30年の軌跡。ボクからあなたに、今だから伝えられること。
のがみさんちのはろさん
30歳の軌跡
もうすぐで私も三十路。30歳になる。
学生の頃から仲の良い友達と、その節目を迎える前に自分たちの30年間を振り返ろう、という話になった。
毎年行う友達との旅行で、各々でまとめてきた30年史。それを一晩かけて語り合い、明け方まで話してた。
色々と振り返ってみて、改めてあの家を出ることかできて本当に良かったと思ってる。
この30年史をまとめているとき軽く風邪を引いていたのだが、昔のことを思い出した途端に下がりかけてた熱がまた上がってしまったくらい、実家でのことは辛いものだった。
たがしかし、これも良い機会だ。
30歳を迎える前に、しっかりと向き合って見よう。
そして形として残そう。
そう思い、私はここに書き記すことにした。
私が、毒親に育てられたこと。結婚して、親の異常さに気付けたこと。
思い出せる限りのことを書いて、ちゃんと頭の中で整理して、一つ区切りを付けたい。
また一歩、踏み出すために。
私、改めボクの思い出せる限りの古い記憶は五歳くらい。
親が離婚したときだ。
これが、ボクにとって全ての始まりだった。
当時、ボクは小さな一軒家に住んでいた。と言っても、かなりボロくて狭い。2DKだったと思う。そして一番広い部屋がリビング兼子供部屋だった。
そのリビングでボクと1つ上の兄が寝ていた。
今でも朧気に思い出せる。両親が離婚する前、その部屋で大喧嘩していたことを。
何を言ってたのかは当然覚えてないが、子供が寝てる場所で大声で怒鳴りあっていたことだけは確かだった。
今思えば、夫婦喧嘩を子供が寝てるところてやるなよって感じだけど。
それから間もなくして、二人は離婚した。
ボクは母に抱きついて大泣きした。離婚がどういうものかよく分かってなかったけど、もう二度と会えないのは子供ながらに理解していた。
そして、母が知らない人の車に乗って遠くにいくのを見送った。
これはあとから聞かされたことだが、このときはまだボクたち兄妹の親権は母にあったらしい。だが母は父になにも言わずボクら二人の親権を放棄したとかなんとか。つまりその数年の間、うちらは誰の子でもない状態にあったとか。全くいい加減にしてほしいものだ。
実母との思い出は、正直あまりない。
五歳で別れたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
うちは両親共働きで、母はタクシーの運転手をしていた。二人とも帰りが遅く、兄と二人で留守番していた記憶しか思い出せない。
頑張って思い出そうとしても、マンションの自転車置き場で頭を強く打ったこととか、車の中で歯が抜けたことくらい。
そこから暫くは親子3人で暮らしていた。
兄は小学校、ボクは保育園。
親が離婚する前は何度も引っ越しを繰り返していたこともあり、その保育園にはそれほど長くは居なかったと思う。
当時のボクは人見知りで友達も出来なかった。おまけに父は仕事で帰りが遅い。毎日夜遅くまで先生と一緒に残り、父が迎えに来るのを待っていた。
余談だが、このときの卒園式で何故かボクは将来の夢をうどん屋さんと言っていた。今でもそれだけは鮮明に覚えてる。
保育園を卒業する前だか後だかハッキリと覚えてはいないが、父親が再婚した。
いや、正式には結婚はしていない。このとき籍は入れてなかったから。
もし、父が連れてきたのがこの人じゃなかったら、ボクの人生は大きく違っていたことだろう。
それほど、この継母の存在はボクの人生に大きな打撃を与えた。
本当は母なんて呼び方をしたくはないが、立場上、てゆうかポジション的に義母と呼ぼう。
友達との間では、名前を呼びたくない、名前を呼んではいけない人としてヴォルデモートと言っているが(笑)
この義母には連れ子が二人いた。
うちら兄妹とはかなり年の離れた兄弟。呼び方は兄の方を義兄1。弟の方を義兄2とする。
元々狭い家に三人も増えたことで余計に狭くなった部屋。
始めのうちは賑やかだと、その程度に思ってた。
まだ大人しい方だった義母。
友達やら女をやたら家に呼びまくってたけど、一緒に遊んでくれた義兄1。
その義兄1は相当のアニメ好きで、ボクがオタクになった原因とも言える。
衝撃だったのは新世紀エヴァンゲリオンだ。話の内容は理解できなかったけど、カヲルくんの存在はボクのハートにドストライクでした。完全に初恋でした。
シンジくんとのお風呂のシーンでボクの心の中に新たな扉が生まれましたね。完全にこじ開けられるのはもう少しあとのことですが。
まぁ、ここまでは良かった。
まだ、よかった。
当時、父は長距離トラックの運転手だった。仕事に出れば2、3日は帰ってこない。基本的に家にいないのが当たり前。
ここで義母の本性が現れるのだ。
父がいないのを良いことに、ボクら兄妹を好き勝手こきつかい、あれやれこれやれ、自分の都合が悪くなるとすぐに叩く。
ボクが何か悪いことをして叱るために手を出すならまだ良い。だがそうじゃない。完全に義母の都合。奴の機嫌次第。
当時、頑張って勇気だしてこの人を「お母さん」と呼んだのを後悔するくらい、最低な人だった。
まだ離婚して間もない頃、何度か実母から電話がかかってきたことがあった。最初のうちはボクが出てた。しかし、あの人が電話に出たことでそれが途切れてしまった。
それなのに、あの人は「母親から電話がないのはあんたらが捨てられたからだよ」なんて言いやがった。
万が一にそうであったとしても、それを子供に言う必要があるだろうか。
夏祭りに行ったときも、帰りに義母が道を間違えて迷子になりかけたことがあった。だからボクは知らない道を行かないで最初に来た方向に戻れば良かったんじゃないのかと言っただけで勝手にキレてボクらをその場を置いてきぼりにして帰っていった。
このとき、あらかじめ帰りの電車の切符を買っておいたからどうにか帰ることが出来たから良かったけど、無一文の子供二人を置いて帰るとかどうかしてる。頭がおかしい。
しかも家に帰ってから、何故かこっちが悪いみたいな雰囲気を出されてボクが謝るとか意味の分からないことになったし。
それから、家にあった実母と写ってる家族写真。母のところだけ切って、それを写真立てに入れて飾っていた。悪趣味としかいいようがない。こんなの見せられるくらいなら、いっそ捨てるなりしてくれればいいのに。物凄く不愉快な気分にさせられた。
