳ね翼が暴れる。その力は強く、女医を簡単に押し退けてしまった。


「っと。痛くても暴れないでね黄川田さん。羽を抜くくらいなら麻酔いらないって言ったのは貴女でしょ?」


「ご、ごめんなさい。意外と痛かったので……」


 もう血も出ておらず、既に痛みは退いている。多少痛かろうと、下手に動いて彼女を傷付けまいと集中する。その間に女医は千夏の腰周りの羽毛を何本も抜きガラスケースに入れた。


「腰が終わったから、次は左の翼から抜くよ。台を置くから、伸ばした翼はそこに置いて……そう、そのままじっとしてて」


 台の上で翼を押さえる。羽毛の感触が心地好く、もう少し撫でていたい。

 しかし今は仕事中だと自分に言い聞かせ、羽根を一本、二本も何本も引っこ抜く。


「痛……」


 毛を抜いた程度だと思っていたが、想像以上の痛みだ。流石に子供のように騒ぐ程ではないが、痛いものは痛い。

 そんな千夏の気を知らず、女医は抜いた羽根を眺めていた。


「へぇ……」


 毛並みは真っ直ぐ生え揃い、大きく美しい。その辺で見掛けるハトやカラスのものとは段違いだ。まるで一本のナイフ。大きさも通常の鳥と一回り以上も大きい。


「あの……」


「ああ、ごめんなさい。ちょっと見とれていたわ」


 慌てて羽根をガラスケースにいれ、次にシャーレとメスを取り出した。


「羽毛の次は皮膚と血液。もうしばらくその姿でいてね」


「……はぁ」


 千夏はそう淡々と話す彼女に驚いた。以前検査に立ち会った医師はこの姿に不快さを示していたのに、自分の姿を気にせずに仕事をしているのが不思議に感じる。


「あの、私が怖かったりはしないんですか?」


 そう聞くが彼女は千夏と視線を合わせず、手を止めずに採血器具を並べ始める。


「別に気にしてないし、藤岡君で慣れたってのもあるわ。……取り敢えず採血を先にしましょ。で、その後で一応局所麻酔して皮膚を採るわね」


「は、はい」


 あまりにもドライな物言いに千夏も言葉を失う。

 確かに化け物と呼ばれら畏怖や侮蔑の視線を向けられるより圧倒的に楽。嫌われるのも勿論、怖がられるのも精神的に苦痛だ。だから正直嫌ではない。だがどうも調子が狂う。

 女医は腕を包む羽毛をハサミで切る。


「全く気にしていない訳じゃないけど、研究の為ならってのもあるかな。医師として、ヴィラン・シンドロームをどうにかしたいし」


「そう……ですよね」


 研究の為、その一言が耳に残る。

 こんな凶悪な病気をどうにかしたい。病気の話しを博幸から聞いた千夏にもその気持ちはある。


「私の身体で治療法が見付かるかもしれないんだし。今日のサンプル採取も協力しないと」


「………………」


 ハサミを動かす手が止まる。


「これが、本当に治療法の研究に利用されるならね」


「え? それ以外にあるんですか?」


 今までの淡々としたものと違い、暗く重苦しい口調だ。

 ふと見ると、彼女は眉間に皺を寄せハサミを置きため息をつく。


「黄川田さんよく考えてみなさい、このヴィラン・シンドロームの事を。これがただの病気で終わりはしない。ある分野でとんでもない価値があるのよ」


「何に価値があるんですか?」


「軍事利用よ」


 その一言に千夏は思わず息を飲む。


「ウイルスは下手な細菌兵器よりも凶悪だし、グローバーやアサルト・キュアなんか純粋な兵器として利用出来る。キャリアーなんか、コントロールが可能になれば強力な生体兵器になる。黄川田さんは自覚がある? 自分が強力な兵器になりうる存在って」


「私が? そんな大袈裟な……」


 そんな訳ないと笑うも、彼女目は冷ややかだ。断言している、笑い事じゃないと。


「あのね……真っ暗な場所でも問題無く知覚し、鋭い爪と強靭な筋力で人体をバラバラにするのもお手の物。そんなのが音も無く飛び、あまつさえ小柄な女の子の姿をしているのよ」


「…………」


 否定出来なかった。身体能力は成人男性を軽く捻るレベルで、指先の爪もナイフのように鋭い。それを自分もよく解っている。その気になれば、このまま女医の胸に腕を突き立て心臓を抉るのも可能なのだ。


「水中を自在に泳ぐ者、空を自力で飛ぶ者、時速数十キロで走る者。更には毒や爪、角で武装していて、銃で撃たれたくらいじゃ死なない。立派なとして使えるわ」


 彼女は千夏の羽毛が入ったガラスケースを取り出す。


「パンデミックが発生すれば多くの人が発症し内側から崩壊を起こすし、更に発症者は合法的に消せる。わざとウイルスを撒いた後、核で焼き払ってもそれが正しくなるってのもあるわね」


 深いため息。その目に映るのは哀れみだ。

 そして千夏も彼女の話しがあり得るのを理解している。


「確かにそうですけど、今はそんな事をしてる場合じゃ……」


「そうね。貴女の言う事は正しいし、それが理想だと思う。けどね、人間が全員同じ事を考えている訳じゃないの」


 人類の危機とも言える状況だ、ヴィラン・シンドロームの利用より対処の方が優先に決まっている。お互いに手を取り合うのが普通だと思うだろう。

 しかし人類も一枚岩ではない。助け合う者もいれば、私腹を肥やす者もいる。

 災いに打ち勝った後の事も考えなければならず、そもそも脅威は手に入れられれば強大な力となる。ヴィラン・シンドロームは人類の敵であるのと同時に新たな資源だった。

 現に対人用のアサルト・キュアが開発されているのを千夏は知らない。人同士が争う未来は既に確立されているのだ。


「それは……そうですけど……」


 千夏も頭では解っていた。人が皆同じ想いなら戦争なんか起きやしない。こんなの理想論だと自分でも理解している。

 そうして俯く千夏に女医も言葉を閉ざす。やがて沈黙を破り口を開いた。


「本当は話すつもりはなかったんだけど……」


 彼女の口調は重々しい。話すつもりはなかったと言うより話したくはなかった、そんな気持ちが伝わってくる。


「実はね、黄川田さんのサンプル提供にとある国からあるモノが欲しいって話しがあったの」


「あるモノ?」


 いった自分の何処を欲しがるのか、千夏には想像もつかない。謎にただただ首を傾げるだけだ。


「ええ。因みに断っているから安心して」


「断ってるって……何が欲しいって言われたんですか? も、もしかして心臓とか……」


 断るだなんて相当な代物だろう。普通の人間ならば死んでいるような物でも、キャリアーなら再生させ命を繋ぎ止められる。

 千夏はそういった重要な臓器だと思っていた。だがその予想は外れる。それも酷く不快な方向に。


「…………をよこせってね。再生するんだから採れるだけとかふざけてるわ。隠すつもりもないってのが、いっそ清々しっての」


 彼女の声には明らかに怒気が見られる。当たり前だ、女性としてこの要求がどれだけ非道なものかわかっているからだ。

 当然そんな要求に千夏も我が耳を疑い、開いた口が塞がらない。

 何を求められているのか言葉では理解している。そして今年十七になる千夏にも、自分の腹の中に何があり、それがどんな機能を有しているかも知っている。


「え? な……何で?」

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