第3話 ヘザーの溜息

「どう思う?」

 馭者に行き先を告げ、出発して少し経つと、マーサがジルに尋ねた。

「わかりません」

 正直に答える。妖精の生態でも、初めて聞くようなことばかりだった。

「そうよね。でも、少し考えてみましょう。事の発端は何だったかしら?」

「ええっと……確かエドワードが、不審者の相談に来た市民のお話を聞いていて……」

「そう。発端は不審者ね。エドは今月の分だけ調べてくれたけど、遡ったら、不審者を見かけた場所で怪我をした妖精が発見された、というケースは他にもあるかもしれないわ」

「マーサは、その不審者が密猟者だと考えていますか?」

「わからない。でも、可能性は高いわよね? どう思う?」

「不審者は大人なのでしょうか?」

 ジルが疑問を呈すると、マーサは片目をつぶって見せる。

「良いところに気付いたわね。体格の良い子供なんていくらでもいるし、そう言う子供が、妖精に怪我をさせてしまった、と言う可能性はあるわ。確かに、多少体格が良くても、大人と子供の区別は付きます。けれど、遠目で、背が高いのを見て大人だと思い込んでしまえばね」

「ですが、毎回同一人物なのでしょうか?」

「それも問題よね。体格の良い子供が複数いたとして、五件全てがそう言う子なのかしら? 子供であれば同一人物ね。大人なら、別人の可能性はある」

「では、仮に子供だったとして、何故その子は毎回妖精の怪我の現場に居合わせるのでしょうか? 一度怪我をさせたことを謝りたい、とか?」

「それだと、善悪の区別はついているわよね?」

「あっ……そうでした。善悪の区別が付かない、無邪気で、でも捕まえる気のない人が毎回妖精の怪我に居合わせる理由……」

「ありそうでないわね」

「はい……」

「これが密猟者なら、理由は思いつくけど、会えるかどうかってところなのよね」

「あちらを立てればこちらが立たず、ですね……」

「『捕まえるかどうかは、会ってから考える』……これが本当に可能な人間がいるのか……」

 マーサは顎に手を当てた。

「まあ、良いでしょう。とにかく、アレンビーさんにお会いしてから検討することにしましょう」


 ヘザー・アレンビーは、妖精保護団体の一員だった。グルーバー博士の紹介であることを知ると、彼女は嬉しそうに笑顔を見せ、

「グルーバー博士が私を紹介してくれるなんて。嬉しい。ヘザー・アレンビーです。どうぞ、ヘザーと呼んでください」

「審問官のマーサ・キャロラインです」

「同じく、ジル・ハドソンです」

「マーサ、ジル、とお呼びして良いですか?」

「構いません」

 マーサは頷きながらジルを見る。ジルもこっくりと頷いて、

「私も構いません。どうぞジルと呼んでください、ヘザー」

 応接室に通される。お茶とお菓子が出された。

「紹介状を拝見しました。妖精の密猟者について聞きたいと言うことで……」

「これは捜査事項なのですが……」

 マーサは簡単に、不審者が目撃されたところで発見される、怪我をした妖精の話をした。グルーバー博士のところで聞いた、「自分を騙す密猟者」の話も。

「と、言うことで、密猟者の線が浮上したので、こうしてお邪魔した次第です。まずは、妖精の密猟について教えて頂けないでしょうか? そもそも、妖精の密猟と言うのは可能なのですか?」

「可能です」

 ヘザーは頷いた。

「可能ですが、捕まえられた妖精というものは長生きしません。そもそも、妖精は何を食べるかもわかっていないんです。グルーバー博士は『無邪気さを食べる』と言いますが……それは人間が用意しようとしてできるものではありません」

