22話 うそつき


彼は、嘘をつくようになった。

些細な嘘から、重大な嘘まで。

私を貶める意図はないのだということだけは、わかっているのだけれど。

言うなれば、秘密主義的な一面が現れることが多くなった。

本当は、料理やレーションの味なんて感じないほど疲労を感じているはずなのに、黙ってボソボソ食べる私に、味の感想を言い合おうとしてくる。

目の下の隈を、泣き腫らした瞼を、掻き毟った両腕を隠して、なんでもないように振る舞う。

なんなら、私の気遣いまでする。

自分だって、私と変わらないくらいボロボロのくせに。

でも、そうさせてしまっているのは私自身で。

とても、申し訳なくなる。

私がもう少し口数を多くすれば、彼は嘘をつくことを止めて弱音を零したかもしれない。

それをどうできる訳でもないけれど、吐き出した方がいいものもある。

例えそれがただの傷の舐め合いだろうと。

でもどうしてだろう、心の疲労に耐えようとしても、彼よりも先に音を上げてしまう。

これではまるで幼子のようだ。

なんとかしたい、そう思えども、事実として私はずっと負担をかけている。

痛々しい思い出は、痣となってその存在を主張する。

思い出に触れると全身が粉砕されたかのように痛い、そして記憶の見てくれも悪くなる。

瘡蓋にもなれない、醜い結痂けつがが、思い出の中でチラつく。


「ねぇ、凱。大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ノアこそ、無理してない?何かあったらどんな些細なことでと言ってね」

「ええ…」


指摘するのも憚られる。

でもきっと指摘しようとはぐらかされるのだろう。

なら、どうすればいいのか。

私が、甘やかされなければいいのだ。

憎たらしい、やさしい、うそつきに。

その砂糖の塊のような甘い思いやりに、甘やかされる自分をぶん殴ってやりたい。

いや、自分をぶん殴る前にやるべきことが一つある。

自分に向ける怒りの感情を、もどかしい心の壁を殴りつける力にする。

がんじがらめにして封印した醜い結痂けつがを剥がして醜い傷を曝して。


「ねぇ、凱。私の懺悔の話、聞いてくれない?」


傷の舐めあいで傷心を癒すのだ。














ただただ、欲しかったの。

自分だけの理解者が欲しかった。

親ではない、けれども同等かそれ以上に心の裡をぶちまけ、曝け出せる気の置けない誰かが。

安い慰めの言葉を吐く臣下も、私という存在を祀り上げる為だけにご機嫌取りと化した両親も、悪意を持って近づく衛兵も、親の傀儡として私の身分しか見ていない貴族の子女たちでもない。

私を、私のまま見てくれる人。

私を認めてくれる人。

家柄にも、才能にも拘らない人。

私が何者になろうとしても、傍で見守ってくれる人。

でも、手に入らなかった。

本当は欲しくて堪らないのに、どうせ手に入らないからと諦めるに足りうる理由が欲しかった。

もっとそれを欲しがる前に。

手に入らないからと、誰も理解してくれないからと自ら諦念に支配されるのも、それはそれで子供らしい。

でも、だからこそ。

私は意固地になってそれを頑なにし続けたのでしょうね。

今にして思えば、本当に愚かな選択だわ。

…ごめんなさい、訳の分からない独白につき合わせちゃって。

前に、東の帝国が崩壊した経緯を話したの覚えてる?

あの話に出てきた、愚かな第二王女はね。

東の帝国や、この世界の滅びの引き金を引いてしまったのは私なの。

ノア・エレナウル・バイルディ・ビナー・デリンジャ。

これが、私の

今は、ただのノアよ。

だから、畏まることはないわよ。

……。

その……予想以上に、…冷静ね。

私が元第二王女って事に、驚かないの?

なんとなく普段の振る舞いから、察していた?

何それ、私が勇気を出して告白したのに……ずるいわ。

軽蔑してくれてもいいわよ。

私は、私がこの世界を滅ぼした張本人なんだから。

私さえいなければ、もしかしたら、エインも、ルドルフも、ベルタも、ベアトリーチェも死ななかったかもしれないの。

そう考えるとね、幸せの商人なんてどの口が言うんだって糾弾されている気がして。

私は、死の商人で、人々に不幸をばら撒く存在なんじゃないかってずっと怯えているの。

人生の刹那刹那に、小さな「ああしたい」とか「こうでもいいか」という、その時そうしたかったの積み重ねで人生は編みあがっていく。

私は、【正義】も、【いい事】もよくわからなかったの。

【正義】って、何?

