第16話 本格っぽい回鍋肉
「へぇ、キャベツやピーマンを使わないんだな」
男は興味ありげに言った。
話している相手は職場の同僚の男性だ。
グルメで有名な同僚で、よく食べ歩きをしている。
この同僚は、つい先日まで中国に出張していた。
この度帰国してきて、休憩時間に男に向こうでの体験談を語っているところだ。
「そうそう。いやな、言葉の知らない異国の地だと知ってるものしか食べられなくてな。んで、見慣れた"
と、男に問いかける。
男は、ふむ、と考え、
「確かにキャベツやピーマンには中国っぽさはないよな。ナスとか白菜か?」と回答する。
同僚は、
「それだと全く変わるじゃねえか。食べてる感覚は変わらないって言っただろ。正解は、ニンニクの芽と獅子唐だ。んで、本場のは辛いこと、辛いこと。豆板醤だけで味付けしてるんじゃねぇかってくらい」
と答える。
「へえ、なるほど」
男が反応する。
同僚はその後も量が多くて大変だった、とか、自分の皿はアタリの獅子唐ばかりだから余計に辛かった、とか話しているが、男には聞こえていない。
「食べてみたい」
男の頭はこれでいっぱいになった。
その日の仕事を早々に片付け、男は家路につく。
足早にスーパーに向かい、まずはニンニクの芽と獅子唐を探しに野菜売り場へと向かう。
「ニンニクの芽は旬じゃないけど、ここのスーパーなら売ってるだろ」
男には確信があった。
クジラ肉が買えたくらいだ、ニンニクの芽もあるだろう、という考えだ。
そして、案の定、売っていた。
「よし、これで野菜の方は確保。あとは肉と調味料だな」
続いて豚肉を求めて精肉コーナーに。
だが、ここで男は足を止めて考え始めた。
「回鍋肉とは火を通した肉を鍋に戻すことから付けられた名前だ。まず、"茹でて"、そして"炒める"。茹でる際の肉は伝統的には塊肉だ。だが、それだと前の角煮のときのように時間がかかる…」
要するに、最初の手順が時間がかかってダルいということだ。
目の前には豚バラ肉のブロックがあるが、手を伸ばそうと思えないらしい。
ふと視線をずらすと、豚バラスライス肉があった。
「これだ」
男はその肉を手に取り、調味料売り場へと向かう。
豆板醤、甜麺醤、オイスターソースをカゴに入れ、次に酒類売り場へ。
「まあ、言っても回鍋肉だし、ビールで良いか」
男は、普段よく飲む日本のビールに手を伸ばした。
ふと、ちょっと違うものが飲みたいと考える。
回鍋肉が大陸味ならビールも大陸味であるべきだと考えたらしい。
すぐ近くの酒屋に行けば確実に置いているが、そこまで行くのが億劫らしく、このスーパーに置いていないかと探す。
そこに、このスーパーの店長が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
男は、これ幸いと話しかける。
「すみません、中国産のビールっておいてますか」
店長は一瞬キョトンとした顔をしていたが、すぐにニヤリと笑い、
「ええ、ありますよ。今倉庫の中なので、少しお待ちくださいね」
と返す。
数分後、店長が瓶ビールを箱で持ってきた。
「ちょうど棚に並べる時だったんですよ。少しぬるいので冷やしてお召し上がりください」
と、瓶を一本渡してきた。
男は、ありがとうございます、と瓶ビールを受け取り、レジに向かう。
今週はいつもの女性がレジ打ちをしている。
いらっしゃいませ、と言った後、カゴの中を覗き、首を傾げる。
見慣れないビール瓶があるのだから当然だろう。
「そのビールなら今店長が棚に並べていますよ」
男が女性に伝えると、えっ、と言い、酒類の棚の方を向く。
店長は先程貰った瓶ビールを陳列している最中だ。
