第11話 「この声は遺伝の産物。だったらせいぜい利用してやればいいのよ」

 変と言えば変である。

 だが疑問には鍵をかけておく。

 この急ぎ足の世間で生きていくときにはそれは不可欠な手段でもある。

 とは言え全てのことから目を逸らす訳ではない。ただ疑問を持つ価値が自分にとってあるかどうか。それを見分ける時間が必要なのである。

 TEARにとってHISAKA宅の三人に関する疑問は鍵をかけて置きたいことではあった。だが鍵を外せ、と自分の中で騒ぐものがあるのも確かである。

 何をして暮らしているのだろう。

 あの三人はどんな関係なんだろう。

 HISAKAとMAVOはそういう関係なんだろうか。

 まあ下世話な興味だとは思う。おそらく知ったところで自分がこの三人が結構好きだということは変わらないだろう。だから別にこの疑問は知りたいとは思うが、どっちでもいい。

 だが次の一点は重要だった。


 HISAKAにとって音楽は何なんだろうか。


 時々疑問になるのだ。

 例えば彼女のライヴハウスの事務所での発言、時々マリコさんと何やら話し合っていること等々、音を出している時の彼女とは別人の顔になっているような気がする。

 無論音を出している時の彼女については文句はない。

 ドラムの練習ぶりだの、何やらアプライトピアノで編曲の試行錯誤しているところだの、その時の彼女はちょっと声をかけるのが怖いくらいに見える。


「だってあたしだって怖いもの」


とMAVOが言ったのには驚いたが。


「あんたが?」

「うん」

「どうして?」

「どうしてって」


 首をかしげる。そしてどうしてかなあ、といまさらのようにつぶやく。

 アプライトピアノをHISAKAが占領中だったので、TEARはリヴィングの方へ来ていた。アコースティックギターをぽろぽろと時々思い出したようにつまびく。


「TEARギターも弾けるんだ」

「はじめはギターだったんよ」

「でも今はベース?」

「まあね」


 当初は、ギターだった。小さな頃から近くに「あった」から。だからある程度は弾ける。

 だけど家から消えた人が持っていってしまったから、熱が失せてしまった。埋めてくれたのがロックであり、バンドであり、ベースだった。


「器用だなあ…… あたしなんて何の楽器もできない」

「そのかわりあんたにゃその声があるだろーが? 何なのその音域」

「ははは」


 MAVOの音域はめちゃくちゃだった。普通3オクターヴも出れば「凄い」のだが、彼女は4オクターヴ半ある。無理せずに出せる音域が通常の倍はあるということである。

 歌う際に自分の音域ぎりぎりの低音を出そうとすれば声量が全くなくなる。高音を無理して出そうとすれば勢い余って裏返るのがせいぜいである。

 ところが音域が広ければ、それだけ歌える曲が広がるということである。だいたい4オクターヴ半もあれば、男性ヴォーカルの曲も女性ヴォーカルの曲もこなせるということになる。あとは声質の問題である。

 TEARはMAVOの声質については、「奇妙」という感覚があった。少なくとも、今こうやってフローリングに寝ころんでTEARのギターを聴いている彼女からは想像ができない。最もこの子がHISAKAと「そういう関係」ということ自体想像ができなかったので、何が起きても怖くないような気もするのだが。

 ステージの彼女は、「性根が座った女だなー」というのが第一印象だった。

 HISAKA程には大きくはないので、ライヴハウスによっては、少し後ろへ行くと見えないくらいである。実際TEARが最初に見たときも結構後ろだったんで、客に埋もれて見えない状態だった。

 見えないせいもあってか、声だけが飛び出して突き刺さってくるのだ。どうしても聴かずにはいられないような。


 それはまるで―――


「別にいーのよ」

「何」

「この声は遺伝の産物。だったらせいぜい利用してやればいいのよ」

「遺伝? そういう声の親だったの?」

「すっごい声のね」


 一瞬ぞくり、とした。何だ? 寒気がする。


「ねえTEAR」

「ん?」

「こないだ、見たんでしょ」

「こないだ? うん」

「でもいいの?」

「何が?」

「気持ち悪かったり、しない?」

「どうして?」

「そう言った奴がいたもの」


 なるほど、とTEARは手を止めて近くの大きな犬のぬいぐるみに埋もれてじゃれているMAVOを見る。


「別にいいけどね。でもTEARは?」

「こないだ言ったんと同じ。別に好きならいいんじゃねーの?」


 びっくりはしたけどね。それは言わない。


「別にHISAKAはあたしのこと好きって訳じゃないでしょ」

「え?」

「あたしは彼女好きだけど」


 そう言ってじゃれているぬいぐるみを抱きしめる。

 相変わらず大人しい色の、大人しい部屋着の上下を付けている彼女は、確かにぬいぐるみと居るのはよく似合っていた。


 あれ?


 ふと違和感に気付く。


 何か、変だ。


 それはぬいぐるみを抱きしめる彼女の手を見た時に気付いた。何でリストバンドなんてしてるんだ。そこだけが色合いがずれていた。


「いつもそんなものしてたっけ」

「え?」


 それ、と彼女の手をTEARは指した。突差にMAVOは両手を引っ込めた。

 隠したいものか? TEARは急に好奇心に襲われた。悪気はない。ただ隠されると見たくなる。それだけなのだが。


「ちょっと見せて」

「嫌!」

「別にいいじゃないの」


 TEARの手は素早かった。ぬいぐるみが突き飛ばされる。


「やめてよっ」


 ずる、と右手の一つが抜けた。まさか、と思ったものがあった。

 手首の内側、小指側から斜めに走る、深かったことが容易に想像させられる…反射的に手を引っ込め、TEARは口走っていた。


「ごめん……」

「*******!」


 何、と口にするより早く、MAVOがTEARに飛びかかっていた。

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