まぁ、十分問題だらけだったけど、この義母だけならまだ、まだマシだったかもしれない。
問題は他にもあった。
まだ語られていない、義兄2だ。
この男、うちに来て暫くしてから、ボクに手を出してきたのだ。
そう、性的な意味で。
まだ小学生になったばかり。
まだ6歳。
当時のボクは、何をされてるのか理解できなかった。それが良いことなのか、悪いことなのか、何も分からないまま、されるがままだった。
こんな言い方をして良いのか分からないけど、最後まで犯されることがなかったのが不幸中の幸いなのだろうか。
だけど、キスされた。身体中を舐められ、男のそれを握らされて、体に押し付けられた。
今思い返すと吐きそうになる。無知だったせいで、抵抗も出来なかった。親にも言えなかった。
夜中、親がいない休みの日などなど。その行為は暫く続いた。
半年か、一年か。それくらいが経って、自分がされてることが気持ち悪いものだと分かった。
その晩、布団に入ろうとする義兄2を拒絶するために布団を体に巻き付けて寝た。さすがにもう無理だと思ったのか、そいつはそれ以来、手を出してこなくなった。
でも、ボクはそれまでのことを誰にも、親にも話さなかった。
話したくなかった。言葉に、口にしたくなかった。気持ち悪かったから。言葉にして、誰かに話したりして、このことを事実にしたくなかった。
この頃から、ボクは自分のことを「ボク」と言うようになった。「私」というのに抵抗があった。違和感があった。そう言ってる自分が想像できなくて、使うことはなかった。
これは最近になって思ったことだから、それが理由だったのかは定かではないけれど、もしかしたら女でいることを無意識に否定していたのかもしれない。
女だから、こんな目に遭う。女じゃなきゃいいんだ。
そう思ったら、なんだかしっくりきた。
今でも「ボク」って言い続けているのはもう癖だけど。
昔の写真を見ると、完全に少年でしたよ。顔立ちは良かったので、ジャニーズJr.にいてもおかしくないくらい(笑)
これが、ボクの小学一年生での出来事。
このとき、ボクがこんな状況で心を病まなかったのはまだそういったことに無知だったこともあるとは思うが、友達の家にずっと入り浸っていたおかげもあると思う。
今でも付き合いのある、ボクにとって初めての友達。仮にA君として、彼の家にはすごくお世話になった。
出会いは小学校の入学式前。当時、親が共働きだったこともあってボクは小学校の敷地内にあった学童保育に通うことになっていた。そこの見学か何かで入学式前に行ったとき、彼に会ったのだ。
同い年で家が近いこともあり、割りとすぐ仲良くなった。
A君の家はゲーム機もたくさんあって、色んな子が遊びに来てた。
当時のボクには、逃げ場になってた。家にいたくなくて、学校にいるとき以外は彼の家か学校の近くにある図書館に通い詰めていた。
小学2年生になり、A君とはクラスが別れた。
それからは別の子と遊んでいた。A君とも顔を合わせることもなく、義兄は二人とも家を出て自立していったのでとりあえずは普通の小学生を送れていた。
そのとき仲の良かった子が一人いた。小1からのクラスメイトで、一人でいたボクに声を掛けてくれたのがキッカケで仲良くなった。親友だと、ボクは思ってた。何をするにも彼女と一緒にいて、よく縄跳びをマイクに見立てて歌手ごっこみたいなことをやってた。
だけど、その子は転校してしまった。友達を作るのが苦手だったボクは、他に仲良しの子がいなかったから孤立してしまった。
このときが、たぶん小4くらいだっただろうか。本人から引っ越し先の住所を教えてもらえず、先生に聞いて手紙を出した。
暫く文通をしていたが、彼女からボクと仲良くしてたのは同情してたからだと言われてしまった。
複雑な家庭だった。だから、可哀想だと、思われてた。
ショックだった。そんな気持ちで友達になられていたなんて。
それから、特別仲の良い子は作らなかった。むしろ作れなかった、と言っていいかもしれない。
その頃から、元々好きだった本に没頭するようになった。
図書館にばかり行って、ずっと本を読んで、マンガも読んで、現実逃避をしてた。
逃避目的もあったが、小学生のボクは漫画家を目指していた。絵を描くのが好きで、少女漫画を読んではその絵を模写したり。
あの頃は、なかよしやりぼんを読んでいた。特にCLAMP先生の漫画にドハマりしていた。魔法騎士レイアースは子供心に衝撃を受けたし、カードキャプターさくらは今でも大好きだ。さくらちゃんは永遠のヒロインだし、「絶対に大丈夫だよ」の言葉はボクにとって魔法の言葉だ。
そして、小5になってからA君が不登校だったことを知った。
当時の先生の提案で、放課後だけA君を呼んで学校の体育館で遊ぼうということになって当然そこにボクも参加した。
久々にA君と会い、当時の感覚でそのまま彼の家にまた遊びにいくようになった。会わなかった時間を感じないくらい、普通にそこに馴染んだ。
学校帰りにA君の家に行って、プレステやら64で遊びまくってた。ボクはスマブラがとことん弱くて一番最初に倒されてた。
ただただ楽しい。そんな時間を過ごせるのが、このときのボクには救いだったと思う。
家以外の居場所が出来ること、それだけで心が安定できるから。
そうそう。5年生では委員会に入るようになり、ボクは放送委員になった。目立つことを避けていたボクだけど、放送委員の仕事は楽しかった。
お昼休みに放送で児童書を朗読して、それを先生に聞きやすいと誉められたのが凄く嬉しかった。
このときから声を出すのが好きだったんだろう。小さい頃から何かと親にカラオケに連れていってもらってたし。
人見知りで人前で話したりするのが苦手だったから、人目を気にせず大声を出せるのが気持ちよかったのかも。
5年生の頃は比較的、安定期だったように思える。やっぱり自宅以外に居場所があると落ち着くようだ。
このとき、出席番号の近いクラスの子と仲良くなった。話しやすくて、頭の良い子。
普通に仲良くしてるつもりだったけど、かつてのこともあり、少し嫌われることに過剰反応していたように思う。その子が他の友達と仲良くしてるのを見るのが嫌で、自分だけと一緒にいてほしいみたいな独占欲みたいなものもあった。
