EPISODE7 苺と色舞
「————」
瞬きより早く。音速を嘲笑うが如く。もはやそこに、既存の『速さ』や『時間』といった概念が成り立つのかどうかすら危うく。
ただ、ほんの刹那、けたましく炸裂した轟音と白光のみが、その場に残滓していた。
左へ目を移せば、そこには両掌で『スキップアウト』の切っ先を止めている倫語と、赤黒い雷光が唸りを上げると同時に、膝から地へと崩れ落ちていく苺の姿を目にした。
「苺さんッ!」
咄嗟に彼女のもとに駆け付け、身体を支える。
「これが、『スキップアウト』を放つうえでの反動だよ。現状、苺君は最大威力の術式しか発動出来ない。そして、その弾数は……」
倫語は、人差し指と中指を立てて提示した。
「二発。二発放てば、彼女は約六時間眠りにつく」
滔々と語られた真実。それを聞いた色舞は当然、倫語に掴みかかった。
「なんて危ないことをさせていますの⁉ 貴方の実力なら、もっと別の方法があったでしょうに!」
分かっている。倫語はただ、苺の意志を尊重したうえで、彼女が貫き通したいと思っている剣術の特訓に付き合っているのだろう。
しかし、だったら尚更、納得がいかなくなる。
「……日比谷博彦による侵入事件のあの日、君が部屋から出て行った後、この都市であった魔剣絡みの事件や有数の実力者たちの剣舞といった、あらゆる記事や映像を見せてくれ
ってせがまれたんだ」
「記事や、映像を……?」
「ああ。それで、彼女、そこからどうしたと思う?」
あくまで飄々とした態度を崩さない彼に、色舞は若干の苛立ちを覚えるも、思案して答えた。
「そりゃあ……参考にして、何かヒントがあったら部分的に吸収するのがセオリーじゃありませんの?」
事実、色舞だってそうしてきたのだから。だが、倫語は「普通は、そうだろうね」と意味深に前置き、
「けれど、苺君は違った。この子は、日が昇るまで、ずっと『シールド』の画面とにらめっこしていたんだ。実際には剣を振るっていないのに、脳内では常に剣戟が鳴り続けているぐらいに」
「……!」
色舞は、絶句した。
普通、この世界に入って程なくしてあのようなイレギュラーな事件に遭遇すれば、大抵の者は暫くの間、剣を見たり握ったりするのさえ拒む筈だ。実際、その状態に陥った時の為に、倫語を始めとするカウンセラーや、医療機関が多く存在するのだ。
「苺君は、一部に過ぎずとも、魔剣に関しては幅広い見識を得た……だからこそ、決めたのだと思う。この世界で生き抜くために……何より、粋羨寺色舞という憧れに近付くために、ハイリスク上等で、己の魔剣の威力を最大限に放つ選択を」
夜桜苺の並々ならぬ決意。それを裏付けるのが、あの凄まじい一閃。色舞も薄々感じ邸はいたが、苺のハングリー精神は恐ろしく高い。何かに飢えていて、同時に、何かに怯えているようにも見えて——、
「あら? 今、狂喜乱舞してもおかしくないぐらいに、嬉しい文言が含まれていたような気がしますわ」
「流石、粋羨寺氏のお孫さん……聡いところは彼そっくりだ」
と、さり気なく失礼なことを言った倫語。
それもまた色舞の眉間に皺を寄せる原因を作るが、次に彼が放った一言が、本当の意味で色舞を狂喜乱舞させた。
「『憧れ』なんですよ、貴女は。苺君が心の底からなりたいと思っている、ね」
片眼を瞑ってそう言った彼の胸倉を、色舞は恍惚とした表情で掴みかかっていた。
「それは本当なのですね⁉ もしも口からの出まかせでしたら、わたくしのフェニーヌが火を吹きますわよ!」
「本当だよ、本当! というか、『フェニックス』をフェニーヌって、中々面白いネーミングセンス——」
恐らく脳みそが、ぐぁんぐぁんと揺れているだろう倫語の言葉は、今の色舞の耳には届いていなかった。
だって、苺が自分の自分のことを『憧れ』の相手と認知してくれているのだ。今まで、色舞は色々な者達からその言葉を始め、数々の賛美や称賛を受けてきた。しかし、どれも見せかけや打算的なもので、真意が込められたものは何一つとして無かった。
だが、夜桜苺は違う。
まず、彼女はその類の人間を嫌う。そして何より、自分が『有象無象』と同一視されることを厭う。
それは色舞も同じで、しかしその根底には色舞にも無い、底知れない飢餓心が潜んでいるのだ。それが果たして彼女の行く末を善の光として照らすのか、それとも——、
「そうだ、君は恐らく苺君が信頼を置いている相手だと思うから言っておくね」
「信頼……! はいっ! 何なりと申しつけ下さいな!」
トキメキを隠しきれていない色舞に頬を綻ばせるも、倫語はすぐに表情を真面目なものにして、
「明日より開催される『剣舞祭』……そこで、きっと何か大変なことが起きる」
