第22話 反省

 大精霊ヴリトラと出会った翌日。


 シズルは一人で森へと出向いた罰として、侯爵夫人によって部屋に軟禁されることになっていた。


 問答無用の早業である。抵抗する間もなく、言い訳一つさせてもらえないまま夫人に捕えられ、気付けば部屋に入れられたのだ。


 そして今や一歩も部屋から出られない状況まで追い詰められていた。


「確かに俺が悪かった。それはわかってる。わかってるんだけど、これはやり過ぎだと思うんだ」

「シズル様ー? 今回こそはちゃんと、ちゃーんと反省してくださいねー」

「う、マール……」


 笑顔で部屋の前に立つマールだが、その目は決して笑っていない。両手には複数の短剣を持ち、まるで門番のようにシズルの脱出を阻んでいる。


「言っておきますけど、今日こそは絶対反省してもらうんですからねー。逃げられると思っちゃダメですよー」

「わ、分かってるって。流石に今日は逃げ出さない」

 

 そう言った瞬間、シズルの頬を掠るように短刀が飛んでくる。


「今日も、です」


 マールはニコっと微笑みながらさらに短剣を投げてきた。もちろん当たる軌道ではないが、どれもあと数ミリ横にずれていれば頬が切れていたことだろう。


「お、あ……はい、逃げ出さないです。はい」


 まるで機械のようにコクコクと頷くと、マールはようやく短刀を持つ手を下げてくれた。


 目視するのも困難な勢いで飛んでくる短刀は、並みの騎士では避ける事など不可能だろう。シズルでさえ、『身体強化ライトニングブースト』を使っていない状態では反応出来ない速度なのだ。


「あ、ははは……相変わらず、お見事」


 シズルは両手を上げながら、抵抗はしないと恭順の姿勢を見せた。


 マールは侯爵家が独自に育て上げている戦闘メイド部隊の一員である。その戦闘力は並みの騎士よりも強く、今のシズルでは魔術抜きで勝てる相手ではないのだ。


 彼女たちは大規模なパーティーなど、護衛を連れていくことが難しい場所でも潜入できるように鍛え上げられており、その戦闘力はもちろん隠密性も高く非常に重宝されていている忍びのような存在。


 そんな戦闘メイドの中でも若くして優秀なマールは、国の宝ともいえるシズルの専属メイドとして護衛を兼ねているのだが、今回の事はよほど腹を据えかねているらしい。


 普段のポヤポヤした姿からは想像も出来ないほど、笑顔の裏が恐ろしかった。


「本当にわかってるんですかー? 昨日シズル様を探すために騎士団を総動員したんですよー? 幸い怪我人はいなかったですけど、どれだけの人に迷惑をかけたと思ってるんですかー?」

