泥飲む人々
@yuoiwa
序文・第1章
ここに、何人かの証言がある。
いや、これらを証言と呼ぶのは少し不適切かもしれない。しかし今こそあの事件の真相、あの今まで平穏だった町で何が起こったのか、何故30人あまりの町民がひと月のうちに立て続けにあのような凄惨な最期を遂げなくてはならなかったのか、を白日の下にさらすべき時なのである。これらの証言がなければ、この事件は結局のところ忘却の狭間に置き去りにされ、時とともにその残虐さが持つ意味合いもまた、風化してしまったことだろう。
しかし私は、そんなことは許されていいわけがない、と考える。
何故証言と呼ぶのが不適切かといえば、それは私が事実関係をここで述べていく上で、事件に関わった人々、巻き込まれた人々が、一体何を考え、何を思い、どのような衝動に駆られて行動を起こしたのかを私自身が想像し、一人称の形で大幅な補足をしているからである。
というようなわけで、以下に続く彼らの証言は彼ら自身の声ではないし、絶対的な真実を捉えているわけでもない。あくまでも私自身の筆による再構築であり、これはもしかすると少しアンフェアであると受け取られるかもしれないが、完全な忘却に息の根を止められるよりはましだろう。
そしてそれ以上に、この事件にはあまりにも不可解な点が多いために、判明している事実をただ羅列しているだけでは、その背後に潜む本当の姿を明らかにすることができないのではないかとも思われるのだ。私は私個人の想像をふんだんに取り入れて記述を膨らませることで、いささか勝手ではあるが、この事件の真相に対するあるひとつの解釈を提示することができると考えている。
そして証言が始まる。私達がイメージするべきは、とある田舎の小さな町、その町外れに広がる広大な沼地、その黒々とした水面と、そのさなかにひっそりと建つ一軒の古びてしまい崩れかかった小さな家。
これだけで充分だろう。
1
僕の読みが間違っているわけがない。趣味が人間観察だって言ってる人はちょっとばかみたいって思うけど、僕の推理と直感はこれまで外れたことがない。例えば駅前の交番でいつも夜遅くまで頑張っているあの中年のお巡りさんには趣味の違う年頃の娘さんが最低二人は絶対にいるはずだし、高架下の食堂で働いてるあのおばさんには働かなくても食べていけるだけの貯金があるはずだ。すべてに証拠があるし、僕はこの町のなにもかもを知っている。これを友達に話したら大げさだと言われたけど、疑問に思うんだったら調べてみればいい。僕の言ってることが全部正しいって事がわかるはずだ。
だから今度も僕の読みは正しいに違いない。あの沼地に立っている不気味な家。あそこに少し前から住んでいる二人は血も涙もない冷酷な殺人鬼に違いない。
ちゃんと証拠だってある。僕が集めた写真や新聞の切り抜き、あの家に届ける予定だった手紙を全部警察に届ければ、あの二人はすぐに捕まって裁判にかけられるだろう。もしかしたら死刑になるかもしれない。死刑になったほうがみんなのためにはいいのかもしれない。僕はまだ中学生だけど、親に言わずにそれだけのことをする度胸はある。みんなは僕を子供扱いしてばかにするけど、僕には人を(それも二人も)死刑台に送れるだけの証拠を持っているし、いつだって行動に移すことができる。だけど僕はこのことを誰にも言わないし、二人がこれからどれだけ人を殺そうがそれを止めようなんて気はさらさらない。はじめはこの事件を解決してこの町を守ろう、あの二人を警察につきだしてやろうと思ったりもしていたけど、ちょっとした事情があってもうそんなことはできなくなってしまった。残念だけど、悪いことばかりでもないと思う。
何が起っているのか、はじめからみんなにだけは教えてあげよう。
土曜日と日曜日を使って郵便配達のアルバイトをするというのはいいアイデアだった。このアルバイトのおかげでさっきも言ったように僕はこの町についてとても詳しくなったし、ちょっとしたお小遣いも貯めることができた。郵便局長のおじさんはこのアルバイトのことを「インターン」だと言っているけど、「インターン」というのは大学生がこれから入りたいと思っている会社でただ働きをさせられることであって、僕がやっているのは「インターン」じゃない。