確か林間学校か何かだったか、班を決めるときにその子が他の友達と班を組もうとしてるときに無理矢理に手を引っ張ってしまったことがあった。
なんで自分と一緒にいてくれないんだ、みたいな勝手なことを思ってしまって、本当にその子には申し訳ないことをした。
結局ボクは他の子の班に入れてもらったけど、どうにも馴染めなかった。
小6になり、ボクは不登校になった。理由は何でか忘れたけど、とにかく学校に行きたくなかった。
夏休み前だったのは確かだから、一学期の間だけ保健室登校をしていた。その頃もA君の家には行ってた。同じ不登校仲間だったし。
当時、ボクは男子に汚いもの扱いをされてた。もしかしたら、それが理由だったのかもしれない。
家はとにかくボロかったし、ボクも兄のおさがりばかり着てた。この頃は本当に少年のような格好ばかりしてた。
着る服も黒と白ばかり。明るい色なんて絶対に着なかった。目立ちたくなかった。
地味に地味に、女の子らしさなんて皆無。前髪も伸ばして顔を見えないように。
そうやって、人を避けて目立たないようにしていたのに。
また、嫌なことが起きてしまった。
不登校だった間、父の仕事についていったことがあった。
ずっと引きこもってるボクに気を使って外に連れ出してくれたのかと思った。
大きなトラックに乗って、島根まで。
ボクはずっとトラックの座席の後ろにあるスペースでゴロゴロと漫画を読んでいただけだったが、ちょっと新鮮な気分だった。
だけど、その晩。どこかのサービスエリアでトラックを停めて、寝ようとしたとき。
その狭いスペースに二人で横になって、昼間にずっと寝ちゃっていたせいで眠くないなぁとか思いながら横たわっていたら。
「五千円あげるから」
背中越しに、そう言う父の声がした。
お腹に回された手に、少し力が込められた気がして、全身が危険だと訴えたような、とにかく恐怖を感じた。
首筋のところに父の息がかかり、その生暖かさが気持ち悪くて、幼少時のことがフラッシュバックして、急いでその場から逃げた。
適当に誤魔化そうと、「まだ眠くない」なんて言って、座席の方に避難した。
心臓がバクバクして、何も分からない振りをするのが精一杯で、其れからきたくするまでのことはあまり覚えてない。
でも、この夜の出来事は今でも覚えてる。忘れたいのに、覚えてる。
信じられなかった。小学生の頃の父はほぼ仕事で不在で、あまり思い出らしい思い出もなくて、放任主義くらいにしか思ってなかったのに。
まさか、こんな人だなんて。
今思えば、父が家にいるときマッサージを頼まれたことがあった。小さい頃に親の肩や腰をマッサージしてお駄賃を貰う、なんてことは誰でもあったと思う。
だが、一度だけ変なことがあった。普通に腰のマッサージを頼まれ、お駄賃のために頑張ってやっていた。だけど「違う、そうじゃない」と言われてボクのことを寝かせて腰を揉み始めた。
ボクは元々くすぐったがりでマッサージされてもこそばゆいだけだった。だからそのときも笑っちゃって、イヤだイヤだと抵抗をしていたんだけど、途中から手つきがおかしかった。腰だけじゃなくて足とか触られて、最後は本気で「嫌だって言ってんじゃん!」と大声をあげて父を蹴った。
そのときから、父はおかしかったのかもしれない。
義兄2のような赤の他人が手を出してくるのとは違う。
父が、娘に、血の繋がった娘に、性欲をぶつけようとするなんて、有り得ちゃいけない。
最近でもそういったニュースが取り上げられていた。それを見たときも思った。本気で信じられない。気持ち悪い。異常としか思えない。どうして娘をそういう目で見れるの?
父は昔から怒ると怖くて、苦手意識はあった。でもこの一件からは恐怖しかなかった。
当時のボクはまだ子供だったから父に対してそこまで嫌悪することもなかった。やっぱり、感覚が麻痺していたのかもしれない。
そして夏休みが明けてから、ボクは学校にまた戻るようになった。
家にいるのは、学校にいるより怖かったから。それにおこづかい減らされると言われたら行かざるを得ない。
二学期になって、当然友達なんていなかったけど孤立はしなかった。
クラスメイトの一人に、Eさんという勉強もできて誰からも慕われるような格好いい女の子がいたのだ。
女子特有のグループを作ったりもせず、ソコにいるだけで人が集まるような、そんな人だった。
元々Eさんとはそこそこ仲も良かったので、基本的にその子の側にいた。Eさんはボクのことを邪険にもせず、普通に相手してくれた。
Eさんのおかげで学校にも復帰できて、その後の学校行事も何事もなくクリアできた。彼女には感謝しかない。
修学旅行も彼女と班になれたおかげで最後に余るなんてこともなかったし、Eさんの家でお菓子作りなんかもした。料理上手でお菓子も作れて、勉強も出来て、優しくて、なんて完璧な人なんだろう。今でも憧れてしまう存在だ。A君と昔話をするときは彼女の話がたまに出てくるくらい、印象に残る子だった。今、どうしてるんだろう。唯一会いたいと思うクラスメイトだ。
そんなこんなで普通の小学生に戻れたボクだったが、またしても問題があった。
これまた父だ。
ある冬の、夜中。うちら兄妹を起こし、車に乗せて近くの焼肉屋に連れていかれた。
「もう母さんのことは忘れろ。新しいお母さんを紹介するから」
そう言われて、一人の女性に会わされた。看護師をしてる人だ。
その人と夜中に何故か焼肉を食わされ、その女性の家で余を明かすことになった。
あの夜のこともちゃんと覚えてる。何故かって、翌日に高熱を出したから。
そうと言うのも、その夜は父とその女性はベッドで寝て、うちら兄妹は雑魚寝だった。コートを着たまま、毛布一枚渡されただけ。冬なのに。
少し服が捲れてお腹が出てしまったが、直すに直せなかった。父がその女とベッドでセックスをし始めたからだ。子供が寝てる横で何してんだろうか。おかげで身動きは取れず、お腹を出したまま寝る羽目になったというのに。
その翌日、また車に乗せられて我々は自宅へと戻った。
「今日のことはお母さんに言うなよ」
頭おかしいのかな、この人は。新しい母を紹介すると言った次の日に、やっぱり無かったことにしろだなんて。
普通に家に戻され、大嫌いな義母から解放されると思ったのに大ショック。高熱は出るし、散々な目に遭わされた。だからこの出来事はよーく覚えてる。
