第3話 世界を変えるゲーム

 ぐぅううううううう……

 意気込んで『サクラオンライン』の始動を宣言した部屋に響く、俺の腹の音。頼む、空気を呼んでくれよ。


「今日は夕飯食べて解散するぞ!」


「え……」


「どうかしたか?」


「今日は先輩のお家でお泊りでは?」


「バカ言え!俺は12時越えた瞬間に『アニマ』にログインしなきゃいけないんだ!」


 プレイヤーは待ってくれない。運営とは速さが勝負なのだ。頼もしい表情を見せた吉家


「ほら、外に食べに行くぞ!今日は気分もすこぶる良い!俺のおごりだ、吉家!好きなの言え!」


「牛丼!!」


 屈託のない子供のような笑顔で答える。ったく、この財閥令嬢め。なんて世話がかからないんだ。はしゃぐ吉家を落ち着かせ俺たちは意気揚々と家を出た。


 ……が、


「すごい雨ですね……」


「こりゃ歩きじゃキツイな」


 家で話し合っている間に外は雷雨が鳴り響いていた。そうだった、今日は4月の第二木曜日、嵐の夜だ。風もきつくて傘は意味をなさない。


「まいったな」


 車は持っていない。もっと言えば、免許を取ってから一度も乗っていない。仕事が忙しくてドライブなんてしている暇がなかったんだ。俺が悪いんじゃない、時代がそうさせたんだ。


「……ウチの車呼びますね」


「すまん……」


 財閥令嬢、頼りになるぜ。



 ∇∇∇



 11時57分。

 吉家と食事を済ませた後、家に戻ってダイブマシンの調整をしていると、もうこんな時間になっていた。


『ソウル』の限定ダウンロード版を事前に購入した人は1000万人ほど。

 全員がスタートダッシュを図ったプレイヤーであるなら大混雑が予想される。営子は今頃会社でてんやわんやしている事だろう。

 ……あれ?吉家?なんであいつは俺とメシなんて食ってたんだ?……あれ?あいつ運営チームだよな?


 話が逸れた。

 しかし、プレイヤー数はこれだけじゃ収まらない。今週末のユーザー数ならこの数字の2.5倍は固い。まだその数では世界は変えられない。空前の大ブームというだけではこの腐った世界は変えられない。社会現象となって初めて革命の一歩を進むのだ。


 だが、今日のところはこの1000万人のユーザーを満足させてみせる。目指せ、お客様満足度10000%ォ……!


 ……はッ!

 駄目だ、俺。力んではいけないぞ。今日いきなり本格的に動き出す必要はないはず。楽しめばいい。そう、俺が楽しめなくてどうする。改めて自分の作ったものに自信を持つんだ。


 特注のダイブマシンに今一度向き直る。ギラギラと輝く赤と黒のコントラストが目を引く。しかし、その時、ワンルームの大部分を占拠するダイブマシンの後ろに見慣れた仏壇が目に入った。今は亡き俺の兄、『菅野 啓人』。俺がここまで『アニマ』に執着する原因を作った男でもある。だが感傷に浸っている暇はない。志半ばで倒れた兄に代わって今の俺がいるんだ。失敗はできない。


 待望のサービス開始に緊張と喜びで震える手を気合で抑えながら、ヘッドコントローラーを取り付け、体の固定を始める。


 さぁ、1000万人の幸運なゲーマー達よ。

 君たちは今宵、人類の転換点を目の当たりにすることだろう。

 そして記憶に焼き付けると良い。



 ――これが世界を変えるゲームだ。



 ∇∇∇



 目を覚ますと俺は白い螺旋階段ならぬ螺旋エスカレータを昇っていた。外縁には見えない壁が張られており、外は深海のように真っ暗だ。


「はじめまして、新たな住人さん……って!?」


 静かに俺の隣に現れたのは白髪の少女。白色のワンピースを着ていて、肌も日に焼けておらず真っ白なのでこの空間では彼女がうっすらと光っているかのように見える。


「よっ!今朝の最終調整ぶりだな。トリアル」


 彼女は『トリアル』。チュートリアルをしてくれるからトリアルというなんとも安直な名前ではあるが、この『アニマ』のマスコットキャラクターのNPCであり、同時に全NPCを管理するGMでもある。