おじさんは少し変な人で、いつも「俺は子供に好かれる、優しくて気立てのいい郵便局長なんだ、地元の人々に愛される、素晴らしい郵便局長、だからこそ俺は子供に親切だし、この子にもこうして貴重な人生経験を積ませてあげているんだ、俺は立派な人間だろう、素晴らしい人間だろう」という顔をしている。口で言っているわけじゃないけど、表情にははっきりと出ているわけだ。だけどおじさんはいつもいらいらして部下の人には怒鳴り散らしていて、だいぶ嫌われているようだ。昔は土日に郵便局は閉まっていたけれど、どういうわけかここ何年かで会社の中でシステムが色々と変わって土日も働くことになってしまって、とても大変だけどみんな俺のように働くべきなんだ、と言ってただでさえ疲れている若い局員さん達を“いかく”してまわっている。実際のところ土日が営業日になったのは会社の都合ではなくて、少しでも自分の評価を高くしたい局長が勝手にこの局だけ土日に開けているというだけのことなんだと、周りの大人はみんな言っている。ただこういうみんなの迷惑を考えない変な大人はどこにでも(それもあまりにもたくさん)いるけれども、僕が局長をそれにもまして変人だと思うのは、僕に仕事をしながらでもできるある遊びを教えてくれたからだ。
まず僕は土曜日の朝九時頃に起きるとすぐに着替えをして、朝ご飯も食べずに郵便局へと向う。局長はいつでも九時三十分頃には局長室の扉のすぐ脇で待ち構えていて、僕に今日の分の仕事が入っている茶色いビニール袋を渡してくれる。スーパーなんかでもらうようなやわい袋じゃなくて、もっとしっかりとした本格的な袋で、僕はそれからその袋を持って午前中いっぱい町中を走り回らなければならない。僕はまだ若いから楽勝だけど、でっぷり太って顔にしわの寄った局長はバイクだの車だのを使わないと、とてもじゃないけど配達なんてできないだろう。左手には大事なビニール袋、右手にはこの町の細かい地名や番地が書かれた地図。僕には責任がある。同級生の誰も持ったことのない責任。同級生の中では僕だけが持っている責任を、僕は毎週土曜と日曜には果たさなくてはいけない。
局長は考えれば考えるほど変な人だ。あのおじさんに僕のような責任感が半分でもあるとはとても思えない。午前中の仕事を終えて僕が郵便局へと戻ると、局長は決まって局長室の油でべとべとする机の上でカップラーメンを忙しくかきこみながら、僕を相手にくだらない世間話やら家族や職場の愚痴をこれでもかとばかりにしゃべりまくる。ああ俺だって昔は君みたいに夏真っ盛りに町を一回りしても少しも疲れることがない、そんな体力だってあったんだ、だけどそれが今はどうだい、部下はみんな俺のことを体力のないデブとばかにするし、そのせいで俺は変に気を遣われてデスクワークに次ぐデスクワークを余儀なくされている、これじゃあ昔あれほど熱中した遊びもできやしない、なんて味気ない生活になっちまったもんだ、俺の若い頃はこんな感じじゃなかったんだけどなあ。
遊びってのはなんだかわかるかい、と局長は食べるのを中断して僕に聞いた。冗談じゃない、僕はそんなこと聞いちゃいないし、興味もない。本当ならはやく家に帰ってゲームをしたりネットをやったりしたいところだ。だけど局長の眼はきらきらと輝いている。この前図書館の本で、そんな状況で使う表現に出くわしたことがある。「少年のような眼の輝き」と言うんだそうだ。だけど僕の周りの友達には(僕も含め)そんな気持ちの悪い、少女漫画みたいな眼をした奴なんか一人もいない。そんなのは大人の考える都合のいい子供なんだと思うけど、大の大人にもそんな眼をする奴がいるんだ、と僕にはちょっと意外だった。
君はこの町中の人に手紙を届けているだろう、でもただ手紙を届けるために町を歩いているだけじゃ退屈で仕方がない、そこでちょっとした退屈しのぎに探偵ごっこってのをやってみるんだ、君は「名探偵コナン」とか見るだろう、見たことない?、まあどちらにせよ名探偵ってのはかっこいいもんだ、だからそのビニール袋に入っている手紙をポストに投函する前に外からまじまじと観察してみて、それだけでその手紙の送り主や受取人の細かいところを推理したり、想像したりするのさ。
正直、それを聞いてちょっと気持ちが悪いと思った。こんな平凡で太った“おっさん”がそんなことを言っているというのがさらに気持ちが悪かった。盗撮や盗聴をしたりする人達、犯罪者、ストーカーといった人達だってそういうことをすると思った。第一こんな小汚い“おっさん”がいくら自分を「名探偵」だって言い張ったところで、それでどうにかなるってものじゃない。いくら「名探偵」って言葉がついていても、小汚いおっさんは小汚いおっさんでしかない。小汚いおっさんがそんなかっこいいものに憧れているっていうのは、それだけで少しおかしなことだ。
