第21話 被害者かつ加害者
少女の様子は卓也の目から見ても明らかにおかしかった。唸りながら歩くその姿は、ボロボロな身体も相まってゾンビのようにも見える。
「高岩さん……あの、もしかして。彼女は感染していたのか?」
「当たり前でしょう。創傷と性感染の両方だもの」
「マジか……」
忘れていた、ヴィラン・シンドロームの感染経路を。キャリアーやベクターから傷つけられる、血液や体液に触れる。彼女の惨状を考えれば、感染していない方がおかしいくらいだ。
「彼女はウイルスに耐えられなかった。そうなれば…………」
「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
咆哮と同時に少女が黒い毛で形成された球体に包まれ、即座に毛が四散する。そこにいたのは一体の巨大ネズミ、ベクターだった。
「発症者になり、更に感染を拡大する」
「………………うっ」
他の人が変身するのは初めて見た。その姿はあまりにも痛々しく苦しそうだった。
もう少女の瞳には理性も知性も感じられなく、ヒトとかけ離れたケモノのような眼光を宿している。
「こうなったらおしまい。処分するしか道は無いわ」
かつて少女だった存在を見る美咲の声は、氷のように酷く冷たく聞こえる。頭では理解しているものの、心は納得していなかった。
「そんなの……ありかよ……。あの子は、何も悪くない。一方的な被害者だろ……」
やるせない気持ちだけが身体を満たしてゆく。
「ギッ!」
発症者は抗体を有する存在に異常なまでの嫌悪感と敵意を抱く。二人を放置せず、逃げもせず、ベクターは飛び掛かった。
美咲は無言で刀を構えるが、彼女を押し退け卓也が走り出す。
「藤岡君!?」
「クソッ!」
身体能力はキャリアーである卓也の方が上だ。ベクターに掴み掛かり、振り払おうと暴れるが腕を押さえ付け押し倒す。
「しっかりしろ。負けちゃダメだ、君だって…………」
がむしゃらに語りかけ、彼女の意識を呼び戻そうと躍起になる。
しかし暴れ狂い言葉も失った少女は今やただの獣。卓也の言葉が耳に届きはしなかった。グローバーと同じく抗体を持つ卓也に純粋な敵意を向けている。
「こんな苦しんで終わりだなんて嫌だろ!? このままで良い訳無いだろ!」
ただ心のままに叫ぶ。
こんな最期が良いはずがない。ただ傷つけ辱しめられ、化け物にされた挙げ句殺される。そんな事を受け入れる人が何処にいようか。
「…………」
不意に抵抗する腕の力が緩む。
「っ!」
届いたのか。人の心を取り戻せたのかと期待に胸が高鳴る。だがそう思った瞬間、卓也の脇腹に鋭い衝撃が走り突飛ばされた。
「ぐっ……」
尾だ。長い尾を鞭のようにしならせ卓也を突飛ばしたのだ。
どれだけ語りかけようとも無意味。ベクターと化した彼女に心は無い。その胸に在るのはたった一つの本能。
「ギェァァァァァァァァァァァァァ!」
ヒトを襲え。外敵を排除せよ。眼前の抗体を持つ生命体を抹殺するのだ。
爪を伸ばし、立ち上がろうとした卓也を襲う。
「うおっ!?」
寸での所で腕を掴み、爪先が眼球の目の前で止まる。
「ぬっ……ぐっ…………」
「ギアァァァ……」
ベクターは涎を滴しながら笑うように目を細めた。
本来なら能力は卓也が上である。しかし上から腕を伸ばすベクターと、膝を着き押さえ込まれるような体勢の卓也では不利だ。
上を取られるのは非常にまずい。今は持ちこたえているが、それも時間の問題。突き立てられた爪はジリジリと近づいてくる。
「…………全く」
そんな声が聞こえた瞬間、何かが目の前を横切りベクターの腕から力が無くなる。
頭が消えた。残された首筋は緑色に変色し、少しずつ下へと広がってゆく。
本来頭があった場所からは、背後に立つ美咲の姿があった。
「高岩……」
「…………」
