虚盗の魚 10
いっときは改装し、配送センターとして利用されていた様子だ。ショッピングセンターの一階部分は壁が全て取り払われると、神殿よろしく晒す柱にゆるくチェーンを巻きつけ人の出入りをカタチばかりは拒んでいる。そのたるんだ箇所からドゥカティは中へと侵入していった。埃まみれのフロアへ細い轍を刻み静かに奥へと進んでゆき、ヘッドライトが見つけたスロープ型のエスカレータを踏んで上へ向かう。三度の反転を経てパーキングエリアへ出ると、さらに伸びる螺旋をなぞり吹きっさらしの屋上へと抜け出した。
逃げてきた通りがよく見渡せる。ライトを連ねて宅配車の列は循環しており、吹き上がってくる風もろともしばし光景を見下ろした。ちらり、のぞき込んだだけのおれんじはといえばもう、十七分が尻にしていたドゥカティの薄いタンクバックからモバイルパソコンを抜き出すと、地べたにかいたあぐらの上でキーボードを叩いている。一部始終に口を挟めるようなスキはない。そんなおれんじとまだ温かいドゥカティを十七分もまた、遠巻きにおっかなびっくり眺めていた。
「触らないでください」
「て俺、もう乗っちゃってんだけど」
ついぞ赤いボディーへ触れかけ釘を刺される。
「追いかけては来てないようだぜ」
見下ろしていた景色から、そんな二人へ振り返った。
「うん、監視カメラのマスク、間に合ったみたい」
こぼすおれんじの手元では例のごとく膨大なデータが、流れ落ちている真っ最中だ。
「おお、ナルホドっ。さすがおれんじさんっ。それにカワイイ」
などと下がりきった目じりの十七分は邪魔でしかない。とにかくこちらへも視界にマスクをかけた。同時に「遠慮」の二文字もまた消し去る。
「どうしてあそこに俺がいると」
「それは」
吐いたおれんじが、モバイルから指を浮き上がらせた。
「あたしもアバターロボットでうろついてたから。ちゃんと近所の監視カメラをモニターしながらね。だから治安局の動きを知ってサーバーへ潜り込んだ。ドローンへはどうにかトラップを流し込めたけれど、カメラは知り合いに頼んだからちょっと不安だったの。でないと間に合わないと思ったし」
風に乱れた髪を耳へかけなおし、もう一度、画面を確認する。納得したのかモバイルを閉じると、クロスした足で軽々立ち上がってみせた。
だとしてはぐらかされたりしない。
「お前、ツケてたのか」
落ち着きのなかった十七分の動きも、そこでようやく止まる。目を合わせようとしないおれんじだけがドゥカティのタンクバックへ、モバイルを放り込んでいた。
「クロが捕まったらあたしもヤバいでしょ。あたしが無事でも、そのあと刈りで困る」
「違う。俺はツケてたのかって聞いてんだよ」
そう、質問の返事はイエスかノーかだ。
「な、俺たち三人でやらね?」
間へ、マスクしたはずの顔は突き出されていた。
その向こうでおれんじは、たまりかねたように振り返る。
「ええそうね、以前は。陸のクロを探し出すのにこれでも苦労したんだから。その時、あの店に出入りしてるって知った。それからあたしも時々アバターで通ってるだけ。今日はたまたまよ」
「衛生局の件で、か」
そうとしか思えない。たとえば十七分の言う通り、移住の順は迫ると身バレで台無しにしたくないのか。それともそんな心配よりも、なんだかんだと言いながら信用できない相方の素行を張っていただけか。たたみかければおれんじは、あろうことか開き直る。
「知っている場所はほかにもあるけど。今、言っておいた方がいい?」
眼下を順調に流れていた宅配車が、次々路肩へハンドルを切っていた。吐いて捨てるほど出た逮捕者だ。治安局員が回収に呼んだに違いない。傍らをかすめ治安局のバンは連なり「ゾフルーザ」へと走っていった。
風はといえば、まだ止んでいない。
「あっれぇ」
と、おれんじとこちらを見比べた十七分が、やおら素っ頓狂な声を上げて交互に指を突き付け回る。
