11話 夜の帳に光を灯して

明くる日の昼下がり。

宿泊している宿屋の一室にルドルフとノアと凱が集まっていた。

行商で使うたくさんの荷物はきちんと整理され、部屋の一角に積まれている。

木製で長方形のテーブルの上には温かい飲み物を注いだばかりのカップが3つ。

そのカップを前に座るのも三人。

どうしたのか何か問題でもあったのかと不安を顔に浮かべるルドルフに、吉報よと告げてからノアはその口から幸せの花の情報が見つかったと報告する。


「え?【幸せの花】の情報が、見つかった……?みんな、知ってても教えてくれないのに……」

「驚いたでしょう?私も訊いてまわったのだけれど、有益な情報を得られなくて。それなのに昨日の夜に帰ってきた凱が、【幸せの花】の情報が分かった、なんて言うから私もびっくりしちゃったわ」

「よく聞き出せたね……一体どうやって」


話の矛先を向けられた凱は事のあらましを掻い摘んで説明する。

絵具と筆の描き心地を確かめるために絵を描いていたこと、その最中に老人に話しかけられたこと、その老人が【幸せの花】についての情報を教えてくれたこと。

その途中の独白については、不必要なので省いた。

もっと詳しく言うなら、改めて自分の口から言うのが恥ずかしかったという私情を、余計な情報だからという大義名分で省いたというのが一番正しい。


「それで今日呼び出したのは、この情報を伝えるとともにどうするのかを話し合うためなんだ。おじいさんが言うには一人で取りに行かなきゃいけないけれど……」

「心配よね。ルドルフ一人で行かせるのは。勿論、私たちは【幸せの花】を手に入れて、幸せになってほしいわ。でも……」


濁した言葉の先を想像して、ルドルフは逡巡する。

即答できるほど軽い問題ではないという事は理解している。

最悪の可能性から最高の可能性まで考えられうるすべての可能性を検討し、天秤にかけているのだろう。

考えて、考えて、考え抜いて、それでも尚、決意は変わらない。

もしくは最初から、不釣り合いな天秤は傾いていたのかもしれない。


「俺は、【幸せの花】が欲しい。あの子を、ベルタを幸せにしたい。そのためなら、その……為なら命だって賭けられる」


躊躇いながらもそう言い切ったルドルフの勇気に、二人は万雷の拍手を、世界を覆いつくす程の喝采を送りたかった。


「まず調達するべきは道具ね。食料とか飲み水とか馬車とかの旅支度一式はどんな時でも必要だとして、今回の場合必要になるものは…確か【幸せの花】って手袋で慎重に手折るのが最善らしいのよね?ならまずは、厚手…いえ、繊細な作業になるでしょうし、薄手の手袋かしら。あと日光に当てると三日と持たずに枯れてしまう。なるべく月光、もしくは洞窟の中にある鉱物と一緒に水に沈めて持ち帰るのが望ましい、ということは持っていくべきは月光石かしらね?水の入ったものを背負いながら山を登るのは少し危険だし、飲用水とは別に用意するのも嵩張るし」

「道具はそれでいいと思う。問題なのは」

「どうやって【ソドロム山】まで行くか、だよね。……俺は、一人でも」

「ダメよ、ルドルフ。ただでさえ【ソドロム山】には一人で登山しなきゃ行けないんだから。危険が大きすぎるわ」


【幸せの花】が入手出来るかもしれないという餌をぶら下げられて生き急ぐルドルフを窘め、どうしようかしらと悩んでいるノアに凱は疑問を呈する。

口を開きながら、どうしていの一番に思いつかなかったんだろうと疑問を抱きながら。


「一つ思ったんだけどさ、馬車とか調理とか、そういうのって『魔法』とか『魔術』でどうにかならないの?」


その言葉に沈痛な顔をして、声の調子を少し落としてノアは痛ましい記憶を忌々しげに語る。


「『魔法』や『魔術』が使える人はね、みんなとっくに亡くなっているわ。【救済者レメディー】との戦闘でね。今残っているのなんて、魔道具とかしかないし、『魔導』の使い手ももういないから、替えも効かないの。壊れたらもう修理もできない。新しい商品もない。そんな世界なの」

「……あぁ、そうなんだ」


そして魔道具との触れ合いの頻度の少なさは文化の発展の程度の問題だと思っていたがまさかそんな悲惨な理由だと露知らず数日過ごしたのかと愕然とする凱。

その顔を見て、凱も自分が迷い込んでしまった世界の状況を正しく理解できたと把握したノアはさらに理解を深めさせるべく、身近な証拠を例にとる。


「そう。だから、【幸せの花】の情報とかも原始的な聞き込みとか活字の情報を探してたってわけ。魔道具を作るどころか、運用するための知識を持っている人ですら貴重なのよ。そういう意味では、ルドルフから提供されたあの絵具と筆はとても貴重なの。しかも説明書みたいなのもセットだったし、すごいことなのよ?」


