第1話 骸骨魔女の遺品窟 1
『冒険を望みますか?』
問われたのは、たったそれだけだった。
僕の眼前には、何も描かれていない、のっぺりとした無貌の仮面を被った黒衣の少女。
周囲の闇を纏ったような、姿。
仮面とフードの間から零れる金色の髪は、まるで金糸で作られたかの如く美しくて。
けれど、そんな彼女の美しさに惑うよりも前に、僕は胸の中に灯った好奇心と、無謀なる冒険心に突き動かされて、答えを吐き出した。
「ああ、望む!」
自らを奮い立たせるような声。
我ながら、この時ばかりはまるで少年漫画の主人公のような生き生きとした目をしていたのだと思う。何せ、本当に、自分の喉から出たのか? と疑いたくなるほど、僕の声は淀みなく、張りがあったのだから。
『分かりました。では、試練を始めましょう』
こうして、僕の試練が始まった。
●●●
とある噂が、僕らの学校でまことしやかに流れていた。
特別な呪文を唱えながら、なんの変哲もない、何処にでもあるようなドアを開くと、そこが異世界へと通じている、なんて、ちょっと今時小学生も信じないであろう噂が、何故か、流行していた。
曰く、その呪文はある日、突然、自分の脳裏に思い浮かぶ物らしい。
曰く、呪文を授けるのは、異世界の女神である。
曰く、異世界の女神に選ばれた者は、試練を受ける権利を得られるらしい。
曰く、その試練を乗り越えた者には、栄光と冒険が与えられる。
まったく、眉唾物も良いところの噂だ。
最近、異世界転生が流行しているからと言って、如何にもこんな嘘くさい噂を信じてどうするのか。大体、誰が噂を流したかもわからず、『誰かが本当に異世界に行ったらしい』という情報だけが学校で、噂と共に出回っているのだ。
何故、こんな子供騙しの噂が流行しているのだろうか?
僕は常々不思議だったのだが、ある日、友達の一人が、疑問に対してこう答えた。
「なんでも、魔法を使える奴を見たから、らしいぜ? 一時期、魔法を使ったところを撮影した動画が一部のSNSで出回っていたらしいけど、もう消されたんだとか」
魔法を使った動画? まったく、馬鹿らしい。どうせ、手品に決まっている。手品に決まっているのだが、高校生にもなった僕たちを騙して、ここまで噂を流行させた動画だ。その時から、僕はその動画に関して、とても興味を示していた。
柄にもなく、クラスを隔てず色々な人に聞き込みを始めて、情報を集めていたりもした。
その中には、本当に魔法を見た、という人物もいたが、誰が魔法を使っていたのかは、よく覚えていない。遠目から、誰かの手から紅蓮の炎が立ち上がるのを見たとか、その程度が精々だった。
結局は徒労だった。
噂を耳にした時から、一週間ほど探し回っても、その動画の存在も確認できず。ただ、目撃情報だけは無駄にあって。
でも、一人も異世界へと実際に行って、戻ってきたという人物には出会えなかった。
「…………まぁ、こんな物か」
我ながら無駄足を踏んだと、思っていた。
高校二年生にもなって、異世界へ行く手段を本気で探そうと思うなんて、どうかしている。迫りくる受験への現実逃避で、こんな馬鹿な真似をしたのかもしれない。
そう、馬鹿な真似だった。
帰宅直前。これで最後、とばかりに脳裏に浮かんだ適当にそれっぽい言葉を呟いて、自宅の玄関のドアを開けてしまったのだから。
ああ、本当に馬鹿だ、僕は。
その時の僕はきっと、道端に転がっている良い感じの木の枝を振り回して遊ぶ小学校低学年の男子よりも、知能が低かったんだろう。
「…………は?」
そんな愚かが極まった行為でも、認証してくれるのだから、意外と女神様とやらも適当なのかもしれない。あるいは、そんな僕の愚かさすらも計算の内なのか。
自宅の玄関に入るはずの僕の足は虚空を踏み、僕はそのまま、わけのわからない暗黒の中へ入り込んでしまった。
「う、うあぁあああああああ!!? いやまっ、ちょ、キャンセル! キャンセルでお願いしまっ、というか、どこまで落ちるのこれぇえええ!!?」
適当な呪文で、よくわからない場所へ通じてしまった僕は、そのままよくわからない闇の中を三十秒ほど落ちていき、静かに死を悟った。だって、三十秒だ。三十秒の自由落下と言ったら、確実に死ぬ。熟したトマトを地面に叩きつけたみたいな、愉快な死にざまを晒してしまう。
…………けれど、結果から言えば、僕は死ななかった。自由落下の途中で、僕の体はまるで、柔らかなクッションで受け止められたかの如く減速して、そのまま止まった。相変わらず、周囲は真っ暗で何もなく、上下の判断すらも曖昧だったけれども、少なくとも、そこでは呼吸が出来た。
一体、何なんだ、これは?
