20話 飽食

「僕は、運がないだけだ。僕たちは、道を間違えてしまったけれど、それは仕方のないことなんだ。誰だって選択を間違える。僕たちはその頻度が多いだけ、そう、そうなんだ。そうに決まってる、そうなんだよね?大丈夫、幸せは、幸せは、無くならない。進み続ければ、いつか、どこかにある。そうだと言ってくれ、そうであってくれよ」


そう両手で頭を抱え、俯きながら捲し立てる凱。

震え、虚しく通りに反響する会話ではなく、自分に言い聞かせているようなその言葉にノアは短く「そうね」と呟いた。

もう疲れ切っていた。

道を違えたのだと事態の重大さを受け止める思考はすでに摩耗しきっていた。

道を違えた時にどうすればいいのかと考えを巡らせる冷静さをノアは擦り減らして無くしてしまっていた。

ただ、涙が瞳から溢れるてくるばかりで何の慰めにもなりはしない。

行くべき道筋を照らしてくれた希望という名の星を見失っては、絶望に満たされた暗い闇夜を歩く術はない。

濁った夜の底に澱が積み重なり、世界は澄むことを忘れる。

苛烈とも言える太陽の輝きも、陽の暖かさも無ければ、優しく包み込んでくれる星空の光も、何もかも。

希望と共に夜の澱みに消えていった。

二人は夜の闇に呑まれて、消えていく。

振り絞るような悲痛な叫びも、溢れる涙も夜の静寂が呑み込んで行く。

その寸前に、夜の静寂を、夜の闇を振り払うような、灯りが一つ、瞬いた。


「──もし、まだ諦めていないなら、裏門から獣道を行けば、間に合うかもしれない」


2人の背後を差した指はまるで消えてしまった星のように、進むべき道を照らしているようで。

月明かりよりも淡いその光だからこそ、縋り付かずにはいられず。

今にもちぎれそうなか細い糸だからこそ、絶望に膝を折っていても嫋やかに手繰り寄せて立ち上がることが出来たのだろう。


「そうだ、そうだよ、今から急いで走れば、村の人たちがたどり着く前に先回りして、あの子を救えるんじゃないか?リコリスも、あっちに居るし、逃げてくれると思う」

「諦めるには……まだ、早い……?」


呆然と呟いたノアに手を差し出して、叫ぶ。

心の奥底にくゆる感情を、明るい星の下に連れ出すように。

それは、致命的な一歩だった。


「行こう!」










世界に、飽いていた。

満たされなかったわけではなかった。

けれど、ほんの少しだけ足りない隙間を、取り留めのないもので埋めることに後悔していた。

そんな消化不良に飽いていた。

愛情も、金も、才能もあった。

けれども、何かに欠けていた。

才能があるゆえに、恵まれているが故にその浅ましい欠乏を自覚できぬまま、只、飽いていた。

だからこそ、擦れた子供を演じていた。

世界に、世間に失望される前に自分が失望して。

満ち足りないものを埋めるに相応しいものなんてこの世界にないのだと、探すことに飽いて、決めつけて。

小さく、しかし確かに存在するうろに絶望を嵌め込んで。

世界と対話することなく、世界を終焉へと導く引き金を引いてしまった。

夢というものに微睡むもの達をたくさん、踏みつけ、下して進んだ。

その進んだ先にあったのは、なんだったか。

記憶すら曖昧になるほど、酷いものだと言うことだけは覚えている。

雨粒が体を打ちつける感触。

後悔と血の味。

濡れた視界。

力の入った拳の加減。

全部、全部、最悪だった。

ほんの少しだけの善意で、人は善人になる。

ほんの少しの悪意で、人は悪人になる。

人間とは、心とは、器だ。

そこに少しでも何かを注げば、人という器はそれになる。

世界に、猜疑心を注がれてしまったから村人は牙を向いた。

自分たちが疑念を注いでしまったから、悪意は芽吹いた。

自分が彼に絶望を育む方法を教唆したから、現実というものに確りと根を張り、非常な結末が大輪の花を咲かせた。

希望は何物にも代え難い武器で、絶望は何物にも代え難い凶器だ

それを自分は、誰よりもわかっていた筈なのに。

半分になった顔で、それでも【機械】は我が子を慈しみ、理不尽に叩き壊され、恨みつらみに引きちぎられた四肢でとても、とても愛おしそうに抱きよせた。

血溜まりが、そこかしこにある。

けれども頽れた肢体はたったの一つのだけ。

そして力なく横たわる子を抱いている、壊れかけていた体を更に酷使した薄汚れたガラクタが傍にあるばかり。

この赤い生命の源が、全てあの小さな身体から流れ出たというのが信じられない。