は、確かにここ数日まともに魔道具に触れてないなと思い返し、納得する。


「『魔法』も『魔術』も僕には使えないものだけど、世界に確かに根付いているものだと思ってた。そっか、もう、豊かな文明も、便利な文明も衰退していたんだね」


そんなやり取りを首を傾げながらルドルフは聞いていた。

きっと心の中では「何を当たり前のことを聞いているんだ」と思っていることだろう。

そういう思考に至ったノアはばつが悪そうにルドルフの方に向き直り、誤魔化すように微笑を湛える。


「置いてけぼりにしてごめんなさいルドルフ。この人、記憶喪失気味なところがあって。砂漠の真ん中で今にも死に絶えそうなこの人をを私が拾ったの。最初なんて、錯乱して、何とか引っ叩いて今、行商の手伝いをさせているの」

「そうなんだ……自分自身のことで大変なのに、ありがとう。凱さんにも、幸せが訪れますように」


よほどルドルフが純粋なのか、はたまたノアの嘘の中に一定の真実を混ぜてリアリティを醸し出すという嘘のつき方がやたら上手いのか定かではないがその一言で、「こいつら何お話をしているんだ」という訝し気な顔から一転深い感動とある種の尊敬を顔に満たしてルドルフは幸あれと祈る。

身に覚えのない架空の境遇に同情され、必要のない幸運を神か何かに祈られた凱はそれに対して口ではありがとうと言いつつ、なんて余計なことをとノアを心の中で攻めた。

確かに事情を一から説明するのは面倒だが、別に騙すこともないだろう。

話を逸らして先ほどの会話を有耶無耶にする選択肢もあったはずなのだが、ノアの余計な言葉で面倒なことになっつた。


(多少の噓は方便といえども、有耶無耶にされるより、嘘をつかれたほうが───)


思い出したくない記憶が、封印した記憶の奥底からその恐ろしい貌を覗かせて、咄嗟に凱は手の甲をつねる。

何秒も、時間をかけて、抓った部位に赤く跡が残るくらい強く痛みを与えて、思い出したくない過去の記憶から必死に目を逸らす。


(おじいさんとの会話で、多少気が晴れたと思ったらこれか。……ほんっとに厭になるな。僕の人生。今すぐにでも死にた──っ!?)


死にたいと思っている。

それを考えた瞬間、心臓が大きく鼓動し、凱の全身に何とも言えない気味の悪い痛みと全身の感覚が乖離していくような虚脱感に襲われる。

痛みも虚脱感もたったの一瞬だったが、それでも思考が空白になるには十分なだった。


「どうしたの?凱。手の甲が真っ赤よ」

「なん、でも、ない。ほんとに。ちょっと眠気に襲われただけ」

「…そう。なら、いいけど」


完全に凱の言い訳を信じられないノアは今はそういう事にしといてあげると深く追及はせずに話を切り上げた。


「それで、今日の予定だけれど。私と凱は手袋や水筒とか、必要な一式を揃えてくるわ。ルドルフは【ソドロム山】までの案内人…最低でも地図かなんかを調達してちょうだい。地図さえあれば、私たちが送ってあげられる」


その言葉にルドルフはパッと目を輝かせたが、途端にばつが悪そうな顔をする。

何をそんな顔する事があろうかと不思議に思う二人だったが、その疑問は続くルドルフの遠慮がちな言葉に氷解する。


「その、いいの?情報が、俺の求めた物なのに」

「何を言っているのよ…私はノア。【幸せの商人】よ?情報だけ渡してあとは自分でなんとかして、なんて中途半端なことは出来ないわ。商品はきちんと役に立ってこそ。それを見届けるまでは何度でも手伝わせてもらうわ」

「うん…うんっありがとう」


ガチャりと扉は音を立てて開き、三人は穏やかに談笑しながら街へと繰り出す。











ルドルフが自分のなすべきことをするために去って行ったのを二人は少し見届けて、それから別方向に歩みを進める。

何事かを考え込む凱に、少しづつ、少しづつ歩幅を大きくしたノアはついに凱に追いつく。

そして吐息が触れる距離で、目と目をしっかり合わせて、ノアは詰る。


「あなた、宿屋で私とルドルフが話しているとき、死にたいとか考えたでしょ。そのせいよ。あなたの体に変な感覚が訪れたのは。私が唯一教えてもらった『魔術』。そもそも、あなたが死にたいなんて考えられないように自然と気分を明るくする効果もあるのだけれど、それだけじゃ足りないから、死ぬような行動に出ようとしたときに痛みで思考を停止するようにしたの」

「……」

「ねぇ、どうして、まだ、死にたいだなんて言うの」

「……」

「まだ、私たち生きる人をバカにしているの?」

「……多分、違うよ」

「なら、どうして」

「自分が今、死にたいかどうか、分からないんだ」


そう言い残すと、凱はノアの真剣な瞳から逃げるように、足早に露店へと向かっていった。


「……」


凱の言葉に何を思ったのか、凱の態度に何を感じたのか、ゆっくりと、しかし確実にノアは凱との距離を縮めていった。

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