「俺が『アニマ』の運営から外されたことは既に知っているよな?」


 俺の言葉を聞くと同時に少し顔が曇るトリアル。実在の女の子を困らせているようで罪悪感が募る。


「……はい。非常に残念ですけど会社も辞めてしまわれたんですよね。営子さんから聞きました。理人さん、今までありがとうございました」


 どうやら、俺が最後の挨拶に来たとでも思っているらしい。かーっ!全くこいつは何を思っているのやら。親の気持ち子知らずとはまさしくこの事。


「ちっちっち!甘いぜ、トリアル。ゲームの開発者たる俺が大人しく遊んでいるわけないだろう?影からお前たちをサポートするに決まっているじゃないか!」


「ほ、ホントですか!」


 ニカッと愛らしい顔を見せてくれるトリアル。うんうん、君にはその顔が似合っているぜ。


「そこで頼みがあるんだが……」


 ここで俺の極秘プロジェクト『サクラオンライン』の詳細をトリアルに伝えた。


「なるほど……!それなら私たちNPCか吉家さんが報告しない限り会社の人たちにバレずにリヒトさんのサポートができますね!」


 ……こう聞くと結構ハードル高いね。本当にバレずに事を進められるのか不安になってきた。NPCは信じたいが……癖の強い奴も多いからなぁ。


「そういうことだ、頼めるか?」


「当たり前です!私たちはリヒトさんが作ったようなものです。思考ルーチンを弄られてでも口外させませんよ。深層メモリにもロックを掛けておきます。もしもの時は今の会話ログも完全に削除してやります」


「そ、そこまでやらなくてもいいよ?何かされそうになったらすぐさまバラしてもらって構わないからね?」


 だが、これでとりあえずプロジェクト始動前の関門はクリア。トリアルのバックアップが受けられるなら各地を治める上位NPCとのコンタクトも容易になるはずだ。


「コホン……では、改めまして。よく参られました、異界の人。まずはアナタの名前を伺ってもよろしいですか?」


 声色を変えるトリアル。お仕事モードだ。容姿も相まって背伸びをして大人ぶっている少女にしか見えない。


 しかし、名前か。せっかくだし強そうな名前が良いなぁ。

 強い、強い、強い……あ!『ギンギン丸』とか!……でも、パクリだしなぁ。


 ……ん?なら、…………うん、これでよし、と。


「ではアナタの名前は『サクラ丸』でよろしいですか?」


「うん!おっけーおっけー!

 如何にも侍らしい名前になりましたな!」


 本プロジェクトの名前を借りておいた。


「次に、アナタの姿をもう一度よく見せてください」


 ここでキャラメイクの画面に移る。デフォルトとして以前にスキャンされていた現実の自分の姿が目の前に映し出される。まるで鏡だ。


「しかし、これじゃ弄るところがないな……」


 風呂上がりで洗面所の鏡に移る自分の姿程度に美化されている。完璧じゃないか。


「ブフッ」


 おい、トリアル。何を笑っているんだ。


 ……まぁいいや。


 では自身のキャラメイクに移行する。

 まず、なんといっても最初に弄るのは髪色。名は体を表す。ということで、桜色。せっかくだし侍っぽい髪形にするか?なら、長めのポニーテールにしておこう。まげの美しさは現代の美的観念には受け入られることはないだろうからな。


 で、肝心の顔の造形だが……ほとんど弄らなかった。ネットリテラシーを気にすれば、アウトの極みであるが、奇抜な髪形で誰も俺だとわかるまい。だいたい、顔の造形を一から作るとどうしても時間が掛かってしまう。俺はなによりも早く実際のプレイヤーがいる『アニマ』の世界を見てみたいのだ。


 と、いうわけで、完成。

 結った桜色の髪を興味深そうに見ていたトリアルが姿勢を正して仕事モードへと移行する。子供と変わらぬ精神性を持つ彼女にとって、男なのに長い髪を選んだのが珍しかったのだろう。