父はまた仕事で家にいないし、義母は相変わらず暴力ばっかりだし。
そんな状況が当たり前だったボクは、誰かに相談したりもしなかった。だって、それが我が家の普通だったから。
こういうものなんだって、思ってた。
親は絶対的な存在だから、子供は従うしかない。
父は怖くて逆らえないのも、当たり前。
今だから、あの頃の家庭環境が異常だったと言えるけど、あの日のボクには普通のことだった。
でも、一度だけ堪えきれずに死のうと考えたこともあった。
不登校だったとき、悲しくて悲しくて、大好きな漫画を捨てて、真夜中にキッチンで包丁を持ち出した。
手首を、切ろうとした。
楽になろうと考えた。
もう無理、絶対に無理。
だけど、ボクにはその勇気がなかった。
結局怖くて、やめたんだ。
いくじなし。そんな自分が嫌で、布団にくるまって静かに泣いていた。
親が悲しむとか、そんなことは微塵にも思わなかったけど、今死んだら大好きな漫画もアニメも見れなくなるんだろうなって思うと、もう少し頑張っても良いかなとは考えた。
ボクの生きる原動力は、これだけだった。
漫画は本当に、ボクの活力だった。書くのも読むのも大好きで、これだけで「明日」に希望を持てた。
あの話の続きは、どうなるのかな。
あんな話が描きたいな。
将来、漫画家になれたら。
唯一、将来を思い描くことができた。
お年玉で画材を買って、本格的に描き始めたのも小6だった。
下手くそだったけど、自分で物語を描くのは楽しくて仕方なかった。
こんなボクでも、キラキラした夢のある物語を創り出せる。なんて、素敵なんだろう。
スーパーで買った安いコピー用紙で、たくさん描いた。描いても描いても飽きなくて、いくら絵を描いても足りなくて。
これがボクの天職なんだ、って思ってた。
唯一、輝けたものだった。
小学校の卒業文集。クラスで一番○○な人ランキングみたいなやつで、絵が上手い人に名前を載せてもらえたくらい。これだけは譲れないものになってた。
ボクを生かしてくれた、大事な「夢」。
そして、中学生。
制服を、着なくちゃいけなくなった。
女の子らしい格好を避けてきたボクが、スカートを履かなきゃいけなくなった。
制服なんて、もう自分が女であることを証明するものでしかない。
着たくなかった。スカートなんて、小学生のとき一度も着たことなかったのに。
女の子に見られるのが、苦痛でしかなかった。
だって、女だから嫌な思いした。
可能な限り、制服を着ないようにした。学校ではジャージで過ごしてもよかったから、登校してすぐにジャージに着替えていた。
それから、一人称が変わった。ボクから、オレになった。
これも特に理由があったわけでもなく、自然とそうなっていた。
スカートのせいだろうか。少しでも女らしさを自分から消したかったのかな。
とにかく、必死だったのかもしれない。
中学ではテニス部に入った。未だに人気のあるテニス漫画の影響だ。夏休みの練習がキツくてすぐ辞めたけど。一応美術部に入部はしたけど幽霊部員。
なんていうか、中学校は全く楽しくなかった。つまらない、しかなかった。
特に思い出に残るようなものもなく一年が過ぎて、中2になってまた不登校になってしまった。
始業式のときに風邪引いて二日くらい休んでしまい、登校すると色んなことが分からなくて、ついていけなかった。掃除当番で自分が何をすればいいか分からず、クラスメイトに聞いても誰も教えてくれなくて、取り残されたようだった。
また家に引きこもり、何もする気にならなかった。
でも、ここで転機があった。
中学でも同じ学校で、変わらず不登校だったA君が、彼自身も通ってる相談室を紹介してくれた。
同じように学校に通えない子たちが集める場所。気心知れたA君が一緒ということもあり、ボクはその相談室に通うようになった。
制服を着なくていい。
誰もグループを作ったりしない。
ボクが、ボクらしくいられる場所だった。
相談室の先生は優しくて、怖くない大人たち。相談室に来る子たちもそれぞれに傷を持った子達だから、互いが安心できる距離感を知っていた。
ここでの生活は、今までにないくらい心地好かった。
朝から昼過ぎまでは相談室、そのあとはA君の家に遊びに行き、暗くなる前に家に帰ってご飯食べて寝るだけ。そしてまた、朝が来る。
親も特に何も言わなかった。このときはまだ、ボクが相談室に毎日ちゃんと通えてるとは思ってなかったらしい。でも相談室登校でもちゃんと中学の方で出席扱いになっている。引きこもってるよりマシだと思ってほしい。
この相談室で仲良くなった子で、今でも付き合いのある子が一人。同い年の女の子で、Sちゃん。
Sちゃんは当時、相談室の子と距離をとっていた。近付くなオーラ発生機と呼ばれるほど。残念ながらボクはそれに全く気付かないで初対面から名前でちゃん付けだった。
元々の幼なじみのA君、そして相談室で出会ったSちゃん。そしてボクを含めた3人は、今でも一緒だ。一年に最低一回は必ず旅行に行ってるし、よくご飯を食べに行ったりしてる。
この中二の夏、家庭訪問があった。そこで両親は相談室に毎日通ってることを知った。
先生が帰ったあと、父に殴られた。
相談室なんかに通うくらいなら、ちゃんと学校に行けと。お前のはただのサボりだ。周りの皆ができることをなんで出来ないんだ。
物凄く怒鳴られた。怖かったけど、ボクはこの居場所を失いたくなかった。
「友達がいるから、行きたい。一緒にいて楽しいと思える友達がいるから、相談室がいいんだ」
泣きそうになりながら、必死に訴えた。
でも父には理解できなかったようだ。
「お前のそれは傷の舐め合いをしてるだけだ。甘えてるだけなんだよ」
そんなこと、してないのに。
悔しかった。
相談室の子たちもバカにされたみたいで、腹が立った。
父はいつでも自分が正しいと思ってる人だ。自分の思考が古くさくて偏見の塊で、それを自覚した上で考え方は決して変えない。だから、ボクが父と解り合うことは一生無理だと思う。
当然、相談室に通い続けた。ボクの中に学校に通う意味がなかったから。
学校に行けばボクは女子生徒だ。別に女だからそれは当たり前だし、ボクは女である自分は嫌いだったけど、男になりたかったわけじゃない。父や義兄と同じ男になんか死んでもなりたくない。
それに、毎回兄の教室に何かを借りに行くのが嫌だった。
