第二章 第二十二話「百合の香りは千の景色を舞う」

 感極まって千景さんを抱きしめようとした時、バンッという音と共に扉が開いた。


 あまりにも突然のことに驚き、扉に視線を送る。

 開け放たれた扉の所に立っていた人物。……それはほたか先輩だった。

 そして、その隣には……。


「……。……だれ?」


 ほたか先輩の隣には、目にも眩しいショッキングピンクの髪の毛の少女が立っていた。

 少女は料理人のような真っ白いコック服を着ている。

 背中まで届いている長いピンク色の髪は、まるでアニメの世界から飛び出てきたようだった。

 正体不明の少女は千景さんの姿を認めると、わき目もふらずに突進してきた。


「千景……! 千景、大丈夫かにゃーっ?」


 謎の猫語。

 さらに少女は何にもない場所でつまづき、走った勢いのまま私にぶつかってきた。


 激突には痛みがなく、その代わりに夢心地のような柔らかな感触が顔面を包み込む。

 まるで特大のビーズクッションにくるまれたような至福の感触。

 その感触は白いコック服に包まれたフワフワの大きなおっぱいのものだった。


 私に覆いかぶさっているピンク髪の少女が「ごめんなにゃさい」とつぶやきながら起き上がる。

 その顔を見て、私の中に衝撃が走った。


「千景さん? えっ……どういうことですか? 千景さんが……もう一人???」


 ピンクの髪の少女の顔は、どう見ても千景さんそのものだった。

 しかし、千景さん本人は私の横で、銀色のウィッグをかぶって座っている。

 私が驚きで何も言えなくなっているのを察してくれたのか、千景さんがピンク髪の少女を紹介してくれた。


「……ボクの母なのです」

「うふふ。百合香ゆりかなのにゃ。千景のママなのにゃ」

「……へ? お母さんっっ??」 


 私のお母さんとは全く違う。

 語尾といい、姿格好といい……なんというか、すごく常識外れの可愛いお母さんだった。

 年齢で言えば私たちより絶対にかなり上のはずなのに、ショッキングピンクの髪の毛が痛々しくないというのは……なんだかわからないけど、すごい。


 確かにほたか先輩からは「お母様は千景ちゃんとそっくりで可愛らしい方」とは聞いていた。

 でも、さすがにここまでそっくりだなんて、思わないですよ、普通!


 それこそウィッグがピンクじゃなくて銀色だったら、私は千景さんとヒカリさん双子説を完全に信じてしまっただろう。

 仮に百合香さんが今日お店に出ていたとしたら、私の頑張りは実を結ばなかった可能性があるということだ。



 ……本当に危なかった。


 そして……、ツッコんでいいのかためらってしまうけど、語尾があまりにあざといですよ、お母さん!


「えへへ。初めて会ったときは、お姉さんもビックリしたんだよ。あまりにも千景ちゃんにそっくりだから」


 そう言いながら、ほたか先輩が歩み寄ってくる。

 その顔には安堵の表情が満ちていた。


「でも、本当に良かった! 留守番電話を聞いて、まさかと思って駆け付けたんだよ!」


 私が電話した頃、ほたか先輩はちょうどお風呂に入っていたらしい。

 お風呂あがりに留守番電話を聞いて、すぐにお店に駆け付けてくれたのだ。

 お店はもう閉まっていたけれど、ほたか先輩がシャッターを叩いた音で厨房にいた百合香さんが気付いてくれたということだった。

 先輩の髪の毛は濡れたままで、本当に申し訳なく思ってしまった。


「ありがとうございます……。本当に、ありがとうございます!」

「いいんだよぉ~! ……でもましろちゃん、なんでこんなことになってるの?」

「あぅ……」


 ほたか先輩の質問に、私は言葉を濁してしまう。

 さすがに私の暴走を説明するのは気が引ける。


「それは……その。あとで落ち着きましたら、きっと……」


 そう伝えながら、なんとなくうやむやになればいいな、と願うしかなかった。



「ビックリしたけど、ケガがなくてよかったのにゃ」


 百合香さんは千景さんを見てにっこりと笑う。

 二人で座って並んでいると本当に双子のようだ。

 まじまじと観察すると、百合香さんのほうが少しだけ眉が目に近いことを発見できた。

 ……よく覚えておこう。見間違えないように!


 百合香さんは安堵した表情を浮かべ、立ち上がろうとする。

 近くの棚を掴んだ時、棚の留め具が一気に外れてしまった。

 棚の側面に引っ掛けられていた商品が雪崩のように落下し、百合香さんは道具の山の生き埋めになってしまう。

 千景さんはその光景をみて、深く深くため息をついた。


「……お母さん。厨房から出てこなくていいと、いつも言ってるはずなのです」

「でも……、千景のピンチと知ったら……、駆け付けないわけに……いかない、にゃ」


 くぐもった声が道具の山の下から聞こえてくる。

 千景さんはほとほと困り果てたような顔で私に視線を送ってきた。


「母はあのピンクのウィッグをつけると、こういう口調になるし、ものすごくドジになるのです」


 ものすごくドジ。

 そう簡単に言い切ってしまっていいものか悩む。

 「演技するとお店を潰しかけた」とほたか先輩から聞いていたけど、目の前の道具の山を眺めていると、心の底から納得できた。


「……じゃあ、つけなければいいのでは?」


 私が当然の疑問を投げかけると、千景さんはいっそう深くため息をついた。


「母はボク以上の恥ずかしがり屋で、あのウィッグをつけてキャラを演じないと、厨房や自宅から出てこれないのです」


 極度の恥ずかしがり屋であり、演じることで行動できる。

 ……それは千景さんと全く同じだと思った。


「……もしかして、千景さんのウィッグは……」

「はいなのです。母の真似なのです」


 私はてっきり、千景さんだけがすごく恥ずかしい思いをしてお店を守っていると思っていた。

 千景さんには悪いけど……、ご両親は娘が悩むことを放置してるし、よくない人たちなのではと思っていた。


 でも、もう、何も言うまい……。

 伊吹家には伊吹家の事情があるということだ。


 私も千景さんと一緒に、大きくため息をついた。

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