第二十二話 冥府の穢れ

 俺は右側に炎の球を、左側に水の球を浮かべていた。

 炎魔法第二階位|炎の球体《ファイアボール》と水魔法第二階位|水の球体《ウォーターボール》である。


「よ、よし、よし、維持ができている……」


 俺は根性でどうにか二つを維持する。

 《双心法》の修練である。

 初めてから五日目にして、ようやく《双心法》の片鱗を掴み始めていた。


 自分の顔が引き攣っているのを感じる。

 実際、これはかなりしんどい。


「形ニナッテル。ヤルジャン、カナタ」


 ノーブルミミックが俺の許へとやってきた。

 俺は維持するのに精いっぱいで、ノーブルミミックに返事をする余力がなかった。

 どうにか一秒でも長く続けて、感覚を身体に馴染ませておきたい。


「カナタ、ナァ、カナタ、オイ」


 ノーブルミミックがしつこく声を掛けて来る。

 俺の周囲をうろうろし始めた。

 む、無視だ無視。

 ノーブルミミックは構ってほしいのだろうが、今は本当に真剣なのだ。


「……一発ギャグ、蝶々結ビ」


 ノーブルミミックが長く舌を伸ばして、舌を蝶々結びにした。

 複雑に絡んでいるかと思えば、真っ直ぐ伸ばし直せば一気に解けていく。


「ぷふっ……」


 つい集中力が崩れ、炎と水の球体が二つとも破裂してしまった。

 ……手許で爆ぜたため、右手を火傷し、左側がびしょ濡れになってしまった。


「ワ、悪イ、カナタ。集中シテルトコ見ルト、ツイカラカイタクナッチマッテ……」


 こ、この、無駄に人間味に溢れたミミックめ……。

 俺はルナエールの置いてくれていた《神の血エーテル》を飲み干して、《双心法》の不快感を取り払うと共に、今の感覚を身体に馴染ませるように意識する。

 《神の血エーテル》には魔法センスを研ぎ澄ませる力もある。


「……怒ッタカ?」


「怒ってはいませんけど……まぁ、その、祝ってくれてありがとうございます」


 俺はぽんぽんと、ノーブルミミックの頭に手を置いた。


「どうせなら、宝箱さんより師匠に褒めて欲しかったですけど……」


 今、ルナエールは外に出ていた。

 薬の材料やら食材の調達に向かったらしい。

 要するに狩りである。


 ……俺も、そろそろ狩りに同行できるだろうか?

