第四章 第十話「ちからを束ねて!」
膨大なスイーツの山を一度に配膳できずに絶望していたとき、ほたか先輩の目はまだ死んでいなかった。
「テーブルの場所通りに伝票を並べてみて」
「えっと……こうですか?」
レジの脇のスペースに、ほたか先輩にいわれた通りに伝票を並べていく。
すると、先輩は伝票を
「こうしてお山の名前を見ることで、地形と雪景色をイメージするの。そうすれば配る場所が完璧にわかる。…………よし!」
大きくうなづいた先輩は、バニラアイスにホットのエスプレッソをかけたスイーツ『キリマンジャロ』のお盆を持って立ち上がった。
そこから先のほたか先輩の動きは、まるで風のようだった。
溶けやすいものから準備し、的確にスイーツを運び続ける。
そして、あっという間に配膳を完遂してしまった。
私はただただ、感嘆のため息を漏らすしかなかった。
「す……すごすぎます」
それでも、奥様たちの無情な呼びかけは止まらない。
次の注文を呼ぶ声があちこちから響き渡る。
たとえ先輩の配膳が早くても、注文をスムーズに取れなければ意味がない!
「あぅぅ……。接客が間に合わない……!」
この場を貸し切る奥様たちの胃袋は、底知れない地獄の大穴なのかもしれない。
私は自分の死を覚悟して、死地に足を踏み出した。
その時だった。
誰かが私の肩にポンと手を乗せた。
「待たせた。……もう、大丈夫だ」
振り返ると、メイド服を身にまとった
頬の赤さは少し残っているけど、そのまなざしはいつも通りの強さを
「美嶺!」
「み……美嶺ちゃん、無理して接客しなくていいよ! また倒れちゃう!」
私たちは心配になって声をかけるが、美嶺は首を横に振る。
「大丈夫っす。二人が頑張ってるのに、アタシだけ寝てらんないっす」
そして注文票を片手に、地獄の縁に足をかけた。
「ましろ、行くぞ」
「う……うんっ!」
△ ▲ △ ▲ △
ついに……ついに最後のお客さんの会計が終わった。
すでに外は暗くなっている。
美嶺は可愛いコールの洗礼を最後まで耐えきったし、私とほたか先輩はみごとなタッグで注文をさばき切った。
百合香さんとヒカリさんの頑張りだって、言うまでもない。
最後は一丸となり、閉店時間までの奥様たちの猛攻をしのぎ切ったのだった。
「はぁ……はぁ……。本当に、終わったんすね」
「うん……。あの奥様たちは閉店までの貸し切りだったから、これで終わりだよ……」
「やったぁ……! 私たち、やり切ったんですね!」
「みなさん、今日は本当にありがとうなのです!」
厨房から出てきたヒカリさんも一緒になり、私たちはお互いに抱きしめ合う。
本当に感無量だ。
山に登り切った時と同じぐらいの感動に包まれていた。
それにしても、ほたか先輩の繰りだした技は見事だった。
伝票を見て、瞬時に状況を把握したイメージ力。
きっと大好きな山になぞらえることで、本来の不器用さをカバーできたのかもしれない。
苦手なことを克服できるヒントを、私は先輩の中に感じていた。
「ほたか先輩は、発想力とイメージ力が凄いです。配膳をお山のイメージで解決するなんて発想、なかなかしませんよ!」
私の言葉に照れてしまったのか、ほたか先輩は恥ずかしそうにうつむいた。
「……今回うまくいったのは、メニューがたまたまお山の名前だったからだよ。それに、なんでもお山のことばかりで、やっぱりお姉さんって変だよね」
「変なんて言わないでください! 好きなものがあるって素敵です。……私なんて、なかなか『自然観察』のテキストを覚えられないのに……」
実は大会のための勉強がはかどっていないのが私の悩みだった。
テキストを見ても文字の上を目が滑るばかりで、まったく情報が頭に入ってこなかったのだ。
私はあの無機質なテキストを思い出すと、ため息が漏れてしまう。
すると、ほたか先輩はニコニコしながら私の肩に手を置いた。
「そういうことなら、お姉さんのおうちにくる?」
「あぅ?」
「二人っきりでお勉強会っ。明日はお休みだし、お姉さんのお部屋には本も充実してるから、いいと思って~」
突然の申し出に、私はどぎまぎしてしまう。
それも「二人っきり」なんて、なにか秘密めいた蜜のような言葉。
私はついつい、いけない妄想が広がってしまった。
