第二十九話 コキュートスの出口

「いやいや、カナタ様もお人が悪い……ルナエール様のご友人だと教えてくだされば、我もすぐに杖を降ろしましたのに……」


 サタンが六つの腕を手揉みしながら言う。

 数秒前の威容は既になく、全身黒焦げになり、立派な角は焼け落ちていた。

 玉座は足場のクリスタル諸共消し飛んでいる。


「い、いえ、一方的に襲ってこられたもので、その……」


 あ、愛想がよくなり過ぎていて気持ちが悪い……。


 サタンは、魔法攻撃を受けた後もギリギリ生き残っていた。

 衝突での相殺と、杖の護りによる威力の軽減の結果だろう。


 あんまり必死に見逃してくれと懇願するもので、俺も戦意を削がれ、ルナエールからもらった回復薬を渡して命を繋いでやったのだ。

 どうやらルナエールのことも知っている様子であったし、サタンがいなくなるとこの《地獄の穴コキュートス》の魔物達が暴走を起こし、表の世界がとんでもないことになるらしい。


「しかし、本当に危なかったですよ。いえ、我がいなくなったら、ここの魔物共が奥の祭壇から一気に出ていきますからね。我のこととか、ルナエール様から聞きませんでしたか?」


「いえ、特には……」


 外へ繋がる出口がある、としか聞かされていない……。

 ルナエールからしてみれば、魔物が一体いて昔見逃した、程度の話でしかないのではなかろうか。

 ルナエールがここに訪れたのが何百年前なら、そもそもサタンのことなど記憶にも残らず忘れられている可能性も高い。


 ただ、ルナエールが《赤き竜アポカリプス》を知っていて俺に教えてくれたのは、以前サタンと接触したためだったのかもしれない。


「それでその、ルナエール様の遣いが、ここへは何の用で……? まさか、この杖ではありませんよね……?」


 サタンが、俺から遠ざける様に杖を持ち、非難がましい目で俺の方を見た。

 そ、そんなに大事なのか。


「い、いえ、別にそれに興味はありませんけど……」


 俺が言うと、サタンは安堵した様に息を吐く。

 そもそも、あんな大きな杖をもらって俺にどうしろというのか。


 俺は《異次元袋ディメンションポケット》より《アカシアの記憶書》を取り出し、ぱらぱらと捲ってみた。

 興味はなかったが、あまりに大事そうに抱えているので少し気になって来た。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【黙示録の黒杖】《価値:神話級》

魔法力:+3333

 《地獄の穴コキュートス》の王である証であり、この地獄を統べるために必要な力を持った杖。

 地獄に幽閉された魔物達も、その威容を前に服従する。

 二十階位を超える《神位・炎魔法》の発動を補佐すると同時に、本人の魔力を消耗して発動する対魔法障壁を展開することができる。

 また、持つ者に合わせてその大きさを変える。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


「あ、めっちゃ強い……」


 俺が呟くと、サタンがぎょっとした目で俺を見た。

 俺は無言で首を振った。


 しかし、《黙示録の黒杖》がかなり強力な杖であることは変わりない。

 恐らくここの魔物達を多対一で相手取ることに特化した性能になっている。

 《赤き竜アポカリプス》を筆頭に強力な炎魔法を振り回し、遠距離攻撃は杖の結界で弾くことができる。

 俺も一番伸ばしている魔法は炎魔法なので、強力な上位魔法を撃ちやすくなるのはかなりのメリットではある。


「……大きさ、変えられるのか」


 俺が呟くと、サタンは六つの腕で黙示録の黒杖を抱きしめた。


「だ、大丈夫ですよ、余計なことは考えていませんから」


「ほ、本当ですか? 本当ですよね?」


 ……この巨体から敬語を遣われると、どうにも居心地が悪い。


「そうですか……ルナエール様、まだ上で生きてるんですね、はあ……」


 サタンが首をもたげ、がっくりとしていた。

 過去によほどルナエールより一方的にやられたと見える。

 今回の戦いは、サタンに慢心がなければもう少しは長引いていたかもしれない。


 サタンは《黙示録の黒杖》の力で防ぐより、避けたり受け流したりすることに専念し、手数で勝負しながら俺の隙を探るべきだった。

 大層な翼がついていたので、そういう戦い方が取れないこともなかったはずだ。


『何を求めてここに来た? 不老不死の霊薬があるとでも伝わっていたか? 貴様らの信じる架空の神が、ここに救いがあると宣ったか? それとも、ただの探究欲求でここまで来たと、そうほざいて見せるか?』


 サタンはこう言っていた。

 ……恐らく、最後の一人がルナエールなのではなかろうか。

 彼女の実力であれば、奥に何があるのか確かめようと少し長い散歩気分でここまで降りてきて、サタンにちょっかいを掛けて帰ることも十分にあり得る。


「あれ、過去に一人として、自身に挑んでここを生きて出た人間はいないと……そう言っていませんでしたっけ?」


 俺の言葉に、サタンが少し黙った。


「……ルナエール様は《地獄の穴コキュートス》から出ていない」


 こ、言葉遊びじゃないか……。

 本当にルナエール以外には無敗だったのか?

 確かにここの魔物の中では強い方ではあったが、とても奥地まで来た冒険者達を退け続けられてきたとは、俺にはどうにも思えない。


「そ、それで、何を求めてここに……?」


 俺は無言で《黙示録の黒杖》を指で示した。

 サタンの顔が悲壮に歪んだ。


「う、嘘吐き! 別にいらないと言ったではありませんか! そんな殺生な! お願いします、これがないと、ここの魔物を抑え切れなくなるかもしれないんです! 本当に大変なことになるんです! 鬼! 悪魔!」


「す、すいません、ちょっとどんな反応をするか気になってしまって……悪ふざけが過ぎました」


 ……嘘吐きも悪魔もサタンのことだと思うのだが、深くは触れるまい。


「で、ではどうしてわざわざ、この《地獄の穴コキュートス》の最深部まで? 何か、重大な目的があったのでは?」


「師匠に……ルナエールさんに、下から行った方が外に出るには早いと言われたので……」


 サタンの目が点になった。

 それからばっと自身の背後を振り返り、酷く疲れた様に溜め息を吐いた。


「……奥の祭壇に、入口へ戻る専用の転移魔法陣が設置されています。案内しますので、二度と来ないでください……」


「は、はい……どうも、ご丁寧に」


 俺はとぼとぼと歩くサタンの後に続いた。

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