女性は呆れたような顔をして、そうみたいですね、
と会計をテキパキと済ませる。
帰り際に彼女の
「またお灸を据えないとだめかしら」
という声を男は聞いた。
男は1アルバイトが何故そんなに店長に対して強く出られるのか不思議に思いながらも家路につく。
家に着き、男は早速台所へと向かう。
「さて、作るか。本場っぽい回鍋肉」
そう言うと、材料を並べ始めた。
・豚バラ肉スライス
・獅子唐
・ニンニクの芽
・ごま油
・ショウガ
・すりショウガ
・料理酒
・八角
・豆板醤
・甜麺醤
・オイスターソース
・醤油
・紹興酒
流れとしては少々複雑だが、基本鍋に入れたり取り出したりの繰り返しなので難しくはない。
まず、豚バラを茹でて余計な脂や臭みを取る。次に鍋で熱した油に野菜類を絡ませる。野菜を取り出し、同じ鍋で先程茹でた肉を炒めて味付けをする。野菜を戻して全体的に熱し、味を整える。この流れだ。
この調理工程こそ、回鍋肉の名前の由来である。
「回」の字は中国では「戻す」という意味だ。
鍋から取り出してまた戻した肉、という意味合いである。
それはさておき、まず、下準備だ。
豚バラ肉のスライスは200g。一口大よりも少し大きめの長さに切る。
次に野菜類、獅子唐は一パックを全てヘタを取り、縦に切る。ニンニクの芽は豚バラ肉と同じくらいの長さに切る。
次にタレ作り、すりショウガとオイスターソースを小さじ1、豆板醤と甜麺醤を大さじ1ずつ、容器に入れて混ぜておく。
次に、男は片手鍋の中に豚肉が泳ぐくらいの水と料理酒をおたまで一つ入れる。
ショウガを一かけ、包丁の背で叩いてから同じ鍋に入れ、八角も一かけ入れてから火にかける。
沸騰したら豚バラスライスを投入し、白くなるまでサッと湯掻き、鍋から上げる。
この手順により、豚肉の臭みが抑えられる。
鍋のお湯を捨て水を切り、新たにごま油をしき、熱する。
ごま油が熱くなったら先程切った野菜を入れて、油を絡めるように熱する。
軽く油が絡めば良いので、ここはさっと取り出す。
同じ鍋に豚肉を戻し、今度は先程混ぜて作ったタレを投入し、炒める。
すでに火は通っているので、全体にタレが馴染めばそれで良い。
そこに先程の野菜を戻して、醤油と紹興酒を一回しかけて全体的に馴染ませる。
これを皿に盛り付けて、完成だ。
「うおっ、結構な臭いだな」
ニンニクの芽を使っているので、香りは強めだ。
これを食べれば明日は人に会えないだろう。
食欲をそそられる香りだが、一旦落ち着き、男はまずビールを飲んだ。
「んぐ…んぐ…くはぁ…」
口内に引っかかるところがないサッパリとした味わい、いわゆるピルスナータイプのビールだ。
これならば濃い目の中華料理にも合うだろう。
男は引き続き、回鍋肉にも手を伸ばす。
「はぐ…はぐ…ジャクジャク…んぐ…風味が全然違うな。これは日本版よりもビールが進む」
おそらく豆板醤とニンニクの芽の味と香りによるものだろう。
日本の甘い回鍋肉と比べて特段に辛い。さらにニンニクの芽がパンチを加えている。
そこにタレと絡まった豚バラと歯応えある野菜だ。
ガッツリ系料理の楽しさがこの皿に詰まっている。
しかも飲み込んだ後も八角と紹興酒の香りが心地良く、くどくない。
男は辛抱堪らん、とビールをグイと飲む。
「んぐ…んぐ…くはぁー…」
ビールが回鍋肉の濃い味を流す。
この爽快感と来たら何にも言いようがない。
そしてまた回鍋肉へと手を伸ばす。
明日の男は人に会えない臭いになっているだろう。
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