確かに家はボロかったけど、そこまで貧しかった訳じゃないと思う。でもボクは小学校の頃からリコーダーとか鍵盤ハーモニカやら、授業で使うものを買ってもらえてなかった。
全く触れてこなかったが、実兄とはそこまで仲が悪かったわけではない。妹という立場をフルに活用して色々とお菓子とか買ってもらっていたし(笑)
まぁ年子だったせいか、あまり「兄」って感じでもなかった。親戚からはボクの方がしっかりしてると言われまくっていたし。
ただ、服以外のおさがりは嫌だった。違う学年の教室は何となく異質というか、雰囲気が違うように感じられて、○○の妹って呼ばれるのも好きじゃなかったし。兄自身も毎回妹に教室に来られるのは相当嫌だっただろうし。
相談室に行くようになってからはそういったこともなくなって、本当に楽だった。自由だった。
元から進学する気がなかったボクは全然勉強しなかった。中卒で働いて、漫画を描いて描いて、早く漫画家になって自立するんだって意気込んでいたっけ。いやぁ、さすがに若かったな。
でも、その夢を目指して頑張っていた。
相談室にいるときはたくさん描いた。
投稿するための漫画。
ただ趣味で描いただけの黒歴史漫画。
この黒歴史は今でも押し入れの奥にしまった段ボールの中に厳重に封印されています。子供向けアニメのパロディ漫画を大量に描いてました。二次創作ってやつです。
あの頃が一番漫画を描いていた時期なんじゃないかな。黒歴史以外の漫画も一応残っていたはず。
まぁ、そんな思い出はさておき。
この中学時代。相談室での生活はとても充実していた。
夏と冬には宿泊合宿があって、丸一日あの家にいなくていい最高の日だった。
それ以外にも相談室の先生の一人が畑や田んぼを持っていて、さつまいも掘りや田植えなんかも経験させてもらった。冬には餅つきもしたし、みんなで大貧民をやりまくっていたこともあった。
中学2年の夏からの1年半、今でもキラキラしてみえる大事な思い出。
この頃に好きだったものは未だにハマり続けるくらい、この時期はボクにとって影響の大きいものだった。漫画もそうだし、声優さんに興味を持ち出したのもこのときだ。
職業的な意味ではなく、ただファン的な意味合いで。相談室に通っている子で物凄いアニメ大好きな男の子がいて、ボクとは違うジャンルをよく見る子だった。おかげでボクも色んな作品を見る機会に恵まれたし、声優さんの凄さも知れた。
その子がアニメのDVDの限定版に付いてきた台本を持ってきたことがあって、元々放送委員で何かを読んだりするのが好きだったボクはメチャクチャ食いついたものだ。演じて喋るのに楽しさを覚えた。これに関しては卒業後のボクの活動に影響している。
それから、相談室絡みではないけれど今でも一番好きなアーティスト、Janne Da Arcにハマったのもこの頃だ。偶然CMで聞いた歌に速攻で惚れて、近所のレンタル店でアルバムを借りまくっていた。解散してしまったのは物凄くショックだったし、悲しかったけど、ジャンヌの曲を聴いてるときは幸せな気持ちでいっぱいだったから、感謝しかない。
素敵な時間をありがとう。これからもずっと大好きです。
友達と共通で好きだったのが、今でもアニメがリメイクされるくらい人気のある漫画、「フルーツバスケット」。
こころにグッとくる話ばかりで、我々のバイブルとなった作品です。
心に残る台詞や、キャラクターが本当に素敵。今日子さんみたいな素敵なお母さん、欲しかったな。
そんなボクの中学生活。ちなみに相談室で行われた卒業式では、兄の学ランを借りて参加しました。わざわざボタンを新しく買い換えて、第二ボタンをSちゃんにあげたの。
中学の卒業式は参加せず、後日校長室で卒業証書を受け取りました。
卒業後。ボクはラーメン屋でバイトを始めた。
A君とSちゃんは、元々進路をちゃんと決めていたので高校に進学。
毎日会える、そんな日々が終ってしまった。
たまにみんなの予定を合わせて地元のファミレスでご飯を食べに行ったりはした。初めて子供たちだけで旅行に行ったりした。
当時は夜行バスに乗って、九州や四国に行ったりして、本当に楽しかった。今じゃ体力が持たないから絶対にしないけど(笑)
ボクもバイトして、漫画描いて、それなりに頑張って過ごしていた。
バイトを始めてから携帯を買った。
初めてのガラケー。それが嬉しくて、結構長いこと使っていた。
このときのボクがやりこんでいたことは、漫画ではなかった。もちろん漫画を描くのも好きで描き続けていたけれど、他の趣味が出来たのだ。
それが、演じること。ガラケーで録音した音声を自分で作ったホームページに載せて公開していた。
そのボイスサイトで、他の人が企画したボイスドラマに参加してみたり、ネットでの活動が増えた。
自分でも台本を書いて、掛け合いサイトを運営したこともあったんですよ。キャストを募集して、携帯の掲示板に音声を投稿してもらったりして。
このとき台本を自分で書いたことが、いま小説を書くきっかけになったのかもしれない。
卒業して大体2年くらいだろうか。1年間働いたラーメン屋のバイトを辞めて、近所の本屋で働き始めてから暫く経ってのこと。
17歳になったボクは、完全に心折れてしまった。
家にいる時間が増えて、友人二人は高校生活を送っていて、友達が作れないボクは一人になった。
人付き合いが出来ない。
人が怖い。
どうしていいかわからない。
そもそも、ボクなんかが誰かと関わっていいのだろうか。
卒業後毎年行っていた旅行も断った。友達との旅行を断ったのは、後にも先にもこの一回だけだった。それくらい、病んでしまった。
自分は、汚いのに。
義兄や父親にあんな目に遭わされたボクは、物凄く汚いって、それしか考えられなくなった。
大事な友達に、こんなボクが触れていいわけない。
汚しちゃいけない。
だから、関わろうとするのをやめた。
絵も描けなくなった。白い紙を見るだけで涙が出てきて、苦しくなった。
なんだか、毎日のように泣いていた気がする。
怖くて、怖くて、怖くて、怖くて、悲しくて。
心がすり減って、すり減って、一人じゃどうしようもなくなってしまった。
卒業後も1、2年くらい参加していた夏と冬の宿泊。その夏の宿泊にボクは参加することにした。会うことを避けていたけれど、やっぱり会いたくなって。
そこで、ボク自身はあまり覚えていなかったが、絵が描けなくなったことをSちゃんに相談していたらしい。自分でも覚えていないくらい、相当参っていたのかも。