「大変な、こと……? 何ですの? その天気予報よりもアバウトな予感は」
「いや、天気予報も当たる時はとことん当たるからね? ……じゃなくて、とにかく、起きるんだよ。少なくとも、そこに『半世紀論』と大規模術式が起因していることは分かってる」
「『半世紀論』と……大規模術式……」
それらの言葉を咀嚼したと同時、色舞は胸底から何か熱いものがせり上がってくるような感覚を覚えた。
恐らくそれは、『使命感』と『義憤』。
「そして、僕はその時、君達と共に居られないかもしれない。だから、その時は——」
苺を、この手で守り抜く。邪な者共に、日常を壊させなどしない。
「分かっていますわ。この粋羨寺色舞。恩人……それ以上に『友達』である苺さんをお守りいたしますわ。例え、剣の刃が零れ落ち、この身が枯れ果てようとも」
決意は固く、心燃やす炎は己の魔剣が放つ獄炎よりも熱い。
倫語は安堵したかのように柔和な笑みを浮かべると、
「ありがとう。そして頼んだ」
先生の顔になって礼を言い、苺をお姫様抱っこで抱き抱えるのだった。
それを目にした瞬間、色舞の胸の裡に、
「是が非でもその役目はこのわたくしが……!」といった対抗心が湧き出てきたのは言うまでも無く。
「——あーんっ! こりゃまたやっちゃったパターンだわぁ!」
と、色めかしくも気の抜けた悲鳴が聞こえたと同時に、傍らのカウンセリングルームから、ボォンッ! と得体の知れない爆音が耳朶を劈いたのは、全くの予期せぬ出来事だった。
「ちょっ⁉ あーもうっ! 何してくれちゃってんの! どうせ真文君でしょ! そこには僕の尊いが詰まった禁断の花園が……!」
倫語が、彼の自慢であり大きな支えでもある百合漫画棚に危機を感じ、世界の終焉を垣間見たような顔をしている。
今さっきまでの先生としての顔はもう、どこか遠くの彼方へ消し飛んでしまっていた。
「先生、苺さんは、わたくしが責任を持って部屋まで連れて帰りますので、貴方はご自分の命の次に大事な宝物の安否をご確認下さいな」
「い、いいのかい……? じゃあ、任せたよ! 色舞君!」
そう言い残すと、倫語は急ぎつつも苺に細心の注意を払い、色舞の腕の中へと渡し、叫びながら惨状が広がっているだろう部屋へと駆けて行った。
かくして、無事、色舞は苺を腕の中へ招き入れ、さらにはお姫様抱っこまで出来てしまったのだった。
「さて、約束通り、お部屋にお連れ致しますわ」
間近で苺の整った顔を見下ろすことにドギマギしつつ、地を踏みしめて、一歩一歩を丁寧に歩き出す。
これより、色舞の時間が始まる。まさにショータイム。実際に声に出したい程、彼女の胸は高まっていた。
だって、同年代の少女に、それも正式に友達と認め合ったという仲にある少女を、このようにロマンチックな所作で抱き抱えるなど、新鮮を通り越して緊張してしまう程に未知なる体験なのだ。
ここで、昨日、苺と共にこっそりと覗き見てしまった禁断の花園に咲き誇る花々が、色舞の脳裏を過った。
一言で言えば、「まあ、別に無いことも無いとは思いますわよ? いや、寧ろ、アリかナシかで言われればアリより……ですわね。ねえ、そうでしょう? 苺さん」といった具合である。
(……って、何でわたくしは心中で苺さんに同意を求めていますのぉ⁉ 苺さんは、わたくしを憧れと言ってくれて、対等な友達としても接してくれる、良きライバル……謂わば打算抜きでのびのびとした関係となっておりますの。……って、何でいかにも誰かに弁明でもしているような感じになっていますの⁉)
慣れないことをして、感情がひとりでに暴走してしまっている『紅蓮の剣姫』。
常の凛として気高い彼女を知る者が今の様子を目にすれば、明日の天気予報を剣と予測するだろう。倫語が危惧していた大規模術式の話が本当なら、あながちその冗談も冗談とは言えなくなってしまうのかもしれないが。
「と、とりあえず、さっさと寮に——」
その時。
「……ん、色舞……」
「————」
「……すき」
「————ッ」
天使の嘶き? いいや、これは女神が放った言霊。幾千の賛辞をも雄に凌駕する程に、甘美で優美な花の蜜。
今この瞬間、粋羨寺色舞の中で、何かの扉が開いた音がした。
その扉の向こうには、きっと、他の何もかもが霞んでしまう程に壮麗な花畑が待っているのだろう。
色舞は、自分の頬がだらしなく緩み切っているのを感じていた。しかし、だからと言って全てが弛む訳では無く、寧ろその逆で。
「必ず貴女を、守り抜いてみせますわ。この命に代えても」
固く誓った決意を、より強固なるものへと昇華させるに至ったのだった。
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