「もしかしておふたりさん、つき合ってたり、しちゃったり、してぇ」
やはりこいつは振り落とすべきだったと思えていた。
「未成年に手、出すかっ」
一喝すればおれんじも、目玉を回しふらつくような足取りで踵を返す。ハンドルを握りしめるとすっかり冷めたドゥカティへ、小さな尻を押し付けた。
「あと二時間はあなたの顔、識別できないようになってるから。また連絡する。それから十七分さん」
などと初めて認識されたせいだ。とたん十七分はこれでもかと背筋を伸び上げてみせた。
「はいぃっ」
「あたしのことむやみに口外するようだったら、人生ごと潰すわよ」
「喜んでぇっ」
違うだろ。
「ここからは歩いて帰って」
受け答えの崩壊している十七分を放っておれんじは投げる。その手がエンジンを噴かせたかと思えば手際よくブレーキは離されて、振り返ることなく目の前から走り去っていった。
「あー、おれんじさんっ。まだオハナシがぁっ」
手を振り上げて追う十七分もまた引き連れて。
治安局のバンを行かせた通りはもう、必要なだけの日常で平静を繕いなおしている。
そうする。
言う代わりだ。
己が光に目を細めた。
「知らねぇのか」
なるほど風は雨を引き連れてきたらしい。降り出すと、見る間に足元へ黒い染みを広げてゆく。
「小細工なしでも陸の王者は、カメラなんかに映んねーんだよ」
避けて目深とフードをかぶった。光景が不自然を極めようと廃墟のショッピングセンターを徒歩で一人、後にする。部屋へとただ足を繰り出した。降る雨が輪をかけて街から人を奪ってゆく。そして監視カメラは「狩り」の抑止と自動運転を監視するためのもので、車両の入り込めない入り組んだ路地と空き家はその範疇ではなかった。
諦めたのか、まさか追いついたのか、十七分にはあれきり出くわしていない。
ただひと思いと手近な塀を蹴りつける。捻った体で解体を待つ平屋の屋根へ身を持ち上げた。横切り傍らに立つ街頭を伝い路地へ降り、並ぶマンションの壁へ手を掛け、ベランダの腰壁へ乗るとさらに上を目指す。
もし十七分が言うとおりだったなら。
裏切られた。
などと、期待していたこの感情も「希望」の類か。
過らせたところで雨のせいだ。足を滑らせ三階ベランダの腰壁に乗り損ねて落ちた。辛うじて階下のベランダに指をかけたなら、振った体で自転車置き場の屋根へ飛び降りる。ブリキのそれは派手に音を鳴り響かせ、わずか住人の残る一室で明かりは灯された。やがてベランダに出てきたのはガキだ。しきりに指さし、振り返っては家の者を呼び寄せる。雨音に紛れて声はそのたび、見て、光っているよ、と耳へ届いた。
親が出てくるその前にだ、ガキの前から身を躍らせた。
ただ夢の続きを見なければと思う。
「希望」などもう何ひとつありはしない。
確かめ、あるというなら潰しておかねばならなかった。
ズブ濡れで戻った部屋でシャワーを浴びる。
ネットニュースをチェックする限りでは、「ゾフルーザ」の騒ぎは一枚の画像に「薬物乱用一斉検挙」とだけ添えられヘッドラインに載っていた。消す手間も億劫だ。そのままにしてベッドへ身を投げる。暗い部屋に己の光は反射して、そういえばほんの数日で届かなかったところにまで光は届いてないか。疑った。
その明かりを頼りにフォンジャックを引き寄せる。
設定はこのままでいいだろう。
両耳へ挿し込み大きく胸へと息を吸い込む。
ぬるさがすぐにも額を覆い始めたのがわかった。温度にほどけゆくのは緊張もまたで、治安局の乱入にあれほど慌てふためき走った一部始終をいまさらのように振り返る。動転しきった自身についぞ笑んだところで、割り込んできた夢にふつり、意識を途切れさせていた。
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