彼女は無言でベクターの肩を掴み地面に投げ飛ばす。そして刀の切っ先を心臓に突き刺した。
抗体が流し込まれ、刺し口から全身が緑色の粘液へと融解してゆく。ものの数秒で黒い獣は形を失い、そこには緑色の水溜まりが残されただけだった。
「何で……」
卓也は強く拳を握る。助けられなかった、悔しい、そんな感情が胸を締め付ける。
「気持ちは解るけど……。発症したベクターは姿も戻らない。こうするしか無いの」
「だとしても、こんなのって……」
地面を殴りその場にへたりこむ。急に力が抜けたような、何とも言えない虚脱感が卓也を襲う。
「一方的な被害者だろ? 松田のせいで、こんな……」
加害者は悪だ。そして被害者も同罪として裁かれているようなものに見える。まるで泥棒は悪、泥棒に入られるような間抜けも悪。そんなでたらめな言いがかりにしか感じられなかった。
自分もベクターを倒した事はある。あの時は自分が本当にヒーローになったかのように、怪人を倒した感覚しかなかった。しかし今は違う。人が感染、発症し変貌していく様を見せられ、元々が人間だと嫌と言う程思い知らされてしまった。
今の卓也には、発症者は文字通り病人なのだ。
そんな肩を落とす卓也と違い、美咲は眉一つ動かさなかった。
「藤岡君、少し勘違いをしているよ」
「勘違い?」
「松田君も被害者よ」
美咲は刀を鞘に納める。
卓也は首を傾げたが、すぐにその意味が解った。松田もまた何処から……いや、誰かから感染させられあのような姿になってしまったのだ。もし彼が感染していなければ、こんな事は起きなかっただろう。
「確かに元々の性格にも難はあるわ。それがキャリアー化したせいで増長しているみたい」
「増長?」
「キャリアー化すると人に対して高い攻撃的な性格になるの。大人しい、虫も殺せないような内気な人が血と暴力に快楽を感じるくらいに。松田君は元の性格が悪い方向に行ってしまったみたいね」
おそらく美咲の言っている事は正解だろう。元の性格だけでなく、キャリアーとしての悪意が重なりあった結果なのかもしれない。
「つまりさ……松田が全て悪いって訳じゃないと?」
「少なくとも私はそう思っている。まあ、感染源を含めて彼を止めるのが優先だけど」
そうだ。松田だけでなく、彼にウイルスを感染した者も倒さなければ犠牲者は増える一方だろう。
しかし卓也の心に掛かった霧が晴れない。
「高岩……さんはどうして戦えるんだ? 罪悪感とか無いのか?」
卓也は戦う気力が無くなっていた。自分の行いが正しいのか、病に侵された人々を討つ事に躊躇いを感じていたのだ。
あれだけあったやる気も失せ、夢から覚めたような気分だった。
そんな卓也の問い掛けに美咲は空を見上げる。欠けた三日月の夜空を一瞥し、卓也の方を向く。
「こんな事ばかりでやるせない気持ちを感じる時もある。病気なんだから命を奪わずに治す方法が無いのかと悩んだ事もあった……」
一瞬言葉を詰まらせ拳を握りしめる。
「だけどこうするしか無い。覚悟はしている。命を奪う事も、罪を背負う事も」
彼女の言葉は真っ直ぐと力強い響きがあった。悩みを振り切り、自らの意思と覚悟を持っている。
「上の人は私達グローバーの戦闘を
頬に水滴が当たる。ポツリポツリと雨が降り始める。
「犠牲者を出す前に、発症者が本当に怪物になってしまう前に止める。それが私達の仕事。それが出来ないなら……」
雨に濡れたバイザーを外し、卓也の目を真っ直ぐと見詰める。
「…………藤岡君。君はこの場に来るべきじゃなかった。研究に協力しているだけで良かったのよ」
そう言われ、卓也は反論出来なかった。彼自身に戦う意思も、覚悟も無いのだから。
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