なんで【悪事】をしちゃいけないの?

したいことを我慢するのが、欲に流されずに自分を律することが【正義】なの?

自身の行いを正当化するために、正しさの証明の為に高らかに謳われるのが【正義】なの?

なぜ【正しい】ことをしなきゃいけないの?

【正しさ】の押し売りは正義なの?

自分にとって嫌なものを遠ざけるのは【悪】なの?

王女でありながら、自分だけの理解者が欲しいと願うことは【悪】だったの?

自分に取り入ろうとする人々にすげなく対応することは【悪】だったの?

私には、自分たちにとって都合のいい【良い事】をすることに拘り、【悪事】を極端に嫌う、そんな人間が嫌いだった。

理解不能だった。

そんな社会に適応できなかった。

曖昧模糊な定義に存在する【正義】と【悪】を、この世の人々は理解しているのか。

はたまた、自身の都合のいいように弄んでいるのか。

どちらにせよ、私には適合しなかった。

【暴力】も【正義】を謳えば、持て囃され、美麗美句をばら撒けば、【弾圧】も【助言】になる。

そんなごく一部、誰かの為だけの価値観に意味はあるの?

それなら、みんな自分の欲望に素直に従ってもいいじゃない。

けれども世界は、個人の【正義】で、個人の【欲】を叶えることを弾圧している。

私は、私の幸せのために、理解不能な理論武器を振りかざす人間を排除したかった。

けれども、私のしたかったことは、してはいけなかったことで、人生の澱みが、私に降り積っているの。

私がしたかったことを自分勝手にした結果は、私が最も忌避することだったの。

でもね。

でも、ひとつだけ、私は自分の行いに胸を張ることができるの。

あなたを助けたこと。

あなたに生きろと呪いを掛けたこと。

それがあったからこそ、私は一人の人間を救えた。

私のしたかったことができたの。

嬉しかったわ。

それに、罪を償うために命を散らすよりも、これからの善行で私の過ちを贖えと叱咤して、隣に並んでくれて。

私は、かつてないほど幸せなの。

私の欲しかったものが、全部、全部、そこにあったの。

あなたが、私が蔑ろにしてしまった私自身の幸せをくれたから。

実はね、私が人の感情に敏感なのは、商人だからじゃないの。

商いをして、人との関わり合いを通して鍛え上げたわけじゃないの。

私はね、王族として、いいえ、違うわね。

この世界に生きる一人の人間として、人を疑って、否定して生きてきたの。

口ではこう言ってるけれど、実際は私を貶めようとしてる、愛してるだなんて形だけの空虚な言葉、そうやってたくさん拒絶してきたわ。

だから人の感情には敏感なの。

特にあなたみたいな、世界を憎んでいて、安心が欲しくて、生きるのが下手で、人と関わるのが不器用なそっくりさんには。

昔の、私と似ているから。

でも、あなたは変わったわ。

あなたが変わったのだから、愚かで不器用な第二王女でも、変われるのかなって微かな、けれども確かに私は希望をもらったの。

だから、失敗を受け止めて、挫けそうな現実を前にしても、未来を見据えて歩んでいけるの。

今でも時々、昔の感情が体の奥底から、湧き出ることがあるの。

それも、最近は特に。

でもね、あなたが傍にいれば、あなたが傍にいてくれれば、それも鳴りを潜めるの。

だから、その……。

……。

ああ、もう。

回りくどいのは苦手。

私は、あなたが好き。

どうしようもないくらいに、全部、全部、好き。

私は、感情を読み取るのが得意。

特に、私とそっくりで、でも致命的に違くて、私が大好きなあなたの事なら百発百中よ。

あなたが辛そうにしているの、見ていられないの。

何としてでも、どうにかしてあげたいの。

だから、お願い。

隠さないで。

私にも、分かち合って。

独りで抱え込む辛さと、危うさは私も充分味わったからわかるわ。

これ以上無理するあなたを見たくないの。

打ち明けるのに、勇気がいることも、それ自体が辛い事もわかるわ。

だから、ゆっくりでいいの。

少しづつでいいの。

私にも、分けて?

二人で苦しみを分かち合いましょ。

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