「では、妖精は……」

「駄目なんですよ。彼ら、人間が与えた食べ物なんか食べないんです。だから、その内衰弱死してしまう」

 マーサもジルも、二の句が継げなかった。

「物珍しいからペットにしようと思う人間は後を絶たない」

 ヘザーははっきりと言った。首を横に振り、

「ひどいもんです。飛べないように羽をむしったり、羽をめでたい人のためには切り込みを入れたりして飛べないように……酷いと脚を切り落とすこともあるようですよ」

「なんですって?」

 マーサが眉を上げた。ジルも、不快感を顔に出していただろう。ヘザーは二人の顔を見て、痛ましげに表情を歪めた。

「とは言え、妖精の密猟者や、密売人というのは少ないんですよ」

「そうでしょうね。グルーバー博士に教えて頂きました。妖精に会う条件について」

「そうなんです。密猟をするのは大人です。子供に頼んだとしても、捕まえようとする限り妖精は現れません」

 彼女は首を横に振る。

「けれど……密猟者は後を絶たない?」

 ジルが尋ねると、ヘザーは頷いた。渋い顔だ。

「時代によって多少の変動はありますが、いつの時代にも、妖精を捕まえて売りさばこうとする人間はいます。買おうとする人間も同じ事です。買う方にも、売る方にも同じ罪があります」

「それは、いつの時代にも、妖精を捕まえるつもりでいながら、妖精に会える人がいる、と言うことですよね? グルーバー博士は、自分を騙せる大人なら、『捕まえるかどうかは会ってから考える』と思える人間なら可能だとおっしゃっていましたが……これはどう言う意味でしょうか?」

「妖精の密売をしようとする人間の多くは、罪悪感が欠如しています。嘘をついても言動に表れにくい。自分が損するなら、最初から捕まえようとは思わないかもしれません。彼らに共通するものの考え方は、『自分がいかにして得をするか』なんです」

「それはつまり……『得にならないから捕まえるつもりで行くのはやめよう』と、そう言うことですか? そんなことが可能ですか?」

「私には無理です」

 ヘザーはため息を吐いた。

「ええ、私には無理です。彼らを保護したい、安全な所でかくまってあげたい。そう思っていても、それは彼らにとっては『捕まえる』ことに他なりません。なおかつ、私たちはそれを『善』だと思っています。私たちは善悪の区別をつけ……善であると信じて彼らを捕まえようとする。それは、妖精たちを遠ざける結果になっているのでしょうね」

「そんな……あなたたちは、彼らの為を思っているのに……」

「こちらの善があちらの善とは限らないわよ、ジル」

 マーサが口を挟んだ。ジルはびっくりして隣を見る。ヘザーの前でそんなことを言うなんて!

「マーサ! そんなことを……」

「いいえ、ジル。マーサの言うとおりです。私たちは、自分たちのやることを『善い行い』だと思っています。けれど、善悪の区別を疎む妖精たちにとって……それは決して良いものではないのでしょうね」

「ですが……」

「ふふ」

 ヘザーはジルが眉を下げるのを見て小さく笑った。

「ありがとう、ジル。あなたが、私たちの仕事を評価してくださること、感謝いたします。あまり収穫の多くない行いですから、無駄と言う人もいますしね」

「無駄だなんて。妖精の密猟など、あって良いことではありません」

「そう。仰るとおりです」

 彼女は少し寂しそうに笑った。

「けれど、目覚ましい成果を上げられない私たちを笑う人もいるのですよ」

 ジルには、それ以上何も言えなかった。大事な仕事の筈なのに……どうしてヘザーたちの仕事は評価されにくいのだろう。新聞に報じられるほどの成果を上げていないから? 異端審問官のように罪人を捕まえることができないから? 妖精に会うことができないから?

「マークしている人間のリストをお持ちではありませんか?」

 沈黙を破ったのはマーサだった。「仕事」の話に戻す。

「前科者のリストと併せて審問します」

「あります。今、お持ちしますね」

 ヘザーが席を立つ。ジルはちらりとマーサを見た。マーサはジルの方を見もしないで、

「いいこと、ジル。善行と言うのは、かならず世界に安寧と平和をもたらすものではありませんよ」

「ど、どう言うことでしょうか……」

 そうでなければ何が善だと言うのか。

「良いことだけが起こる行いと言うのはありません。ヘザーはそれをちゃんとわかっています」

「マーサ……」

 何故あなたは私の言うことを否定ばかりするんですか、と聞きたい気持ちが喉までせり上がる。

「でも、彼女たちの仕事は評価されるべきです」

「それはその通りだと私も思うわ」

 マーサは頷いた。ジルはそれ以上、何も言えなかった。ヘザーがリストを持ってくるまで、二人の間には沈黙がちょこんと座っていた。

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