 いや、その頃には俺が出ていく頃か。


「ヘヘ、イイ奴ダナ、カナタ。次モヤッテイイカ?」


「次は師匠にチクりますね」


「ムグッ……」


 俺は深く息を吐く。

 《双心法》を掴み始めた。

 ……これは目標の強さに近づいたと同時に、ルナエールと別れる日が近づいたということでもある。


「……《双心法》をもう少し形にして……その後は、レベルさえ上げていけば外の魔術師と互角に戦っていけるようになりますかね?」


「アン?」


 俺の言葉に、ノーブルミミックが珍妙な声で返事をする。


「俺何か、変なこと言いましたか?」


「…………マ、マア、オレモ、外ノコトハ、アマリ知ランガ、大丈夫ジャナイカ」


 ノーブルミミックが言葉を濁すように言う。

 ……何か言いたげな様子だが、少し待ってもノーブルミミックが特に新しい話を切り出すことはなかった。


 何はともあれ、《双心法》のおかげで、魔法の精度もかなり上がるはずだ。

 魔法の並行発動より、少ない意識のリソースで正確に撃てることの方がありがたいかもしれない。

 そうなれば、鏡の悪魔狩りのレベル上げ効率もよくなるだろう。


 ……そろそろ、ここを出るときのことも考えなくてはいけないかもしれない。


「宝箱さんは、ここから出ないんですか? 外を見てみたいとかは……」


「特ニナイ。オレハココデ、魔物相手ニ喧嘩ヤッテ、飯探シテ彷徨ッテリャ、ソレデ幸セダカラナ。国ダノ街ダノ、興味ナドナイ」


 ……そこはちゃんと魔物っぽいんだな。

 いや、魔物というか、ここでの生活を思い返すと、ルナエールに放し飼いされている犬のようなイメージの方が近いかもしれないが。


「ソレニココニハ、主モイルカラナ。主ミタイナ美人ハ、外ジャ見ツカラネエゼ。オマエノ世界ニモイナカッタロ?」


 ノーブルミミックがシシシと笑う。

 無駄に俗っぽい奴め……、

 ミミックの雌とかは見つけないんだろうか。


「……マ、カナタガ寂シイナラ、ツイテッテヤランデモナイト、ソウイウ気ハアルガナ。他ノ人間ガ何スルノカハドウデモイイガ、オマエトハ縁ガアルシ、カラカイ甲斐ガアル」


「…………」


 少し含みのある言い方だったので、俺は沈黙して次の言葉を待っていた。


「デモ……主ガ、イルカラナ。悪イガ、主ノ方ガ、オマエヨリカラカイ甲斐ガアルンデ、ココヲ出ル気ハナイ」


「宝箱さん……」


 普段茶化した態度ばかり取っているが、ノーブルミミックは彼なりにルナエールのことを考えているようであった。


「その……師匠は、どうして外に出ないんですか?」


 ……ルナエールが俺の来訪を喜んでくれている、というのは、きっと俺の勝手な勘違いだけではないだろう。

 彼女はきっと、人寂しいのだ。

 本人は否定するし……それに、俺がこの《地獄の穴コキュートス》に長居するべきではないと、そう考えているようではあるが。


 ノーブルミミックは少し黙っていた。

 聞けそうにない。

 聞いてはいけないことだったのかもしれない。


「……余計なことを、聞いてしまったみたいですね。師匠に、修行の過程を報告して来ようと思います」


「オーラ、ダ」


 俺がその場から立とうとすると、ノーブルミミックが口を開いた。


「オーラ?」


「アア、ソウダ。主ハ、禁魔法ヲ幾ツモ重ネ、強引ニソノ身体ヲ蘇生シタ」


 禁魔法を、強引に重ねて蘇生した……。


「それは、《ウロボロスの輪》とは違うんですか?」


「全ク違ウ。当時ハ、トンデモアイテムモ、神位魔法モ、何モ持ッテイナカッタラシイカラナ。ソレニ、アノ蛇指輪デモ、死者ヲ蘇ラセルコトハデキナイ。装備者ヲ死ノ縁デ助ケテイルダケダ。死ンデカラ時間ガ経テバ経ツホド、死者ノ肉ハ腐敗シ、ソノ血ハ毒トナル。魂ハ穢レ、魔力ハ淀ム。コノ世ノ者カラ遠ザカルノダ」


「師匠も、そうだと……?」


「ソウダ。仮ニ主ガ人間ト抱キ合エバ、相手ハ苦渋ノ果テニ朽チルデアロウ。不死者トハ、死カラ最モ遠イトコロニ立チナガラ、ソノ本質ハ死、ソノモノデアルノダ」


 ……そういえば、師匠は俺の手を引くときも、慎重に袖を引っ張っていた。

 単に恥ずかしがり屋なのかと考えていたが、直接触れることを避けるためだったのかもしれない。


「故ニ、生物ハ本能デ恐レルノダ。無知ノ赤子サエ死ヲ恐レルヨウニ、冥府ノ穢レヲ纏ッタ不死者ヲ忌ミ嫌ウ」


 最初に会ったときのことを思い出した。

 確かに俺も……ルナエールに最初会ったとき、襲ってきた魔物よりも、助けてくれた彼女の方が怖かった。

 極限の状態であったし、命の恩人であったから、その恐怖も一緒に暮らす内に感じなくなっていたが。


「異世界カラ来タト、ソウ言ッテイタナ。死者ノ穢レト無縁ノ世界カラ来タノデアレバ、コノ世界ニ生マレ落チタ者ヨリ鈍イノカモシレナイ。何ニセヨ、オマエガ思ッテイルヨリモズット、主ハオマエノ反応ニ喜ンデイタハズダ」


 ……そういえば今思えば、出会った当初、異様に早く俺の前から立ち去ろうとしていたように思える。

 冥府の穢れとやらを気にしてのことだったのかもしれない。

 だからルナエールは、この《地獄の穴コキュートス》に引きこもっているのか。


 ……本当に俺は、このままここを出て行ってしまっていいのだろうか?


「勝手なことばかり言わないでください」


 いつの間にか、小屋の中にルナエールが立っていた。

 ノーブルミミックも気が付いていなかったらしく、びくっと身体を震わせていた。


「別に私に纏わりつく穢れなど、抑えようと思えば手段はいくらでもあります。ノーブル、あまり私を知ったように語らないでください」


 ノーブルミミックが、しゅんと小さくなる。


「で、でも、じゃあ、どうして……」


 俺の問いに対し、ルナエールが不機嫌そうに眉を顰める。


「私が、人間を嫌いだからですよ。何度もそう説明したはずです」


 ルナエールが冷たく言い放った。

 その言葉に、俺は咄嗟に返す言葉が出て来ず、ただ立っていることしかできなかった。

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