「うぐ……いや、ごめんなさい」


 流石に今回の件はやり過ぎだったらしい。マールはもちろん、侯爵夫人の怒りは雷神のごとく凄まじいものだった。


 侯爵夫人が諦めるまで森に行き続ける。そう決めたシズルだったが、心が折れてしまい第一回でその作戦は破綻する。それだけ夫人が怖かったのだ。


「我らを監禁するとは……ひどい話である!」


 一緒に森からやってきたヴリトラが不満の声を上げるが、先日とは打って変わって全く威厳がなかった。


 なにせ今のヴリトラの姿は、まるで人形のように小さくデフォルメされた状態。金色の肌に少し丸くなった身体は愛らしく、シズルの腰よりも小さいくらいだ。


 城での威風堂々とした姿からはかけ離れた、マスコットキャラのような姿を見て、これを大精霊と思うものはいないだろう。


 一応森で拾った雷龍の子供、という扱いにしているが、気付いている者は気付いていると思う。


「ヴリトラちゃんも、文句は奥様にお願いしますねー」

「……さてマールとやら、今日のご飯は頂けるのであろうな? 我は味にはうるさいぞ」


 なおこの大精霊、侯爵夫人の怒る姿を見てすでに心が敗北している状態だった。端的に言えば、ビビっているのである。


「ねえヴリトラ、ちょっと情けなくない?」

「仕方あるまい。我はまだ八歳。子供である」

「そっか」


 都合の良い八歳である。自分も今度から困ったらそれを使おうかな、などと考えていると、マールのプレッシャーがより重くなったので思考を止める。


「ハァ、まったくもう、本当に心配したんですからね」

「……ごめん」

「あぁもー。そんな素直に謝るのはズルイじゃないですか」


 色々と冗談交じりに本気で心配してくれているのが分かったシズルが素直に謝ると、マールは不思議な表情をする。それはまるで怒らないといけないけど、可愛くて怒れないような、困ったような表情だ。


「……どうしても魔の森で鍛錬したいなら、私を連れて行ってください」

「……え?」


 ありえないセリフを聞いたような気がして、シズルはつい聞き返してしまう。


「奥様も、私と一緒なら森で鍛錬をしてもいいって許可をくれました。シズル様が色々と隠したいことが多いのはわかっていますが、私は何があっても貴方のお味方です! だから、せめて私だけには隠し事をせずにしてください!」


 いつもはまるで太陽のように明るく笑顔でいる彼女が、今この瞬間だけは真剣な表情で見つめてくる。その茶色い瞳の奥には覚悟と、そして不安の色が映っていた。


「それとも、私は信頼できないですか?」

「まさか」


 シズルは生まれた時から彼女を知っている。そして彼女もまた自分が生まれた時からシズル・フォルブレイズを知っているのだ。


 ――貴族の生活で多忙の日々を過ごす母達よりも。領主として、そして英雄として常に戦場に立つ父よりも。


「誰よりも俺の傍に居続けてくれてるマールを、信頼できないはずないでしょ?」


 自分が生まれて、赤ん坊として過ごしてきたとき、まだマールは七歳だった。その頃からすでにシズルの専属メイドとなるため努力をしてきたことを、ずっと見てきたのだ。


 シズルにとってマールは姉であり、母であり、そして家族であった。


 だからこそ、彼女が一番喜ぶ言葉を選ぶ。


「僕の専属メイドは君だけだよ。マール」

「っ――シズル様ぁ!」

「わっ!?」


 自身の本音を伝えると、マールは感極まった勢いで抱きついてきた。


「ちょ、マール恥ずかしい!」

「今だけ、今だけですから!」


 苦しいと言うほどではない、絶妙な力加減でぎゅっと抱きしめられる。まだ成長中の胸ではあるが、まだ幼いシズルはその中に納まってしまった。


 恥ずかしさのあまり身じろぎするも、魔術を使って強化していないシズルの力は年相応。戦闘メイドとして訓練されているマールには勝てないでいた。


「約束してください……危険な事はしないって」

「……それは出来ない、かな」


 シズルの目標は最強の魔術師になる事。その過程できっと無茶をしなければいけないことも多く、そして危険な事は多いだろう。


 今の彼女に嘘は吐きたくなかった。だからこそ本音を話すと、彼女は無言で身じろぎ、耳元でそっと呟く。


「……わかりました。けど、黙って危ない事だけはしないでください。心配で、心臓が壊れちゃいますよ?」

「うん。わかった」


 しばらくして、抵抗は無意味と理解したシズルは大人しくなる。


 恥ずかしさを我慢して一度受け入れてしまえば、背中に回された手からは暖かい体温が伝わってきて気持ちいい。少しだけ懐かしい気持ちになり、その身に任せることにした。


「……おーい、我を忘れて――」


 一人存在を忘れられているヴリトラが声をかけようとするが、マールが人を殺せそうなほど鋭い瞳で睨み――


「――いてくれ。我は八歳。まだまだ色恋沙汰など分からない子供であるからな」


 シズルのベッドの横に用意されたヴリトラ専用と書かれた籠の中に入り、目を閉じて眠るのであった。


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