第三十一話 不死者の哀咽(side:ルナエール)

 ルナエールの不調は治らず、彼女が小屋に帰る道中も、壁に化けていたグラトニーミミックの不意打ちにあって丸呑みにされていた。

 普段のルナエールなら絶対に避けられた攻撃であったが、今日の彼女はほぼ無抵抗であっさりと喰われてしまっていた。

 カナタを失った喪失感が、酷くルナエールを苦しめていた。


 ……もっともその直後、グラトニーミミックはルナエールの時空魔法によって身体を引き裂かれることになった。

 ルナエールは、瓦礫の山と化したグラトニーミミックを振り返ることもしない。


「……やはり、どうにも調子が出ませんね……はぁ」


 

 ルナエール小屋に戻ってから、しばらくずっとベッドの上で横になってぼうっとしていた。


「重傷ダナ」


 口煩い倉庫こと、ノーブルミミックが、ルナエールへと声を掛ける。

 いつも通りの軽薄そうな飄々とした態度ではあったが、ノーブルミミックなりに彼女の身を案じていた。


「……少し、体調が優れないだけです」


 ルナエールはそう言うが、最高位のリッチである彼女は、如何なる魔物や魔法の猛毒でさえ、その一切を受け付けない。

 体調不良とは無縁の存在であるはずだった。


「譫言デ、カナタ、カナタッテ言ッテタゼ」


 ノーブルミミックの言葉に、ルナエールが顔を赤くする。


「嘘です、そんなはずありません! そ、そうです、聞き間違えです! だ、だって、そんなこと、私は口にして……!」


「マ、嘘ナンダガナ」


 ルナエールが無言で指先をノーブルミミックへと向けた。

 ノーブルミミックが口を閉じ、身体を小さくした。


「……ソンナニ凹ムナラ、ココニイテクレッテ泣キツケバイイノニ」


「馬鹿なことを言わないでください。そんな酷いことが、できるわけがないじゃないですか。普通の……いつも通りに戻った、それだけのことですよ。すぐに、慣れます。私の時間は、長いですから」


「ジャア、付イテ行ケバ良カッタジャネェカ」


 ノーブルミミックの問いに、ルナエールは静かに首を振る。


「……外に出て、彼と旅することを夢見なかったかと言えば、嘘になるかもしれません。しかし、私は、この世界の理から外れた存在です。不死者になるというのはそういうことです。私はある意味で、既に死んでいるようなものですから。存在が知られるだけで、訪れた場所の倫理を狂わせてしまう」


 不死者となることを目的とした魔法組織や魔術師、権力者は、長い歴史で見れば決して珍しくない。

 姿は化け物と成り果て、知性まで失うことを覚悟しながら、それでもなお生にしがみつくことを選んだものもいる。

 ルナエールの様に、完全な形でリッチとなった者の存在は、知られただけで国を乱す原因にもなりかねない。

 権力者にとって、不老の肉体を得ることは、時に百万の民にも勝るのだ。


「外に出て上手くやっていけるとも到底思えませんし、人間が苦手なのも本当のことです。彼にとっても、こんな化け物がずっと横に付き纏うのは、決していいことではないでしょう」


「ソウカ……ソレダケ意志ガ固インジャ、何言ッテモ聞キソウニナイカ」


 ルナエールがぎゅっと毛布を掴み、自身の顔を隠すように被る。


「それに、彼は、約束してくれましたから。またいつか、ここを訪れてくれると……」


「ソウダナ……」


 ノーブルミミックは深く頷いた後、首を傾げる様に、身体を曲げた。


「イヤ、来ナイカモシレンナ」


「……な、何が言いたいのですか」


 ルナエールが毛布を退け、碧と真紅の瞳でノーブルミミックを睨みつける。


「短命種族ハ、心変ワリガ早イゾ。今ハ熱クナッテイテモ、五年モ経テバ薄レルダロウナ」


「……何を言い出すかと思えば、カナタは、そう言う人ではありません」


「仕方ノナイコトダト思ウゾ。向コウハセイゼイ、八十年ノ命デ、一度助ケタカラソレヲ覚エテ一生気ニ掛ケ続ケロトイウ方ガ無茶ダロ。外デモ、助ケ助ケラレナンテ、サホド珍シイ話デモアルマイ」


