第13話 「そしたらあたしが止めるからいいよ」

「凄く嫌」 


 そのことがあってから少しして、MAVOはTEARにそう言った。


「何だか判らないけれど、あたしのハハオヤはあたしのことがすごく嫌いだったの」

「ハハオヤ」

「嫌いは知ってけれど、殺したいくらいとは思わなかった」


 TEARは一瞬胸に釘を刺されたような感触を覚えた。心臓がどきどきする。


「思い違いじゃ」

「ない」


 MAVOは言葉をさえぎる。笑っているのか泣きたいのか、どちらとも取れる顔で。自分からリストバンドをずらして見せる。


「これはそのあと」

「あんたがやったんではなくて?」

「あたしは死にたくなんかない!」


 あ、この声だ。TEARも気付いた。HISAKAはこの声に惚れているんだ。


「絶対に、何があっても生き抜いてやるんだってあの時思った! 絶対に! これであたしが死んだりしたらあいつの思うがままじゃない! そんなのって嫌!」


 TEARはうなづいた。


「わかった」

「本当に判った?」


 念を押す。


「うん。全部とは言えないけど」


 程度の差こそあれ。

 自分の家族を思い出す。母親と自分を置いて逃げた父親。だけど大好きだった父親。母親と自分を守ってくれたけれど、どうしても家族という実感が持てなかった「母親の再婚の相手」。

 彼はまるで前の父親とは性格が反対だった。ギターを教えてくれた夢見がちな実の父親と、ロックのために家を飛び出した娘を決して許さない、現実的に全てを片付ける義父。

 義父は彼なりの方法でTEARを父親として愛してくれた。きっとその程度は実の父親と大して変わらないと思う。


 だけど彼はあたしとは幸せの価値観が違うんだ。


 それだけはどうしても変えられない、それがなくては自分はきっと死んでしまう。そう思えるのが音楽/ロックだったのに、義父はその意味が全く判らない。

 食える保障のないことに情熱を燃やす人々は、彼とは別世界の人間、彼には軽蔑すべき「夢ばっかり食っている」人間だったのだ。

 だから自分の娘になった少女がその「夢食い人」の一人と知った時の落胆と怒りはひどかった。

 彼は彼女の部屋で見つけたロックに関わるものを全て捨て、夜外出させないようにし、とうとう全寮制の高校へ転校させようとまでした。それはそれで、彼の思い描く「幸せな一人娘」の図に近づけようとするものだった。

 きちんと学校を出て、多少の社会勉強を兼ねた会社勤めをして、親も認めたきちんとした男と結婚して、仕事は辞めて主婦に専念する。そしてやがて子供ができて、今度はそのために延々と―――

 そこにはロックの「ロ」の字どころか、音楽の「お」の字すら無かった。

 何度も考えた。社会で結構な位置を確保した義父の言う事だから、ある程度正しいのかもしれない。楽なのかもしれない。


 でも。


 寒気がした。義父の「幸せな一人娘」の図に治まった自分を想像して。そこで自分はいったい何をしている?


 学校を出る。

 会社勤め。

 親の価値観で許可される結婚。

 仕事をやめて家事。

 子供ができたら子供のために……

 ……何それ。


 TEARは寒気どころか吐き気がしそうだった。

 そこには「自分のため」と「自分のしたいこと」が一つもない。

 もちろん世の中には、「好きな人と結婚していい奥さんになるの」という人も多い。

 「自分は結婚しないって人が案外いちばん早く結婚したりするのよねー」

 そんなことほざく人々もいるのも知ってる。

 それは判る。それは判るのだ。

 だけど自分は。

 どこをどう転んでも、自分の姿はその図の中には存在しないのだ。想像できないのだ。

 何故なら、そこには音楽がない。ロックがない。

 自分は一日中でもベースを弾いて過ごして居られるだろう。バンドのメンバーと次のライヴの計画を練ったり練習したりしていると自分の家など平気で何日も放っておいてしまうだろう。だから「家庭」は持てない。

 それを捨ててもいいと思わせるような相手が居れば、ロックを捨てることもあるのかもしれない。だが、「捨てろ」というような奴には近づきたくもなかった。

 自分は結局ロックが無くては生きて行けないのだ。

 それを「甘い」という人はもちろん居るだろう。そんな夢よりまず食うことだ、と。

 それは違う、とTEARは考えたあげく確信していた。

 とりあえず自分の夢はロックだ。

 それをその時現在必ずしているかいないかは問わない。「今」できなくとも、「必ず近い未来」できる/することは判っているから。だが、それを心の中から切り離され、この先未来ずっと「できない」ことにされたら、もうそこで生きる意志はなくなるだろう、と彼女は確信していた。

 義父の描く「幸せな一人娘」になったが最後、自分の精神は死んでしまうだろう、と確信していた。


 そしてTEARはそこから逃亡した。

 危険な賭けだった。

 何と言っても野郎とは違う。下手すると、音楽ところか、人生の裏街道まっしぐら、ということになりかねない。TEARだってそのくらいは予想していた。そこで、友人関係を必死で頼った。

 狭い風呂無しの部屋から始まって、金の無い生活。辛いことは辛いのだ。当初は友人何人かで共同生活もした。

 とにかく食わなくてはならない。でもお水系は無理。したくもない。できない。

 では力仕事でも何でもしましょう。幸い女にしてはでかいし力もある。腕が太くなるって言っても仕方ないでしょう。汚れれば色気だって薄れるからその方がいい。

 こんな体型してるのもあたしのせいじゃない。豊満な母親の遺伝のせい。母は身体を、父は心をくれた。

 食うのがぎりぎりだって、服がほとんどなくたって、家に家具が一つもなくたって、音楽ができない訳じゃない。ベースが弾けさえすれば。

 義父はとうとう怒って「縁を切れ!」母親に叫んだという。

 悪いな、と思う。だけど絶対にTEARは引き返す気はなかった。

 後悔だけは絶対にしたくなかった。

 それだけなのだ。

 TEARはMAVOの問題と自分の問題の違いは何となく判る。だけど「家族だから」余計に裏切られた時、傷が深いのは同じだと思った。


「TEARあたし嫌い?」

「ううん」


 即答する。


「あたしまたどっかでこんな騒ぎ起こすかもしれないよ」

「そしたらあたしが止めるからいいよ」


 けっこうあたしは強いから、と付け加えて。


「TEAR」

「あたしもあんたの声には惚れたから」


 ぽろ、とまるでマンガのように涙がMAVOの目にたまった。見事に大きな玉になって、頬に落ち、伝って流れた。

 声は出さない。


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