第五章 第十六話「火加減には気を付けて!」

 ほたか先輩はフライパンを握り、お肉と野菜を炒めはじめる。

 小さな声で「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせていたから、心配だったけど……。


 結論から言うと、炭ができた。


 小桃ちゃんのイメージするほたか先輩はなんでも華麗にこなす人物だったらしく、安心しきって料理を先輩に任せてその場を任せていたようだ。

 水分がなくなるまでは時間がかかるということで、私たちを集めて、食べ物の保存に関する講義を始めたのだが……。

 たちまち焦げ臭いが立ち込めはじめた。

 慌てて振り返ると、真っ青な顔でフライパンに水をドバドバと入れている先輩の姿があったのだった……。



 △ ▲ △ ▲ △



「ううう……。ポンコツでごめんなさい……」


 しょんぼりと肩を落とすほたか先輩。

 フライパンの中には、水浸しになった真っ黒の食材……だったものが浮かんでいる。


「な……なんでこんなことに……なったんすか?」

「水分を飛ばすから、一番強い火で焼いてたんだけど……」

「ほたか。この……水は?」

「えっと、えっと……。……お水を入れれば冷めるかなって……。えへへ」


 不器用なところがあると思っていたけど、ほたか先輩の行動は想像の上を行っていた。

 なんというか、繊細な匙加減が不得意なのだろうか?



 ほたか先輩がどんよりとしていると、小桃ちゃんが勢いよくガッツポーズを決めた。


「ドンマイなのだよ、ほたか先輩!」

「小桃ちゃん……?」

「料理は経験! どうすれば焦げるかが分かったので、ほたか先輩はもう大丈夫なのだよ~」


 小桃ちゃんはなんてポジティブなんだろう!

 朗らかな声で先輩を元気づけている。

 そのおかげで、部室の中に立ち込めていた暗雲はきれいに消えてしまった。


「そうですよ、ほたか先輩! 絵だっていきなり上手にならなかったですもん。反復練習でうまくなるんですよ~」

「ありがとう。でも、材料が……」


 ほたか先輩が落ち込んでいると、すかさず小桃ちゃんは予備の食材をバッグから取り出す。

 千景さんも包丁を握った。


「大丈夫。また、切ればいい」

「じゃあ、アタシはおろし金を!」


 二人の共同作業によって、再び材料がみじん切りになっていく。

 美嶺も力技はお手の物らしく、素早い動きでショウガなどがあっという間にすりおろされた。


「みんな……。ごめんね」


 申し訳なさそうに謝るばかりのほたか先輩。

 こんな表情は先輩に似合わない!

 私はたまらずに駆け寄った。


「謝ってばかりじゃイヤですよっ! ほたか先輩は笑顔が一番似合います!」


 あのヒマワリのような、太陽のような笑顔が見たい一心で抱きしめる。

 そんなみんなの思いを受け取ってくれたのか、ついにほたか先輩の目に光が戻ってきた。


「えへへ……。そうだよね。……みんな、ありがとうっ!」



 △ ▲ △ ▲ △



「では、あらためて始めるのだよ~」

「小桃先生、お願いしますっ」


 ほたか先輩はエプロンのひもを結びなおし、小桃ちゃんに深々とお辞儀する。

 すでに呼び名も「先生」に変わっていた。


「最初に豚のひき肉とショウガ、ニンニク、梅干しを中火で炒めるのだよ」

「はいっ!」


 ほたか先輩はこぶしを握り締めながらフライパンと対面する。

 その眼の奥には燃え盛る炎が見えるようだった。

 気合は十分のようだ。


 そしてカセットコンロのつまみに手を伸ばした。


「えいっ!」


 着火し、炎は青く燃え上がる。

 そして中火に……しない!

 ほたか先輩は強火のまま、じいっと炎を見つめていた。


「最大のままはダメなのだよ! まずは中火で~」


 小桃ちゃんが注意したので、ほたか先輩は慌ててつまみを回す。


「中火って……このぐらいかなぁ?」

「もう少し、もう少し弱くなのだよ!」


 ほたか先輩はさらに注意深くつまみを回し、少しずつ火を弱めていった。


「……そんな感じですよ。さすがはほたか先輩~」

「えへへ……」


 その様子を見て、私たちもほっとする。

 小桃ちゃんが見守っている限り、なんとかなりそうだ。


「肉の色が変わったみたいですね~。そうしたら、根菜類、キノコ類、青菜の順番に入れて炒めてください。それぞれに火の通りやすさが違うので~」


 その指示に従い、先輩は順番にフライパンに野菜を投入していく。

 その後も細かく指示を受けながら、小桃ちゃんのレシピに従って味付けも進んでいった。



 しばらく見守っていると、フライパンからは汁気の沸き立つ音が小さくなり、徐々に水分が減っていく。

 野菜の色も全体になじんで茶色に変化し、やがてそぼろのお肉のようになっていった。


「大事なのは、弱火でじ~っくりと煮詰めて、可能な限り水分を飛ばすことなのだよ~」

「そうだねっ! 水分は腐る元だもんねっ」


 私たちもあらためて思い出す。

 これは登山中でも腐りにくい保存食づくり。

 普通に美味しそうな状態を越えて、徹底的に水分を飛ばす必要があるのだ。


「弱火なのだよ~。ここからは焦げ付きやすいので……」

「火を小さく……小さくだねっ」

「常に混ぜるのも大事なのだよ!」

「はい、先生!」


 小桃ちゃんとほたか先輩は、一年生と二年生という関係を越え、すでに師弟関係のようになっている。

 あれだけ火の扱いを苦手としていたほたか先輩が、みるみると成長していく。

 巣立とうとしている姿を見るだけで、私は感慨深くなっていった。



 フライパンの上には、見事に水分が飛んだ肉みそが出来上がっていた。

 あとはジップロックに詰めて、冷ましておけばいいらしい。


「できた~~っ!」


 小桃ちゃんとほたか先輩が、手を取り合って喜んでいる。

 私も成長した我が子を見る想いで、涙腺を刺激されてしまう。

 それは千景さんも同じようだった。


「ほたか。……おめでとう!」


 言葉と共に駆け寄り、ほたか先輩を抱きしめる。

 私もたまらず駆け寄り、千景さんもろとも、強く強く抱きしめた。


「ほたか先輩! おめでとうございます!」

「ありがとう~! 小桃先生も、みんなも、本当にありがとう!」



 この興奮のるつぼで気持ちがはじけてしまったのか、急に美嶺がほたか先輩をお姫様だっこした。


「胴上げだ! 胴上げっすよ!」


 そう言って、一人で胴上げし始める。


(えっと……。これは……胴上げ?)


 むしろ、バーベルを使った重量上げのように見える。

 鍛えているとは知っていたけど、美嶺はすさまじい力持ちだ。

 その光景のあまりのシュールさに、私は唐突に現実に引き戻された。


「美嶺! 危ないよぉ!」

「美嶺ちゃん! 嬉しいけど、おろしてぇ~」


 美嶺の笑い声とほたか先輩の悲鳴が、いつまでも部室に響き続けたのだった。

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