これが異世界? こんな真っ暗な場所が? いや、そもそも、僕はどうして生きている? 何が起こったというんだ? 光が欲しい。そうだ、携帯のライトを。
混乱する頭で、そこまで考えたところだった。
『冒険を望みますか?』
僕の眼前に、黒衣を纏う仮面の少女が現れた。
そこから先は、もはや、語る必要はないだろう。
●●●
問答の後、僕の意識は一瞬、途絶えていた。少なくとも、感覚としては一瞬だった。瞬くほどの僅かな間だった。
それだけの間で全てが変わっていた。
周囲に暗闇は存在しない。眼前にあるのは、質素な木製の机が一つ。見上げれば、蛍光灯が付けられた天井。真新しくもなければ、古くもない。体を動かそうとすると、自分が、簡素なパイプ椅子に座っていることに気づいた。
周囲を見渡す。
それほど大きな部屋ではない。四畳半ぐらいだ。窓は無い。ドアは一つ。机の上には、A4ぐらいの紙切れが一枚。
その紙切れには、このような文章が日本語で印刷されていた。
『死は無制限。武器は自由。諦めるのも自由。新天地を目指すのならば、扉を探せ。必要な力は、カードキーの中にある』
よくわからない。なので、とりあえず机周りを探索してみることにした。不可解な状況でやることと言えば、まずは探索である。紙切れの裏表を確認したり、小さく何か書かれていないか探ってみたり、机の引き出しを探ってみたり、パイプ椅子を念入りに調べてみたり。
そして、探索の結果、見つかったのは二つだけ。
一つは、なんか赤いボタン。そう、ボタン。バラエティー番組とかで、早押しクイズに出てくるようなボタン。そのボタンの下には、『諦めたら押すこと』と書かれてある。これが『試練』なのであれば、試練が攻略不可能になった時に、押せ、ということだろうか?
もう一つは、カード。トレーディングカードのように、カードの名前とイラストが描かれてある、プラスチックのような素材で出来ているカードだ。
表には、『悪魔を盗んだ男』というカード名が日本語で記されており、イラストはやけに高そうな宝石を、生き生きとした表情で掲げている青年の姿が描かれている。顔には傷があり、強面の男が、めっちゃドヤ顔の笑みを浮かべている姿だ。
何だろう? すげぇ、三下臭い男のイラストだな、これ。ラノベや漫画だと、主人公に突っかかって三秒で倒されてしまいそうな感じの奴に見える。
カードの裏面には、歯車なのか、太陽なのかわからないシンボルが描かれていた。
…………これだけ、である。
カードキーに関しての、詳しい説明などは無かった。
「…………まぁ、落ち着け。落ち着こう、こういうのは違う部屋に追加の説明があるもんだ。ああ、そうだろう?」
独り言を呟いた後、僕は部屋のドアを開けて移動した。
「…………おぉ」
ドアを開けた先にあったのは、武器庫だった。
古今東西、様々な武器が種別ごとに綺麗に整理整頓され、分けられている。
刀剣類の他にも、鈍器がある、よくわからないマイナーな武器もある、ブーメランすらあるのだから驚きだ。さらに言えば、銃器がある。ただ、銃器は拳銃ぐらいまでで、ショットガンやら、アサルトライフルなどは置かれていなかったが。ただ、弾薬のような物はたくさんあるらしい。
「でも、使い方がわからねぇ……ハワイで親父に教えてもらった経験なんてねぇよ、僕には」
拳銃があれば、戦闘力皆無の僕でも色々となんとかなるんじゃね? という浅はかな考えを実現させるべく、何処かに説明書でもないかなぁ? と探し始めた。
…………あった。駄目元で探してみたが、そこら辺の床に、凄く無造作に『猿でも出来る簡単戦闘マニュアル』という冊子が置いてあった。タイトルになんか、悪意を感じますけど、そこら辺どうなんですか、推定:女神様? ああ、でも本当にクッソ分かりやすく、いろんな武器の使い方のマニュアルがある。簡単な漢字にもひらがなでルビを振っている辺りに、イラっとするが、これがあるのならば、多少なりともマシになるのではないか?
それに、何より、そのマニュアルの最初には、カードキーについての説明が書かれていた。
『カードキーには死者の魂が封印されています。貴方たち、【キーホルダー】は自らが所持する、カードキーによって、死者の力を引き出すことが可能です。自らの内側に意識を集中してみてください。自然と、貴方が得た力を自覚することが出来るでしょう』
………………あの、出来ないんですけど、女神様? 全然、欠片も自覚できないですけど? 大きな声で、ステータス・オープンとか叫んでみたりもしたけど、変化が皆無なんですけど。こう、腕力とか、体力も変化を全然感じないし…………ううむ? もうすでに発動していて、それが自覚できないほど地味な力とか? だったら嫌だなぁ…………でもまぁ、折角与えられた力なのだから、文句を言ってはいけない。立場を弁えよう、僕。
とりあえず、僕は学生服のポケットにカードキーを入れておくことにした。
多分、ピンチになったらきっと何らかの力が発動するだろう、と能天気な推測の下に。
「ええと、武器、武器……まぁ、こういうのは使い慣れていない者よりも、手軽に扱いやすい短剣とかだよね! よし、これで行こう!」
その後、僕はぐるぐると武器庫を何周も巡って、マニュアルとにらめっこした結果、刀剣類の棚から短剣を取り出して、装備することにした。装備と言っても、腰に下げるホルスターの類が見つからないので、手に持っているだけの状態であるが。
「こういうのは、下手に格好つけて刀身が長い武器とか、拳銃とかを使おうとすると痛い目にあるんだよな。大丈夫、冒険小説で予習しているから!」
にやにやと、気色の悪い笑みを浮かべた後、僕は何度かそれっぽい構えで短刀を振り回して、よし、と頷く。何がよし、なのか我ながらわからないが、多分、気合が入ったのだろう。少なくとも、武器庫のドアの前にある鏡でドヤ顔を決める程度には、気合が入ったみたいだ。
「さぁ、冒険の始まりだ!」
柄にもなくはしゃいだ声を上げて、僕は意気揚々と外に続くドアを開いた。
その時は、ようやく僕の物語が始まったのだと、信じて何も疑っていなかったのである。
●●●
一分後。僕は骸骨剣士に首を刎ねられて、人生初の死を体験した。
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