やっぱり、友達といると落ち着ける。少しだけ回復したボクは、また3人で旅行もした。家に居たら、本当に死んじゃいそうな気がしたから。
友達といるときは、本当に楽しい。
身体中に付けられた枷を全部外して、全てから解き放たれたような感覚だった。この時間だけ、ボクは自由だった。
でも、家での生活はボロボロだった。
17歳ではボロかった一軒家から引っ越し、マンションに変わった。ようやく自分の部屋が持てるようになり、最初は嬉しかった。でも、引き籠りが悪化しただけだった。
本屋のバイトも続かず、辞めてしまった。
でもさすがに働かないのはダメだと思って、バイトの面接はいくつも受けた。だけど受かっても、初日に行けないことが多かった。
完全に腐っていた。家で寝てばかりいて、生きてるのか死んでるのか分からない生活をしてた。
根本的な「自分が汚いもの」だという認識は抜けておらず、一生結婚もせずこの家から出ることも出来ずに死んじゃうんだろうな。そう、思ってた。
だってボクは、汚い。
それなのに、寂しくて誰かに会いたくなる。
いつか友達に見放されてしまわないか、そんな心配をしていた。
ボクなんかがいなくても、誰も悲しむことはないんだろうな。迷惑に思われても、悲しまれはしないんだろうな。
そんなボクがなんで生きてるんだろう。
自分で死ぬこともできないくせに、のうのうと生きてるなんて、見苦しいな。
父はそんなボクに「病気だ」と言った。
そうかもね。でも、その原因作ったのは自分なのに。
ボクがこんな汚くなったのは、誰のせいだ。
いや、違うな。
ボクが、女だからか。
どうして女に生んじゃったんだ。
むしろ、なんで生んだんだ。
父はよく言っていたっけ。
「俺はお前の唯一の理解者なんだから、お前のことを誰よりも分かってやれるのは俺だけなんだ」
嘘つき。何も分かっちゃいない。
でも、そのときのボクにとって親は絶対で、世界の中心みたいなものだったから、二十歳になったとき幼少時のことを打ち明けた。
義兄のこと。今でもトラウマで、人付き合いが出来ないこと、人が怖いこと。
父にされたことは言わなかった。本人に言っても仕方ないと思ったから。
ボクがどれほどつらくて、悲しかったか。
分かってくれると、思った。
でも違った。父から出た言葉は、ボクの心を切り裂いてしまった。
「そんなのはお前が女だから仕方ないことだろ。お前は女なんだから、そういうことをされても文句言えねーよ」
確かにボクだって自分が女だから、そういう目に遭うんだとは思ったよ。
女だから、男に勝てない。
でも、ただ女だったからじゃない。子供だったんだ。どうしたって大人に勝てるわけないじゃないか。
それに何も知らない幼少期にそういうことをされているんだよ。ボクにどうしろっていうの。
叫べばよかった?
親に泣きつけばよかった?
仕方ないじゃん。分からなかったんだから。悪いことだって、知らなかった。
それなのに、ボクが悪いの?
仕方ないの?
男は何しても許されるの?
おかしいじゃん。
つまり、父は自分が娘に手を出そうとしたことも、ボクが女だから仕方ないと、そう言いたいのだろうか。
「じゃあなに。俺があいつを殺せば気が済むのか? お前がそうしてほしいならしてきてやるよ。でも、そんなことしても無駄だろ? 昔のこといつまでも引きずってんなよ」
父は言った。
娘の心の傷に、よくそこまで言えるよね。
いつまでも過去にとらわれてるボクが悪いと。
頭の中が、グッチャグチャに掻き乱された。
父は、ボクの何を理解してそう言うの。
「お前なんかより辛い思いしてる人はたくさんいるんだよ。それでもみんなちゃんと生きてんだろ。なら、お前だってできるはずだ」
皆に出来るからって、ボクにも同じように出来るとは思わないでよ。押し付けないでよ。
父のは、理解じゃない。単なる押し付けだ。
自分の理想を、娘に強要してるだけ。
昔から父はボクに福祉関係の仕事につけとしつこく言ってた。
義母も元々は販売員だったけど、父と結婚してから病院のヘルパーの仕事についた。
そして昔に会わされた浮気相手も看護師。
つまり、そういう女が好きなだけなんだよ。
理解なんて一ミリもする気ないくせに、暴力を奮って恐怖で服従させようとしてるだけだ。
極めつけには「風俗で働けよ。楽に稼げるだろ」ですよ。
確かに父の考え方は古くさくて、男尊女卑が当たり前だと思ってんだろうけど、これはもうダメすぎる。
もう、こんな親と口も聞きたくない。
顔も見たくない。
この親がいる家に引きこもってるからダメなんだ。
ボクは、家を空けるようにした。
夜にファミレスや適当に外を徘徊して、父が仕事に出たあとに家に帰って昼間に寝て、夕方にまた家を出る。
そんな生活を数ヵ月送っていると、父から電話があった。
「帰ってこい。ちゃんと話し合おう」
話して何になる。
そもそも、ボクが家を空けるようになってから夜中は玄関のドアにチェーン付けだしたくせに帰ってこいとか。帰ろうとしても帰れなかったんだよ。追い出しておいて、勝手なこと言わないでよ。
ボクは帰りたくない理由に、父に手を出されそうになったことや風俗で働けと言われたことに対しての気持ちをメールで送った。父と話したいことなんかないと。
でも父は戻ってこいとしか言わない。
仕方ないから帰ったよ。そしたら、何もなかったように家でちゃんと飯食えよとか、父親ぶってきた。
気持ち悪い。
この人を見ても父親って感覚がしなくなってきた。
頭の変な人。
いるだけで具合が悪くなる。
父が帰ってくるときバイクの音がして、それを聞くと物凄く落ち込む。
家にいたくない。
でも、一人暮らしができるほど稼ぐこともできないし、中卒のボクがいまさら正社員を目指すのも難しい。
でも、こんなことに友達を巻き込めない。二人とも大学生だったし、そんなしょっちゅう会うこともできない。
誰か、外に出るきっかけを作ってくれないかな。
好きな漫画やアニメの話ができる人がいいな。話し相手がほしいな。
ボクは携帯のチャットサイトに登録して、趣味友達を作ろうと決めた。
それが21歳の9月のことだ。
ここで知り合ったのが、いまボクの隣にいてくれる人。
初めての彼氏になる人で、いまは旦那だ。
彼もアニメが好きで、話しはすぐに弾んだ。
好きな漫画はなに?
いま見てるアニメは?