「ヒカリさんは来れないんですか?」
そう尋ねると、ヒカリさんは残念そうに首を横に振った。
「明日も臨時フェアは続くのです。ボクはお仕事なのですよ……」
どうやら聞くところによると、明日にはいつもの店員さんが二人ほど戻ってきてくれるらしい。
ベテランさんなので、なんとか切り盛りすることは可能だということだった。
「……美嶺は来ないの?」
「合宿との兼ね合いもあるから先輩には伝えておいたけど、明日は空手の稽古の日なんだよな。……ましろ、先輩と変な事すんなよ」
「す、するわけないよぉ!」
「そうだよ、美嶺ちゃん! お姉さんを何だと思ってるの?」
ほたか先輩は大げさなしぐさでプンプンと怒って見せる。
美嶺は頭をかきながら笑った。
「そ、そっすよね。あはは……」
私も美嶺と一緒になって、自分の変な妄想を追い払うように笑うのだった。
「みんにゃ~! ありがとにゃ!」
突然、厨房のほうからショッキングピンクのウィッグをかぶった女の子が飛び出してきた。
私は一度だけ見たことがある。
千景さんのお母さん、百合香さんが『変身』した姿だ。
素顔のままだと人の前に姿を出せない百合香さんも、このウィッグをかぶることで『猫語でしゃべる陽気なキャラ』に変身し、表に出てこれるということだった。
でも、このキャラづくりを初めてみる美嶺は、驚愕のあまりに固まっていた。
「だ……誰っすか? なんで猫語?」
「……母なのです」
「……なんでピンク髪……なんすか?」
美嶺の疑問も当然だ。
ヒカリさんも適当な説明が思いつかないようで、言葉を詰まらせてしまった。
「それは……いずれ、ボクから説明するのです……」
そんなヒカリさんの気苦労を気にしていないように、百合香さんは満面の笑みを浮かべて小躍りしている。
「みんな大好きなのにゃ~。すごい売り上げだったのにゃ!」
「あの……、母からはボーナスもあるそうなのです。本当に今日は大変でしたので……」
「あぅぅ……。それは嬉しいですけど。……百合香さん、さすがにはしゃぎすぎでは……」
百合香さんはさっきからクルクルと回り、陽気に歌を口ずさんでいる。
確か強烈なドジ属性があったはずなので、いささか心配になった。
……そして案の定、百合香さんは目を回してテーブルに飛び込んだ。
大きな音と共にテーブルとイスの下敷きになった百合香さんは、目を回しているのだった。
「お母さん……。やっぱり厨房から出てこなくていいのです……」
ヒカリさんの深い深いため息が店内に響き渡った。
△ ▲ △ ▲ △
後日談。
翌日のお昼過ぎに、私は美嶺からメールをもらった。
ボーナスが出て喜んでいた美嶺は「これで自転車が買える! 明日買うんだ!」と意気込んでいたので、きっと新しい自転車の自慢メールだろう。
しかし、送られてきたメールに添付されていた画像は、自転車ではなかった。
今日発売されたばかりのアニメくじの画像だ。
これはくじを引くと当たり番号に応じた景品をもらえるタイプの商品で、何が当たるのかは運しだい。でも、実はくじを売る店舗が景品をバラ売りしないで「コンプリートセット」と銘打ってネットで販売している場合がある。
美嶺のメールに添付されていた画像はその「コンプリートセット」の画像であり、メールの本文には「コンプリート!」と短く書かれていた。
私は「どういうこと? 自転車は買ったの?」と短く書いて、メールを返信する。
すると、即座に返信が戻ってきた。
「待ちに待ったアニメくじ第三弾が出たんだ! コンプリートしたくなるのは当然だろ?」
自転車に関しては一文字も書いてない。
そっか。自転車のお金をアニメくじで溶かしたんだね……。
美嶺の笑顔が目に浮かぶようだ。
そして、きっといつまでも自転車は買えないんだろうな、と思った。
私は「そうだね! よかったね!」と短いメールを送り、そっとスマホをポケットにしまった。
見上げると、青空はどこまでも続いている。
「うん。……ほたか先輩の家に行こ!」
私は自分の自転車にまたがり、晴れ渡った春の日差しの中を走り出した。
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