第16話 轟音の中、ナホコは思考がマヒしていくのが判る。
フロアに出てきた時には既に最前列は「どう見てもPH7のファンではない」少女達と男達が占めていた。
一列にはだいたい十五人から二十人がいる。前の柵に手を置いて待っている。
チチチチ、とハイハットを刻む音がした。
はっとナホコは身構える。彼女は二列目に身体をねじ込ませていた。
PH7のために立っている客はだいたい五列くらいなものだった。その中の一列は確実にPH7のファンではない。
どーなるのよぉ、と思いながらもナホコは機関銃の様な音で自分が撃たれる瞬間を待っていた。
一斉にライトが点く。
ずん、とベース音が胸にキた。
ナホコは一列目の少女達が一瞬跳ね上がるのを見た。だがすぐに周囲を気にしている暇はなくなった。身体が勝手に反応してしまう。
いつものと、違う!
同じ曲で始まった。聞き覚えのあるHISAKAのメロディがギターの音で判る。タイセイの、そう激しくはないが正確な音がそれを知らせてくれる。なのに、いつもより身体が動く。動いてしまう!
「***!」
そこへMAVOの声が飛び込んできた。それもいつもより、ヴォリュームがある。両肩を押さえつけられている気分だった。息苦しい。
TEARはベースを弾きながらくるくるとステップを踏む。意識してやっているのかどうか判らないが、実に鮮やかに左右へと動き回る。
長い手足のせいか、下手にちょこまかとした印象は与えない。珍しく着ている、袖無しだが長めの上着の裾がくるりと回るたびに広がる。ロングスケールのベースをやや下気味に構えて、時々それを上下させる。そのたびに胸にかかったじゃらじゃらしたネックレスやペンダントが揺れてライトの光をきらきらと反射させる。
「か、恰好いい……」
左隣に陣取っていたアナミの声が聞こえた気がした。
それは右隣の面識のない少女も同様だったようで、ぼーっとしてステージ左側のベーシストを見ている。
―――ようやく一曲終わると、顔から汗がだらだら流れているのが判る。ちょっと待て。ナホコは気付けなかった自分に驚く。横のアナミと顔を見合わせて苦笑いする。
「元気かーっ!」
ステージのMAVOが叫ぶ。その時「一列目」はやっと我に戻ったようだった。
横同士と顔を見合わせて、いいな、とか目配せ、指のサインが大急ぎで交わされる。ぱっとしゃがんでバッグに手を突っ込む者もいる。
何かやる!
そう思いながらもMAVOの声に捉えられて動けない自分もナホコには判る。
どうしよう! 連中行動起こしちゃうじゃない!
「久しぶり…… 少しの間だけど滅茶苦茶になれよーっ!」
と、その時だった。
ブー、と声が飛んだ。「一列目」だった。
何が起こったのか、ナホコとアナミ以外の二列目以降には判らなかった。最初の声が飛んですぐ、次から次へと声が飛び、手を高くあげて親指を下に向ける集団がいたのである。
一列目真ん中の一人は何か丸いものを持っていた。
やめろ!
ナホコはそれに飛びつこうとした。
卵だ。飛びつく瞬間判った。
「何すんの!」
だが遅かった。飛びつく寸前にそれは手を離れていた。
遅かった!
飛びついたその一人だけではない。「一列目」の全員が手に手に卵を持ち、それを投げだした。
「嫌い」なバンドに攻撃を仕掛ける時には、後々のバンドの迷惑など全く考えていない。卵はモニターの背や床や、後ろのドラム付近まで飛んで弾けた。
ナホコは自分が飛びついた一人の背にのっかってMAVOを見上げる。どうやら一つの当たり具合が悪かったらしく、すらりとした腕には黄身が、そして白い顔に赤い筋が走っていた。
そしてぎくっとした。
MAVOは表情一つ動かしていない。
ブーイングは続く。MAVOは無言でぺろりと舌を出して腕についた黄身をなめる。
「毒は入ってないじゃん」
さらりとそんなことを言う。非常に、あっさりと。だがはっきりと、通る声で。
ナホコは背筋に悪寒が走った。
「そんなにあたし達にキョーミがあるんだ」
見おろす。一列目を見下げる。
「なら聴きなさい」
MAVOは足元のモニターに片足を掛け、やや前のめりの姿勢で言い放つ。
ナホコはその時見た。やや逆光にはなっていたが、MAVOの表情を。
この人は何とも思っていない。
ブーイングが止まった。
ふっとMAVOが手を挙げる。静まった会場に、それが合図のようにカウント4が響く。
「ハレルヤ!」
曲のタイトルを叫ぶ。それを合図に、二列目以降の客が前へ突進した。現在のこのバンドの最速の轟音ナンバーだ。HISAKAのドラムが無茶苦茶とも言える速度になる。
彼女お得意のツインバス・ドラムがマシンガンになって客の心臓を射抜く。ベースの振動と混ざって床を空気を伝って少女達の胸をそのまま揺さぶる。
揺さぶられた客は勝手に自分の身体が動いているのが判る。掛け合いで手を挙げ、指を突きつけるMAVOの動きに合わせて「お約束」の掛け合い文句を怒鳴る。
叫ぶんじゃない。誰より強く、誰よりも声に気付いてほしい、そんな感覚で怒鳴るのだ。喉が痛い。終われば絶対そうなるのが判っていて、それでもやめることはできない。
「一列目」は押し潰れそうになるのが判る。
この連中のテンポなんて絶対にノリたくない! なのにノラないと押しつぶされる! 「一列目」は次第にこのノリに身体が動いていってしまうのを感じた。
あ。
ナホコはひらり、とMAVOの顔に笑いが浮かんだような気がした。
そのままTEARに近寄り、肩を組んでコーラスをねだる。身長が違うから絡んでも顔が同じ位置には来ない。TEARはやや首を傾ける。
……
飲み込まれる。轟音の中、ナホコは思考がマヒしていくのが判る。
あはははは。
加速度を増していくあのドラムに頭が引きずられていくのが判る。ベースに腰がやられる。MAVOの声に頭の中が占められる。
気付かないうちにナホコは笑っていた。
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