オタクの理解者はオタクなんだ。話してて楽しかった。
しかし、そのときのボクは半ニート状態。携帯代が払えず、近々携帯を止められてしまうことになっていた。
そのことを伝えると、彼はじゃあ直接会って話しませんかと、言った。
少し迷いはしたけど、会うことにした。話していると彼はわりと近いところに住んでいた。同じ路線沿いで、すぐ来れちゃう距離だった。
彼はボクの最寄り駅の方に来てくれると。
トントン拍子で話しは進み、本当に会うことになった。
友達以外とこうして約束して会うのは初めてだ。メチャクチャ緊張した。
約束の日、駅の改札前で待ち合わせして、ドキドキしながら待った。
「まいさんですか?」
そう声をかけられ、相手の顔を見る。当時はまだ前髪が少し長かった旦那。
知らない人と会う、なんて今までの自分からしたらあり得ないことで、緊張で最初はあまり喋れなかった。
あとから旦那が教えてくれたことだけど、一目惚れだったらしいです。ボク、一目惚れなんて都市伝説だと思ってました。
それから駅の中にあるマクドナルドに入り、軽くご飯を食べながら話をした。
彼の好きなゲームの話。ボクは絵を描くのが好きだって話したり、このあと行く予定のカラオケの話。
普段は何を歌うの、とか。どんな曲が好きか、とか。
彼の方も結構人見知りするタイプで、お互いに上手く喋れてなかった気がするね。
駅から少し歩いたところにあるカラオケに案内し、二人してアニソンばかり歌いまくった。このときには緊張も解けていた。
帰る前に互いの携帯の番号を交換して、また会おうねってなった。
携帯代は兄に立て替えてもらい、一度は止まったけど使えるようになった。
それから彼とメールのやり取りを繰り返し、2回目は秋葉原に出掛けた。ボクが行ったことない、と言ったから案内してくれると。
初めての秋葉原はとても楽しかった。友達二人もアニメは見るが、オタクというほどじゃない。だからこういう場所にあそびにいくことはないから、凄く新鮮だった。
それからもまた地元でカラオケに行ったり、何度か一緒に遊びに出掛けるようになった。
このことを友達に話したら、「絶対に告白されるよ!」と言われたけど、ボクはそんなことあり得ないと思っていたので、あまり気にしてなかった。
ボクなんかが誰かに好かれるなんて、一生ない。
そんな馬鹿なやつ、いるものかと。
そう思っていたら、いたんですよ。そんな、馬鹿な人が。
初めて会ってから一ヶ月くらい経ったある日、彼から電話があった。物凄く歯切れが悪くて、どうしたのかと思っていた。ボクがなにかしてしまったのかな、とかそんなことを思っていると、彼が言った。
「好きに、なっちゃったんだけど……付き合ってくれませんか」
友達に言われたことが、まさか本当に起きるなんて。
驚いた。
え、夢じゃない?
ボクが、誰かに好意を持たれるなんて。
そんなこと全く意識してなかったけど、彼は良い人だったし、一緒にいて楽しい。何より、こんなボクを好きになってくれた。
だから、「はい」って言ったんだ。
21歳にして、初めての彼氏。
そして、初恋だ。
付き合いはじめて、恋とかそういうものと縁のなかったボクだけど、彼をちゃんと意識して見るようになった。
好きだと言われて付き合うことにしたけれど、ボクも彼を好きになった。
ちなみに、告白されてすぐに友達二人にメールしたら、暫くしてから二人同時に「おめでとう」と来た。どうやら心配になった二人は、地元のマックでボクの初彼氏について数時間くらい話し合っていたらしい。
それを聞いたときはかなり恥ずかしかったけど。付き合い出してから二人とご飯を食べに行ったとき、「だから言ったじゃん!」とメチャクチャ言われた。
だって、本気でそんなつもりなかったんだもん。人から好かれるなんてこの20年間なかったし。
このときから、ボクの体には変化があった。
ボクは実家にいた頃、全く太らなかった。背も低く、体重は40kgあったりなかったり。
親から太れ太れと言われ続けるほどガリガリだったボクの体重が、初めて増えたのだ。
このときはそんなに気にしていなかった。
それからも彼とデートをして、毎日電話して、楽しかった。
クリスマスに夢の国にデートしたとき、ピアスをプレゼントしてもらった。普段はあまり身に付けないような可愛いデザインだったけど、友達に似合うと好評だった。
着る服も少しずつ変わった。今までおさがりばかりで白黒ばかりだったけど、好きな赤色を身に付けるようになった。
可愛くなろうと、意識するようになった。
付き合い出してから半年くらい経ってからだろうか。父と何かの話してて、お得意の「理解者」発言をしてきたから、そんなことないよと言ってやった。
ボクの唯一の理解者は、あなたじゃない。
ようやく、ハッキリ言えるようになった。ボクの理解者は最初から父なんかじゃなかった。
今までボクを支えてくれたのは、大好きな友達だ。
そして、これからのボクと一緒に過ごしてくれる大好きな彼。
彼氏ができたことを父に伝え、同棲を考えてることを言った。
実は一緒に暮らしたいという話をするようになったいた。
彼も片親で、母親と弟、そして姉夫婦と暮らしていた彼は、家を出たいと思っていたらしい。
ボクも家を出たいし、高いの利害は一致していた。
それを父に言うと、一緒に暮らすなら結婚してからじゃないとダメだとかまた頭のおかしいことを言われた。
そんなこと彼に言って、嫌がられたらどうしてくれるんだよ。
重たい家の子と思われたら、どうするんだ。
まだこのときは家のことを言ってない。
やっぱり付き合えないとか、そう言われたらどうしよう。
不安で仕方なかった。
結局、ボクはこの家から出られないのかと。
彼に父から言われてことを伝えた。
怖かった。
嫌われるかもしれない。
胸がギューッと握りつぶされるようだった。
「いいよ。元々、結婚を考えて付き合ってたから」
彼は、悩むことなくそう言ってくれた。ボクは何回も確認した。本当にいいのか、後悔しないのかと。
でも彼は大丈夫だって、言ってくれた。
嬉しかった。本当に、あのとき出会ったのが彼で良かった。
好きになったのが、彼で良かった。
それから二人で家探しをして、アパートを借りた。
家具を揃えて、一から二人の暮らしをスタートする。
実家を出られるなんて、夢にも思ってなかった。
荷物をまとめてるときはもうワクワクして仕方なかった。
新しい生活が始まる。二人で一歩を踏み出せる。
その年の夏に引っ越しを済ませ、ボクは22年間暮らしてた親元を離れることが出来た。
