28話 宥恕

今日の空は、青かった。

青い空はいつになっても美しいと思った。

その美しい、青い、青い穹の先にあの人がいると思うとそれはもう胸がいっぱいになった。

そんな青かった空が日差しが地平線の彼方へ沈むにつれて赤みがかって、もう太陽が一日に別れを告げている。

そんな日暮れにボロボロの男は佇む。

静かな村のそばで。

一見、長閑なその村は、その影を伸ばし、人々に家路につくように促し家主の帰りを待っているが、もう誰一人帰ることは無い。

そんな寒村を横切る集団が一つ。

それをきれいな夕焼けとは相反するような濁った瞳に移した男は声をかける。

唐櫛笥からくしげを開き、無邪気にお気に入りを自慢するように。

そんな屈託のない笑みを浮かべて、男は言う。


「そんな大所帯で、どこ行くんだ?」


心が冷えていく。

良心が凍えていく。

決意が

ひんやりとしていて、じわじわと熱を発しているような、そんな背反な熱を持ちつつある心を言葉に乗せて吐き出す。


「拝心教国第二王女、並びにその手先の機械ども。これ以上、東の帝国を汚そうというのなら……いや、何でもない。──殺す!」


泥縄式になる事の愚かさは嫌という程知っている。

戦乱などこの世界で起こり得る筈がないと、帝国の発展と恒久的な平和から導き出されるのは永遠の安寧だと高を括っていた我々を運命は嘲笑う。

事前準備は出来たのだ。

第二王女並びに隣国の噂は人の好悪を問わずに聞こえてきた。

断ち切ればよかった。

そうなれば隣国との戦争の引き金を引くことにはなろうとも。

それが一番良かったと、今では考えることがある。

だからこそ、もう一度東の帝国で手ぐすねを引くというのならば、

男は、そう誓いを立てた。








「────殺す!」


凱がそんなことを言われたのは、初めてだった。

正確には、それほどの殺意が積み重なった言葉は耳にしたことがなかった。

向けられたことのない本物の殺意に、恐怖で体が竦み上がる。

なぜ、そんなにも殺意を向けられるのか理解できない。

先刻、会ったばかりのはずだ。

あのような狂人と面識などない。

理解から遠い思考の持ち主だからこそ、あのような残酷な行いができるのだろう。

沈みゆく夕陽を背に、立ち塞がっている男が手を、禍々しく曲げ、振り下ろす。

それだけで、冗談みたいに、人が飛ぶ。

シン───赤毛の男が目を見開いて、宙を舞う。


「──シンッ!」


アナが叫ぶ。

シンは顔を顰めて、向こう側が覗けるようになってしまった肩口を片手で隠しながら、残る片手で問題ないと声のない返事をする。

男がその五指を内側に折り曲げる。

すると、男の近くの空気が撓んだ気がした。

もちろん、凱に魔法やそれに類する異能を行使する力や才能などはない。

けれども、それでも確かに肌で感じた。

続けてごっそりと、撓んだ不透明な何かに、空気の塊が乗る。

それだけでは飽き足らず、アイスクリームを掬うように、空気が見えない何かにごっそりと持っていかれる。

それを、あたり一面にばら撒いた。

発射地点からほど近い着弾地点から、底の見えないほどの穴が開き、それが視えない攻撃の軌跡となって凱たちの方へ迫ってくる。

男の実力が、この世界で嶷然ぎょくぜんたる様をまざまざと見せつけられた。


「あな、たは……」


初めて男の姿を見たノアは顔を青ざめさせ、今にも倒れそうだった。


「第二王女、あなたの蛮行をこれ以上許す訳には行かない。これ以上、故郷での狼藉は俺が許さない。臣民、いや、生きとし生けるものの為にも、死んでくれ」


初邂逅の時の狂人ぶりは鳴りを潜め、男の表情は憑き物が落ちたようだった。

否、憑き物が落ちたと言うよりもその変わりようはまるで、仮面ペルソナを外したかのようだった。

道化の仮面の下は、怜悧な戦士の顔。

底抜けの明るい言葉を放っていた道化が真剣な瞳をしてこちらを見つめてくるような不気味さと居心地の悪さが同居している。


「手加減してたのか?」


アナが不可視の凶弾を手刀で打ち落としながら問う。

ケリーは、凱とノアの前方に滑り込んで、外套の下の機械の肌を晒し、その中から突き出してきたアームや盾で攻撃を後ろへ通さない。


「大丈夫?怪我とかシてない?」

「ありがとう。みんなの邪魔にならないように、退避するね」


凱はそう短く礼を告げると、茫然としているノアの腕を引っ張って民家へと走っていく。


「どうして……」


ノアが消え入りそうな声で何事かを繰り返しているが、凱には気遣う余裕がない。

スッと男が手を頭上に掲げ、手のひらを擦り合わせると、アナたちを挟み込んで不可視の壁が押し潰さんと肉薄する。

その範囲外に出ると、アナ以外のメンバーは左右に散って銃器や魔法で次の動きをけん制する。


「凱、ノア、目いっぱい離れろ!」


アナは、腰を屈め、微動だにしない。

守りに意識を割いて倒せる敵ではないのだろう。

出せうる限りの全速力で、脇目も降らずに近くの建物に身を隠す。

それを目の端で見届けたアナは

この世界に奇蹟を起こす詠唱を口にする。


「燦然と輝く陽。齎すは数多の破滅。輪廻を廻し、平和を騙り、殺戮を望み、破滅を謳う者よ、喝采せよ。血みどろの狗と熱を踊れ──『地獄ノ炎メグ センテイ』」