だけど僕は違う。僕は局長のような小汚いおっさんではないし、デブでもないし、嫌な匂いを体からまき散らせてもいない。だからもしかしたら、僕が局長の言う「ちょっとした退屈しのぎ」をしてみたら、局長がやるよりももっともっと面白くて知的な素晴らしい楽しみを見つけられるかもしれない。
結果を言うと、僕は間違っていなかったということになる。僕はそれから土日になると、仕事をするためじゃなく一人の立派な「私立探偵」として活動するために郵便局へと通うようになった。
はじめに駅前の交番にいるお巡りさんについて話したけど、その人の家は交番から10分もかからない場所にあって、何回か封筒を届けたことがある。どんな内容の手紙が入っていたのかはわからないけど、ピンク色の封筒に緑色のペンで葉っぱが書いてあったから、これはたぶんお巡りさんの娘さんが中学生か高校生で、仲のいいお友達から文通の手紙が来たということなのだろう(今はみんなiPhoneなんかを使っているけど、この前テレビで今文通が静かなブームになっているということを知って、確信を持った)。それ以上詳しい詮索はできなかったけど、ポストのある位置からはお巡りさんの家の裏庭が少しだけ見えるようになっていて、そこにはきれいな柄のバスタオルやら女性が着るカラフルで裾の長い服なんかがよく引っかかっている。
そして高架下の食堂でいつもどんぶりを運んでいるあのおばさん。あのおばさんはどうにかして自分を貧乏にみせようとしているけど、汗をたくさんかいていても僕の眼はごまかせない。おばさんの家は食堂のすぐ脇にあるけど、いつもそこへ届ける封筒には「なになに弁護士会」だの「なになに司法書士」だの、堅苦しい文字がたくさん書いてある。あの人は弁護士や司法書士に何を相談しているんだろう。少なくとも僕の父や母がそんな人達と話をしているのを見たことはないし、おばさんは僕達一家にはない特殊な事情の持ち主かもしれない。そういえばこの前届けた大きな袋には金色の書体でなんだか僕にも読めないような文字が書かれていて、ぷっくりと膨らんでいて重たかった。もしかしたらお金の束が入っていたのかもしれない。入っていたとしても不思議ではないし、とても厚みのある封筒だったから、中に入っている書類の重要性は相当のものだろう。
こうして僕は週末になると人を見る目を磨く。人を見る目というのはこれから一生に渡って大切なものになるはずだ。例えば僕の中学の担任はお人好しで、僕の友達にも毎日だまされてばかりだ。中学生だけじゃなく親戚や知らない人にまで騙されて、日頃散々な目に遭っているらしい(僕が直接知っているわけじゃないけど、同じクラスのそういう事情に詳しい女子の何人かが話をしているのを僕はこの前聞いてしまった)。そんな大人にならないためにも、僕はこうやって日々自分を磨き、頭を鍛え、洞察力を研ぎ澄まさなければならない。僕はさっきの二人だけじゃなく、自分に将来のための勉強を課すつもりで町中の人々の正体を突き止めるようにしようと心に決めた。だから僕は今ではこの町で起きているすべての事柄について詳しいし、この町一番の物知りだ。中学生だからといってばかにしていると、あとで“吠えづら”をかくことになる。
そんなこんなで僕はたくさんの情報を手に入れて、この町に住んでいる人々に関してはまるで博士のような知識を手に入れたわけだけれども、そんな僕がつい一月くらい前に出会ったのがあの沼地の家、そしてそこに住むあの二人(僕と同い年の子供ならお兄ちゃんやお姉ちゃんと呼ぶだろう、だけど僕は子供じゃない)だった。
それじゃあ僕がどういう風にあの二人がこの町にいることに気づき、どういう風にあの二人の正体を暴いていったのか、教えてあげることにしよう。とても難しい話だから、よく考えながら聞いて欲しい。
え、僕の名前は何かって。そんなこと君に言ったって、一体なにかいいことでもあるの。局長さんもすっかり忘れちゃってるみたいだし、それよりあの二人にばれたりしたら大変なことになるから、君にも言わないでおくよ。
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