そして、その年。2012年の10月に、入籍した。
保証人には、友達二人に頼みたかったから都合のついたA君にお願いした。
紙一枚のことだけど、とても大きなことだ。
友達にも喜んでもらえた。地元のカラオケの宴会室みたいな大きな部屋でみんながお祝いをしてくれて、卒業室の先生も来てくれた。
ボクの結婚はみんなにとっても衝撃で、相談室の友達の中で一番最初に結婚するとは思わなかったと暫く言われ続けたものだ。それはボク自身も驚いてます。
名字が変わる。戸籍も変わる。完全に親の元から離れられる。
このことが、どれほど嬉しかったことか。
籍を入れる前に、彼には家のことやボク自身の昔の話も全部した。泣きながら話すボクの背中を、優しくなだめてくれて、受け入れてくれた。
重たい枷は、もうなくなったんだ。
ボクを縛り付けるものは、もうないんだ。
幸せを感じながら暮らせる。
家にいて、苦しくない。
家に帰れば旦那がいて、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、朝を迎えられる。
そんな当たり前を、やっと得た。
最初はお互いに家を出るのは初めてだったし、一人暮らしの経験もなくて揉めることもあった。
旦那は好き嫌いが多くて、そこで喧嘩することもあった。
カレーに味噌汁はいらないとか、野菜はいらないとか。本当にくだらないことばかりだったけど。
結婚は、ボク自身を凄く変えてくれた。
旦那がノートパソコンを持っていたので、ネット環境を整えて色んなことを始めた。
まず、ちゃんと小説を書き始めた。
前々から携帯で夢小説を書いてはいたけれど、台本以外の一次創作を始めた。「小説家になろう」に登録して、そこで仲良くなれた人もいて、色んな人に自分の作品を見てもらえて、感想ももらえて、凄く励みになった。
初めてオフ会に参加もした。
この話をしたら、友達は凄く驚いてた。本当に変わったね、って。
当時まだ運営していた「こえ部」でも活動してた。
そして、ニコニコ動画で少しの間だけゲーム実況を投稿してたこともあった。
ここで、「声劇」というものを知った。
ニコ生を使って演者を募り、スカイプで通話しながら劇をするもので、やってみたいと思って参加してみた。
声劇を通じて知り合った子と仲良くなり、その子とも一度だけどリアルで会ったりした。今もその子が立ち上げたサークルで台本を書かせてもらってる。
本当に、人との交流が増えた。
寂しいなんて感じること、そうそうなくなった。
漫画を描くことはなくなったけど、小説を書くのは楽しいし、何かを作り出すことはやっぱりやめられない。
物語を書く、ということ。これだけは昔から続いてる。
諦めなくて、良かった。
好きなものを、ずっと好きなままでいられて良かった。
旦那と結婚して、7年。
良いことばかりとは言わない。大喧嘩したこともあったし、もしかしたら離婚するかもと不安になった出来事もあった。
だけど、ちゃんと二人で向き合って、きちんと話し合い、解決してきた。
「夫婦なんだから、ちゃんとお互いの気持ちを話し合おう」
ボクが旦那に嫌われるのが怖くて色々と我慢して、一人で抱え込もうとしてどうにもならなくなったとき、彼は言ってくれた。
二人で、一つ一つやっていこう。
昔のトラウマは今でもあるし、自分一人で何とかしなきゃって抱え込む癖はそう簡単に直らない。けれど、そんなボクを見捨てずに同じ歩幅で進もうとしてくれる旦那がいるから、ボクは立ち止まってもまた歩ける。
隣で一緒に歩いてくれる人がいるから。
改めて、ボクの30年を振り返ってみて思ったこと。
まず、友達二人にはいくら感謝しても足りないくらい、助けられた。
二人と出会えてなかったら、ボクは死んでいてもおかしくなかった。
もしかしたら親を殺していたかもしれない。
友達二人がボクを家から引っ張り出してくれたから、たくさん救われた。二人がボクの命綱だった。
誰よりも幸せになってほしい。
ボクの親友であり、恩人であり、保護者だから。
世界で一番、大好きだよ。
そして、旦那さん。
ボクを見つけてくれてありがとう。
好きになってくれてありがとう。
ボクの性格のせいでイライラさせたこともたくさんあっただろうけど、それでも一緒にいてくれて感謝してます。
これから先も、二人で幸せになろうね。
世界で一番、愛してます。
最後に。
きっとボクはもう二度と親と会うことはないだろう。
育ててくれた恩なんて、微塵も感じてません。
だって、恩を感じられるほどの生活をさせてもらってないし。
子供は自ら望んで生まれてくるわけじゃない。全部親の都合だ。大人が産みたくて産んだ。その気がなかったとしても、産んでしまったのなら責任もって育てるのが親の役目だろう。
だから子供が育てられたことに関して恩を感じる必要はないと思ってる。
もちろん、良い家庭に恵まれ、良い親に育てられ、こうして振り返ったときに幸せだと思えたら、親のおかげで良い人生を歩んでこれたと思えたのなら、恩を感じていたかもしれない。
でもボクは違う。
思い出しただけで吐き気はするし、胃も痛くなる。
ボクは家を出れて、あの親、家庭環境の異常さに気付けたから良かった。
でも、あのまま実家にいたら、それに気づかないままだった。
おかしいと疑問に思わないで、親に振り回されるだけの日々。
きっと、そういう子は少なくないと思う。
毒親はどこにでもいる。子供を一人の人間と思わないで、自分勝手に扱う人たち。
そんな人に育てられた子供たちは、大人になっても癒えない傷を抱えたままだ。
傷付いたことに気付かないままで、心がボロボロになっていく自分にも気付けないでいたら、ある日突然爆発してしまうかもしれない。
こんなボクの言葉なんかが誰かに届くかは分からないけれど、こんな大人もいるんだと知ってもらえればいいと思う。
素直に親へ感謝できる人、尊敬できる人、好きだと言える人。なに不自由なく暮らせることも、それはとても幸福なことで、とても尊いものだと思ってほしい。
それは、「当たり前」なことじゃない。それほど、親が惜しみない愛を子供に与えてる証拠なのだから。
親は、所詮他人だ。
ボクの人生は、ボクだけのもの。
ボクの幸せは、ボクのものだ。
だから、ねぇ。
小さい頃のボク。生きることを諦めないでくれてありがとう。
いまのボクは、幸せだよ。
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