炎の雨が男めがけて降り注ぐ。

ジュッと空気が溶ける音がして、辺り一面が紅に照らされる。

細い指先から空へと放たれた地獄の底を這いずり回るものは、空で大輪の花を咲かせ、一人の男に降り注ぐ。

降り注ぐ豪炎の驟雨しゅううをまるで傘を差すかの如く、男は一瞥しただけで頭上に魔法障壁を展開する。

魔法陣とともに現れた透明な壁に阻まれ、炎は一滴たりとも男に着弾しなかった。

頭上からボタボタと垂れてくる高温の炎を一顧だにせず、追撃に飛んでくる銃弾を見えない力で受け止め、倍以上の速度で跳ね返す。


「逃がしはしない」


東の帝国崩壊の張本人、その足末あなすえまでをも、悉く滅ぼしてやると男の攻撃はより苛烈さを増していく。

透明で鋭利な爪を伸ばし、仮初の命に手をかけようとする。

その不可視の魔手から逃れるように、一定の距離を保って銃撃戦が展開されている。

戦場は一旦膠着状態にあるが、男の優位は揺るがない。

アナ達は、決定打に欠けている。

対して男の方は一人で多人数を相手にしている分守りに入らなければならずに攻めあぐねているようにも見えるが、誰か一人でも崩れればそこから付け入られ包囲陣は瓦解するだろう。

しかも、アナ達は守るべきものがあるが、男にはない。

そこがアキレスの踵となり、一網打尽にされる可能性は充分にある。

あとは男の手札がどのくらいあって、それをアナ達がどう捌くかの戦いである。


「───。────。──仕方ない。手段は選んでいられないな」

「シンッ!エイムッ!!ぶっ放せ!」


中々守りを崩せず攻めあぐねている男は、葛藤した後に急に攻撃の手を緩める。

何とか攻撃を凌いだアナは直ぐには動けない自分の代わりに仲間に対して勝負を決めるように叫ぶ。

シンとエイムの──もう一人の男──腕が変形して、それぞれ百足のような果てしなく長い蛇腹剣と、直径8センチに届く程の蜂の針のようなものが突出する。

二人が彼我の距離を瞬きひとつで無くす速度で男に肉薄し、その変異した剛碗を振るう。

男も超人らしくそれに反応して防御を固める。

蜂の針と腕とが接触すると、ギリギリとせめぎ合う。

エイムが変形した右腕から伸びている管を引くと、轟音とともに極太の針が超至近距離で炸裂する。

常人には避けられないそれを尋常ならざる身体能力と反射神経を持っている男はギリギリではあるが回避する。

その無理のある態勢に、シンは百足剣で追撃をかける。

涼しい顔をした男の顔面に喰らいつかんと迫った百足は、見えない壁に弾かれ、あらぬ方向へと逸れていく。

地平線の先まで伸びていくかのように思われた攻撃は、しかし、二度ほど空中に鋭角の軌跡を描いて男の死角から再び攻撃し始める。

視界外からの予想だにしない攻撃にさしもの男も被弾を避けられない。

せめてもの抵抗で身を捩るが、脇腹に牙が被弾する。


「───ッ!」


苦悶の声をかみ殺して、同じ轍を踏まないように、今度は見えざる魔手で抑え込み、百足の動きを封じる。

シンは腕を押したり引いたり何とか不利な状態から抜け出そうとしているが、座標に固定されてしまったかのようにびくともしない。

それどころか、シンの腕はまるで雑巾を絞るかのように見えない力に捩じられる。

痛覚があるのか、シンは顔を顰め、さらに腕に力を籠めるがそれでも百足は若干震える程度で見えない力を振りほどくには至らない。

その抵抗を無意味だとあざ笑うように掛かる力は増していく。

残されたメンバーはなんとかシンを解放しようと銃弾の雨を注ぐ。

しかし、男は片手間で攻撃を逸らす。

痛痒を与えるどころか、男は余裕綽々な様子でいなし、逆にシンにかかる圧力が強くなる。

このままではジワジワと嬲り殺しにされると感じたアナは己の行使できる最大級の魔法を行使する。


「炎炎たれ、炎炎たれ、炎炎たれ。赤い雛罌粟ひなげしを咲かせる永遠たる挽歌。ありうべかざる今を焼き払う罵詈。世界を五十六に数え、七十二対の因果を踏み抜き、九十九の破滅を齎す。懐中に忍ばせた死の亡骸を散らせ」


流水のような、澱みのない詠唱。

『魔法』を行使する前のその儀式は、魔法の威力や規模などを高めるために必要な行為である。

だからこそ、正真正銘これはアナができる最大限の攻撃である。


「──『炎炎たる世界ラウラウ ビード』」


目の前に広がるのは焼き尽くされた世界。

顕現したのは炎が闊歩する世界。

炎以外が逃げ出した閉鎖的な世界。

炎しか見えない。

炎しかない。

そんな世界を顕現させる魔法。仲間たちも巻き込む正真正銘の切り札であり、諸刃の剣。

切るに切れなかった鬼札ジョーカー

その爆心地にいた男は既に跡形も無いように融けて──


「───狂う花、眠る大地に絵空事。雪解けの末の春の訪れに歌う朝の雲雀を想う無く、夜の帳を憂う事もなく、ただ凍てつけ。全ては銀世界の中に、白く解けてゆく。凍れ、凍れ、凍れ。命よ、燃ゆること無く」


焦げ付いた衣服をはためかせ、それでも男は両の足でしっかりと地面を掴んでいる。

内に溜まった熱を吐き出し、灼熱すらも凍てつかせる凍えた声音を放つ。


「『命止む凍て地レレイ・ジャガン・バガン』」

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