理事長はどっち?①
昨日母親と七ヶ月ぶりに顔を合わせ、暫定的ではあるが、一人暮らしを続けられることになった。
突然降って湧いた危機を切り抜けたんで、俺としては大きな達成感がある。
だけど、“変わらない”を勝ち取っただけだから、今日もいつもと同じように高校には来なきゃならないわけで……。
学校生活の中で最も苦手とする体育の時間で、マラソンなんてクソ怠いことをやらされている。
一周1.5キロのマラソンコースを男が二周で、女が一周。
なんで男が全員女よりスタミナがあるって前提で決めるんだ!?
「どうしたんだよ? 急に黙り込んで」
友人の竹澤に声をかけられ、ハッとする。
流れで一緒に走っていたけれど、気を遣って話を続けなきゃならんところが難点だ。
「バテてきただけ」
「体力無いな!!」
竹澤は俺よりも身長が十五センチも高く、ガッチリ体型なので、三キロくらい苦もなく走りきれるんだろう。
しかし、その基準を俺に当てはめるのは間違ってる。
「兄貴が倒れたから母さんと父さんが東京に様子を見に行ってしまってさー、俺一人だから、今日夕飯一緒に飯どう?」
「店選んでいいなら、構わないけど。……お前んとこの兄貴はなんで倒れたんだ?」
写真で見せてもらった時があるけど、隣を走る男よりも健康そうだったので少々意外だ。
「仕事で無理しすぎたんだと。毎日終電ギリギリまで働いて、土日も潰されてたらしい。あの人、生活力皆無だからさー身体が保たなかったんじゃないか?」
「ちょっと待て、お前の兄貴は一般企業で働いていたんだよな?」
「らしい」
だんだん暗澹たる気分になってきた。
サラリーマンとかになったら、普通の給料で普通に暮らせるんだと思っていたのに、そんなに甘いものではないんだろうか。
「でも、兄貴はまだマシだと思う! 兄貴の大学時代の友人なんて、犯罪が多い国にある子会社にいきなり飛ばされたりして、死と隣り合わせの日々らしいしなー」
「ないわ……」
世間では一般企業に新卒で入社するのが普通の進路のように言われているけど、その話が本当だとすると、とんだ地雷コースじゃないか。中学生あたりでそういう実態を聞きたかった。
何でそんなことを気にするかというと、昨日母親に言われた“高二に上がるまでに進路を決めるように”との言葉が引っかかっているからだ。
俺は走り続ける気力を完全に無くし、足を止めた。
「お先に!」
爽やかに手を振り、竹澤は走り去る。その背中をどんよりとした目で見送ってから、ノロノロ歩く。
あいつはたぶん“自分は兄貴のようにはならない”という自信があるんだろう。
――あんな感じで、挫折する人間を他人事と考えられるならいいんだけどな。
古臭い看板が掲げられた雑貨店の角を曲がった時、後ろから走って来た何者かに、背中を叩かれた。
「痛……」
「サボるなー!!」
振り返れば、満面の笑顔を浮かべた江上琥珀が居た。
俺が歩いたから追いつかれてしまったらしい。
さっさと追い抜いて先を行けばいいものを、何を思ったのか、彼女は俺の腕を掴んで脇道に引き摺り込んだ。
「どこに連れて行くつもりだよ。サボるなって言ったくせに」
「近道しよ」
「近道? 早く着きすぎたらバレるぞ?」
「大丈夫! 時間潰してから戻ればいいだけだから」
真面目な奴だと思っていたのに、買い被りすぎていたようだな。
にしても。
運動着越しに伝わってくる、江上の手の平の温かさは、今日みたいな肌寒い日にはちょうどいい。
振り払う気にもなれずに、引っ張られるままに歩く。
連れて行かれたのは、綺麗に整備された遊歩道だ。
「座ろう」と促され、側に置かれているベンチに並んで腰掛ける。
「今日はね。合唱部で発声の為のトレーニングをするつもり」
「染谷とやっていたやつ?」
「うん。合唱部の中には喉から歌っている人が結構いるから、ちょっと直してもらいたいんだ」
「普通喉から歌うだろ?」
「そんなことないよ~。お腹から声を出すっていうのかな~、合唱しやすいタイプの歌声っていうのがあるんだよ」
「ふーん。喉から出してる人って誰?」
「この前歌ってた人達の中だと、百瀬先輩かな~。単品で聴くといいんだけど、複数人で歌うとちょっと飛び出て聴こえちゃう」
「あの声駄目なんだ……」
目から鱗だ。
『黒衣の聖母への連祷』を聴いた時、生徒会長の声質と曲の雰囲気が絶妙に合っていて、良いと思っていた。
あれがNGだとは、もしかすると瑠璃さんも気付いてなかったかもしれない。
「お腹から歌えるように訓練しないと!」
「江上が部長に見えたのは初めてかも」
「こー見えて、色々勉強してますから! 里村君もトレーニングに参加してくれるよね?」
「俺は歌要員じゃないんだから、やらなくていいだろ」
大勢の女生徒に囲まれてトレーニングする勇気がない。
それに、理事長選用のピアノ伴奏部分も仕上げたいので、歌部分は江上に丸投げしときたい。
「つれないなー。今こそ部全体で結束力を高める時なのにさー」
「ごめん。そういう団体行動苦手なんだ。俺を追い詰めないでくれ」
「むぅ……」
江上と話しているうちに、残酷な事実に気付いてしまった。
俺は普通に高校生活を送るすら厳しいくらいに、協調性がない。
これでは社会に出てもまともな会社では働けないだろう。
やっぱりピアノで生きるしか道はないのか……?
ベンチの上で膝を抱え、丸くなる俺に、江上は楽しそうに笑う。
わざとふざけているとでも思ってそうだ。
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