「ありがとうございます。では次にアナタの職業を聞かせてください」


 目の前にウィンドウが現れ、いくつかの初期職業が候補に挙がる。

 多彩な職業が目に移るが、どれもこれも『戦闘職』か『生産職』かのどちらかにでカテゴライズされている。


 ここで、『ソウル』の職業システムについて確認しておこう。


『ソウル』では3つの職業を設定することが出来る。

 まず、プレイヤーのステータスの根幹となる『メイン職業』が2つ。これは『戦闘職』と『生産職』をそれぞれ選択する必要がある。


 そして残りの1つはサブ職業。これは『戦闘職』か『生産職』のどちらを選んでも構わないのだが、このサブ職業のレベルはステータスに依存せず、スキルだけを行使できる。

 で、俺が選んだのは……


 メイン職業『僧侶』『薬師』サブ職業『火魔法使い』


 こうだな。


「えぇ!?あんなに侍、侍言っていたのに剣士にしないんですか!?」


「俺はプレイヤーのサポートが役割だからなぁ。最初は謙虚に慈善活動でもしようかなって。どうせ後で変えられるし」


「ぶーぶー。つまんなーい」


「ごねてないで、ほら次だ次!

 ちゃんと仕事しないと営子に言いつけるぞ!」


 営子の名前を聞いたトリアルは慌ててぴしゃりと立ちなおす。営子が苦手なのは彼女も同じらしい。怖いもんねあの人。


 俺の就職が完了したと同時にエスカレータが四角形の大きなフロア、その中央にたどり着いた。

 フロアの4隅にはそれぞれ色の異なる光の門が建っているだけで他には何も置いていない。門の色はそれぞれ緑、赤、青、そして銀となっている。


「この門はアナタの助けを求める4つの国、そのいずれかにつながっています。

 さぁ、ご覧になってどの国に所属するかお決めください」


『アニマ』はストーリーが大まかに4つに分かれている。所属する国によって変わるわけだ。


 人間が多く住んでおり独自に発達した文明を持つ、鉄と創造の国『要塞フロンタイア』。

 巨大樹を住居とした豊富な資源を持つ、森と平穏の国『万年樹ユグシル』。

 ドワーフの住処で魔物の数が多い、炎と闘争の国『灼熱焦土グレン』。

 そして最後に僅かな獣人が住み自然環境の厳しい、氷と孤独の国『極地バーティカ』。


 聞けばなんとなく分かるように、最初の2つの国の難易度は基本的には低い。その一方で後ろの2つは難易度が高いがレアなイベントが多い。

 国の移住も一定期間ごとに出来るので深く考えすぎる必要もない。……と言ってもプレイヤー達は気にするんだろうなぁ。

 どうしても皆スタートダッシュは華麗に決め込みたいはずだ。



 さてどこにするべきか。

 この選択は非常に重要になるかもしれない。ゲームの今後を左右するような選択に。

 ……ふふ、それは大げさか。



 とにかく所属国を決めるとしよう。俺の基本的な役割はプレイヤーの補助。

 今回の選択により決まる俺の役割は……無謀にも難度の高い国に潜ったバカを救済するか、この手の類のゲームに不慣れなプレイヤーを助けるか。

 ……後者だな。

 どうせ後で移住は出来るようになるんだ。まずは初心者救済からだろう。


「トリアル、『ユグシル』で頼む」


 俺の答えに無言で頷くトリアル。


「アナタには数多の困難が待ち受けているでしょう。ですが、同時に多くの仲間が待っています。

 彼らと出会い、研鑽していく内に自ずと困難を乗り切れるはず……

 あなたの行く末に幸福があらんことを!

 最後に、私からアナタへ贈り物をしておきます。どうか、役立ててください」


 トリアルのお決まりのセリフが終わると『ユグシル』へと繋がる門だけが残り、強く輝く。

 開発者と言え冒険の始まりというのは心躍るものだ


「くー!なんて盛り上がる演出なんだぁ!

 じゃ行ってくる、トリアル!」


「行ってらっしゃーい」


 先ほどの凛とした声はどこへ言ったのやら、無邪気に手を振ってトリアルは門に入る俺を見送る。

 全く、なんて落差だ、トリアル。プレイヤーの時はもっとしっかりやるんだぞ!


 そうして俺は初めて会ったトリアルと別れを済ませた。

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