「そ、それは……で、でも、そんな……。カ、カナタは、私のこと好きだって言ってくれて、自分が傷つくのも厭わずに、抱擁だって……」


 ルナエールは顔を真っ赤にして目を大きく開き、落ち着かない様子でぱたぱたと腕を忙しなく動かす。


「今ハソウダロウガ……ココハ主シカイナカッタガ、外ニ出レバ主ヨリ器量ノ良イ女ナンテ珍シクナイゾ。ソノ上ニ、自身ト同ジ生身ノ人間。新シイ恋モ知ルダロウ」


「で、でも、でも……」


「ソモソモ主、ココカラ出ル気モ、カナタヲ置イテヤル気モナインダロ? 自分ノコト想イ続ケテ、タマニ会イニ来イッテ、カナリ無茶苦茶ダゾ」


 ノーブルミミックは身体を左右に揺らし、呆れた様に大きく息を吐き出した。


「…………」


「オレニ黙ッテアイツ追イ出シテタカラ、諦メテ忘レルコトニシタンダト思ッテタゾ。主ガソンナ都合良イ夢ヲ見テイタトハ、イヤハヤ……」


 ルナエールは完全に沈黙し、大きなオッドアイの瞳に涙を湛えて、毛布を強く掴んでいた。

 身体が小刻みに震えている。


「……悪イ、反応ガ可愛カッタカラ、ツイ言イ過ギタ」


 ルナエールはノーブルミミックへと指を向けた。

 魔法陣が展開され、ノーブルミックの周囲を黒い光が包み込んでいく。

 ノーブルミミックが必死に光から逃れようと走るが、黒い光の引力がそれを許さない。


「悪イ! 本当ニ悪イッテ!」


 ルナエールが腕を下げようとしたとき、ノーブルミミックが余計なことを口走った。


「デモ、カナタガ戻ッテ来ナイトハ思ッテルゾ」


時空魔法第十九階位|超重力爆弾《グラビバーン》」


 黒い光が、空間を巻き込んで暴縮していく。

 小屋のほぼ全体が、超重力に呑まれて吹き飛んだ。


「……時空魔法第十四階位|逆行的修復《リペアー》」


 崩れた小屋が、自身から積み重なって修復されていく。

 因果を遡り、壊れたものを元に戻すことができる魔法である。

 対象の破損具合によって必要魔力が増えるが、ルナエールにとっては大した量ではない。


 尤も、あまりに古すぎれば必要魔力が底なしに跳ね上がり、ルナエールの手に負えないこともある。

 呪いを帯びていたり、強い魔法現象の力を帯びたアイテムであれば修復不可能なこともあるためそこまで万能ではないが、便利な魔法である。


「死ヌカト思ッタゼ……マサカ、本気デ撃ツトハ。イヤ、オレモ悪カッタガ」


 ルナエールが一応手心を加えたため、ノーブルミミックは間一髪巻き込まれずに済んでいた。


「ノーブル……やっぱり、私も外に行くことにします」


「……ウン?」


 ノーブルミミックは聞いた言葉を疑った。

 ここに来て、ルナエールが自分の言葉を翻すとは思っていなかった。


 ノーブルミミックも、ルナエールとカナタの別れ際については、彼女の口から直接既に聞いていた。

 まさかあんなに綺麗に別れておいて、少し脅されただけで数日の内に後を追い掛けるなどと言い出すとは予想していなかった。


「イヤ、冥府ノ穢レガアルシ……ソレニ、人間モ苦手ナノダロウ? 倫理ノコトモアル。アマリ軽々シク決メナイ方ガ……」


「……前にカナタにも言いましたが、別に冥府の穢れを薄くする方法がないわけではありません。少し、準備に手間が掛かりますが」


「ア、アア、オレモ聞イテイタガ……」


「人間は苦手ですが……嫌いなものがどうかではなく、好きなもののために生き方を選ぶべきだと、幼き頃によく父様からも言われました。なので、いいのです。我慢します」


「切リ替ワリガ早クナイカ?」


「倫理は……大丈夫です、きっと……そう、その、私がバレなければ何の問題もないことです。隠し通してみせます」


「ソコハモウチョット考エルベキダロ!? 最重要問題ダゾ!?」


「わ、私を追い込んだのはノーブルではありませんか! でしたら、どうしろと言うのですか!」


「別ニ、否定シタイワケデハナイガ……ウウム……」


「こうしてはいられません、冥府の穢れを抑えるローブの製作に掛かることにします。急がないと、カナタが、カナタが他の女に……」


 ルナエールはぶつぶつと呟きながら、ベッドから起き上がって小屋の外へと出て行った。

 恐らく、素材の調達に向かったのだ。


 ノーブルミミックはその背をぼうっと眺めていた。


「ゴチャゴチャ言ワナイデ、最初カラ、ローブガ出来ルマデ待ッテモラエバ良カッタンジャ……」


 さすがのノーブルミミックも、直接それを口にする勇気はなかった。

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