第一章 第十三話「千景の瞳は、蜜の味」

 昇降口の隅にあるロッカーの中で、千景ちかげさんと私は息をひそめて隠れていた。

 掃除用具が入っている上に、二人が入っているのでとても狭い。

 しかし近くをつるぎさんがうろついているので、少しの物音も立てるわけにいかなかった。


 上履きのゴムが床にこすれる音が近づいてくる。

 ロッカーの上部に開いたわずかな隙間から外を見ると、金色の髪が見えた。

 金属の薄い扉を隔てて、すぐ横に剱さんがいるのだ。


 その時、ドン、という音と共にロッカーが振動した。


 私が驚きのあまりに声を出そうとした瞬間、唇に千景さんの指が触れる。

 千景さんを見ると、首を横に振って「違う」と伝えてくれた。

 おそらく、剱さんはロッカーに手を置いただけで、私たちを見つけたわけじゃない。

 ……千景さんはそう言いたいのだと思った。


「くそ、待ってろって言ったのに。……このノート、必要なんじゃないのか?」


 私たちが息を潜ませていると、剱さんがぼやく声が聞こえた。

 そしてその後、その足音は遠ざかっていった。



 △ ▲ △ ▲ △



 完全に足音が聞こえなくなった頃、私は千景さんを見つめた。


「……あの。私が追われてるって、知ってたんですか?」


 私が問いかけると、千景さんはうなづく。


「ベランダで叫んでるのが、ここから見えた」

「見られてましたか……」


 確かに、昇降口の窓からは一年生の教室のベランダが見える。

 つまり、さっきの一部始終を千景さんに見られてしまっていたということだ。

 助けを呼んでいたのは事実だけど、学校であんな大声を出していたかと思うと、恥ずかしくて隠れたくなってくる。

 いや、実際に……ロッカーに隠れてるけど。


 私がモジモジしていると、千景さんは前髪の奥で瞳を光らせる。


「ノートって、何?」

「あぅ。……それを聞きますか」


 剱さんの去り際の言葉は、当然、千景さんにも聞こえていたようだ。

 でも、妄想ノートのことは恥ずかしくて言えるわけがなかった。

 誰にだって、隠したい性癖はあるはずだ。

 私の場合は、あふれる妄想を吐き出さないと苦しいから絵を描いてるけど、さすがにオタクくさいイラストを描く趣味があるなんて、恥ずかしくて言えるはずがない。


 さすがに沈黙が気まずくなってきて話題を探していると、ふと千景さんへの疑問が浮かんだ。


「……そういえば、千景さんは剱さんと何かあったんですか?」

「何……とは?」

「えっと……剱さんが放課後に居眠りしてた教室から、千景さんが出てくるのを見かけたので」


 さすがに本人を前にして、泣いてましたよね、とは言えなかった。

 千景さんは顔を伏せながら、ぽつりぽつりとつぶやく。


「……部の勧誘をしに行って。……でも、寝起きで機嫌が悪くて、怖くて、泣いてしまった」

「ああ……」


 剱さんの怖さは身をもって知っているので、私は妙に納得してしまった。

 そういえば剱さんも私と同じく、どこの部活にも入っていなかった。だから、千景さんは登山部の勧誘に行ったんだろう。

 剱さんに凄まれれば、泣いてしまうのも仕方ない。



 こうして千景さんと話しているうちに、私は落ち着きを取り戻していた。

 千景さんは暗闇の中でモゾモゾと動いているが、どうやらスマホをいじっているようだ。

 スマホで何をしてるのかわからないけど、いつまでもロッカーの中にいるわけにいかないので、私は出ようとして扉に手をかける。

 すると、千景さんが私の手を押さえた。


「出ないほうがいい。……また、きっと戻ってくる」

「あぅ。……でも、いつまでもこうしてるわけにはいかないですよ……」


 私が再び扉に触れようとした時、千景さんは体を押し付けてきた。



【挿絵】

https://32031.mitemin.net/i447503/



 狭いロッカーの中で、私と千景さんの体が密着する。

 お腹のあたりが妙に圧迫されるので、私は視線を落とした。


 そしてビックリしてしまった。

 千景さんのおっぱいが私のお腹に押し付けられて潰れている。

 さらに私は自分のおっぱいを千景さんの頬っぺたに押し付けてしまっていた。


 体の密着具合もさることながら、千景さんの胸が……胸がなんというか、すごいボリュームだ。何カップあるんだろう。

 髪からはいい匂いがするし、ちょっと困ってしまった。


「あうぅ……。だ、だいたい今。なんで千景さんも一緒に隠れる必要があったんですかぁ?」


 とっさに話題をそらそうとすると、千景さんは今度は私の手をギュッと握りしめてきた。

 華奢きゃしゃな指がからみついてきて、くすぐったい。

 千景さんは真剣なまなざしで私を見つめてくる。

 そして、想像していなかった一言が千景さんの唇から飛び出した。


「……登山部に、入って」

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