しかし、決して広くない部屋の中には他の死体が無いばかりか抵抗の痕すら見られない。

点々と広がる血の斑点は、眠っていたであろうベットから続き、母の傍で途切れている。

かつて白かったベットのシーツは、まるで王の通り道のよう。

玄関の方を見てみれば、もがれた不揃いな長さの両手が踏み潰されていて、泥や砂が家のあちこちを駆け回っている。

アームを繋げていた銅線だろうか、束になったそれが家の至る所で土に穢されていた。

目の前の光景に、ただただ声にならない嗚咽が漏れ出るばかりだった。

これが、相応しい末路だろうか。

これが、【救済者レメディー】の末路と言われれば納得出来る。

これが母として在りたかった機械を否定し、否定し、疑った愚か者の末路だと言うのなら喜んで受け入れよう。

しかし、これが、【救済者レメディー】を母としたかった幼い子の末路というのは到底受け入れられるものでは無い。

しかも、しかもそれが、自分の愚かさを自覚させる為に用意された運命と言うのが気に入らない。

あの子は何も悪くない。

それなのに、【救済者レメディー】と言うだけで毛嫌いしていた自分の尻拭いのような形で選択の責任を取らされるなんて。


「僕たちが、悪いんです。──いえ、僕が悪いんです。……村人に、貴方が【救済者レメディー】と言う危険な存在だってことを囁いてしまった。そうすれば、エインは被害者になる。貴方さえ、逃げてくれれば、貴方と言う必要悪が居れば、あの子は幸せになる。そんな、早とちりをして、挙句、僕は……僕は……」

「──そうヵ。──そうか。お前タチも、精一杯あの子を愛してクレていたのダナ。ありがとう」


自分たちに恨み言の一つもない。

遠慮しているのか──死にかけている時に遠慮もクソもあるか。

感情がない故か──今際までエインの事を慮っている現状を見ても、同じことが言えるか?


「僕が、僕たちが、無責任なことを言ってこんな事態になったのに、どうして、責めないの!?」

「…この世ニ生きていル限リ、みんナ、みんナ、運命ノ奴隷ダ。一人一人に異ナる考えガアッて、幸運を掴み取ろうト必死にナってイル。ドンな道が最善なのカ、通ってミルまで分らなイ。一寸先は闇ダ。間違えることもアル。ワタシも、この子も、そしてお前たちも。この子のためを思って起こした行動で、こんな運命を憎みこそスレども、お前たちを恨む理由は無い。…そうしてしまったラ、ワタシは、村人ヤツラと同じ存在になってシマウカらな」

「…ごめんなさい」


彼が謝る。

私はまた、誤る。


「オマエ達、コレを持っていケ。旅の、御守りダ。もしかシタラ、ドこかで役に立ツかもしレナい。誰かにこの御守リの事を訊かレタら、ワタシとこの子の話をしてクれ」

「必ず…必ず、します。機械と人間の、本当の、素晴らしい親子が居たってことを。そんなことじゃ到底…」


私は、また、何も、言えない。

辛ければ泣けばいいと思っているのか。

涙を流しても、拭っても拭い去れないことはごまんとある。

例え相手が誰であろうとも、間違えたら謝るべきだし、実際自分は謝れたはずだ。

それが、意固地になって、自分の思い通りにならなかったら、ただ、何をするでもなく泣いて。

そうすれば、許されると心のどこかで思って。

そうしていれば嫌なことから逃げられると勘違いしていて。

そして何より、それ自覚しているのに行動に移せない。

バカもバカ、大バカだ。

泣きじゃくっていたら、誰かがいつの間にか解決してくれるのは幼い子供の時だけだ。

ここまで、精神が幼かったのか。


「それでもオマエたちが罪悪感を感じてイルのなラ、ワタシとこの子の墓標を立ててくれ。一番高く、キレイな場所に。こんな地獄のような世界から最も遠い場所ニ。天国に一番近いところニ」


謝罪を、心の奥底からの謝罪を絞り出す。

ここで謝罪しないと、きっと後悔する。


「ごめん……なさい。私が悪いの……」


謝罪の声よりも、涙の雫の方が大きい。

そんな風に思うほど、振り絞った筈の自分の声は小さかった。


「そうカ……許そう」


そう言って機械母親は目を閉じた。

非常な現実から目を背けて、冷たくなった我が子の温もりを追い求めて天国華胥の国へと。

私たちは、自分たちのエゴで、を殺した。

また、殺した。

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