泥中都市パピプリオ

斧間徒平

プロローグ

 それは、まるで地球の自傷行為のような超巨大地震だった。


―――バギンッ!


 2020年3月4日午前8時22分、何か巨大なものが真二つに裂けたかのような音が地面の下から聞こえた直後、世界中の大地はみるみる揺れ始めた。


 その揺れは瞬く間に大きくなり、わずか数十秒間だけの本震と、それに伴う数年間にもわたる余震は、地上に存在するありとあらゆるものを、人工物、自然物問わず全て破壊し尽くした。


 地上にいた人々の末路は悲惨であった。地震が発生した直後、低層の建物は直ちに倒壊し、巻き込んだ周辺の人間を、ぺしゃんこになるまで時間をかけて丁寧に圧殺した。


 高層の建物は数秒間だけは揺れに耐えたが、やがて根元からネジ切れるようにして次々に倒壊した。

 倒れるまでのわずかな時間、建物は、中にいた人間を撹拌する巨大なミキサーと化し、倒壊した後、そこからは果肉入りジュースのようになるまで擦り下ろされた死体が溢れ出した。


 たまたま飛行機乗っていた人々も、巨大な破壊から逃れることはできなかった。地震とともに発生した電磁波は電離層を乱し、現在位置を見失った航空機は次々に大地へと墜落していった。


「お母さん、お父さん!どこにいるの?」


「息子を探してください!さっきこの亀裂に落ちてしまったんです!」


「ガレキを取ってくれ!足が挟まって動けないんだ!」


 火炎、熱風、瓦礫に覆われた街のあちこちで助けを求める声が聞こえたが、それに応じる声は上がらなかった。助けなかったのではない。皆、自分のことに精一杯で、助けることが出来なかったのである。

 人権、尊厳、互助の精神は翼を生やして何処かに飛び去り、後にはむき出しの生存本能だけが取り残された。阿鼻叫喚とは、この時間を指すためだけに用意された言葉であるとさえ思われた。


 この地獄絵図を何とか生き抜いた人々もいたが、彼らを待っていたのは、天まで届かんとする壁のような超巨大津波だった。

 音速に近い速度で地上に乗り上げた津波は、ガレキと死体を飲み込みながら丘も山も谷も関係なく進撃し、大陸奥深くに至ってようやくエネルギーを使い果たし、せせらぎへと変わった。津波が引いた後、ある山の頂上には、サーフボードや漁船が突き刺さっていたと言われている。


 破壊は世界中で起こった。

 ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、ボンベイ、北京、シンガポール、東京。繁栄を極めたあらゆる都市が、そこにいた人間とともに地上から消え去った。

 人類の歴史の中でさまざまな文明が衰退と興亡を繰り返したが、その痕跡さえも根絶されたのはこれが初めてであった。


 数年後、地球がようやく落ち着きを取り戻した時、国は破れ、山河さえも平らにならされていた。そして、地震による液状化現象と津波、そして数年間絶え間なく続いた余震のため、大地は見渡す限り分厚い泥に覆われていた。


 それでもなお人類は生き延びた。もちろん、極々わずかな人数ではあったが。

 文明を再建することは彼らの急務であったが、差し当たって彼らには衣食住を確保する必要があった。


 「衣」については、そこら中に散乱する死体から服を拝借することで用は足りた。地震によって神々さえも死に絶えたのか、この行動が咎められることはなかった。


 「食」については、主に漁業によって賄うことができた。そのため人々は、数時間で海に出られて、津波からすぐに逃げられる、やや内陸の土地に集まり始めた。


「衣」と「食」についてはこうして用立てることができたが、「住」の再建だけは困難を極めた。

 液状の泥に覆われた大地には、住居の核となるべき柱を建てることはできなかった。さらに、昼夜の寒暖差は巨大な泥流を生み出し、泥上に浮かぶ筏でさえ、夜間には底無し沼のような泥中に引きずり込まれた。


 人類の歴史を彩った文明にはそれぞれに特色があったが、それらはいずれも大地に根差すものであった。人類はここにきて初めて、大地に寄らない文明を作り上げるという難題を突きつけられた。


 結論として、人類はこの課題をすらなんとか克服し、新たな「住」の形態を生み出すに至ったが、文明の形態は以前とは大きく変わることとなった。


 この変化は世界中で起こった。世界中の生存者は、申し合わせたかのように新たな形態の文明を泥中に築き始めた。

 これが歴史の大きな転換にあたるのか、それとも巨視的には一時の変化に過ぎないのか、それは遙か後世が判断すべき事象に属することだろう。

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