異端審問官マーサ

目箒

妖精を売る男

第1話 怪我した妖精

 第八異端審問所の審問七課は、殺人の異端を苛烈に追求する一課と違い、市民の相談を最初に受ける課である。故に、彼女たちの朝は、順番待ちをしている市民を相談室に案内して話を聞くことから始まる。だが、仕事が始まる前のルーチンについては、課の中でいくつかにわかれた班によって異なった。二班の朝は、一杯の紅茶で始まる。

「今日は、待合の人が多い気がしませんか?」

 先日こちらに配属された、ジル・ハドソン六級審問官(※1)が誰にともなく呟く。長い茶髪をリボンでまとめながら。よりも先に来て、紅茶の準備をしていたエドワード・オズボーン五級審問官が全員の席にカップを置き、

「俺もそう思った。何かあったのかな」

 怪訝そうな顔をする。普段は黒色に見える彼の髪の毛は、陽の光に当たると本来は紺色であることがわかる。

「毎朝どうも。何かあったにしちゃあ、人数が少ないと思うぜ。そんな大事件があるんだったら、もっとヒステリックに詰め寄ってくれなきゃ! 『審問所は一体何をしてるんですかーッ! キエーッ!』ってさ。そうでなきゃ何も面白くねぇ」

「不謹慎だぞ、ロイ」

 エドワードにたしなめられるのは、ロイ・サンダース七級審問官。この中では一番の若手である。あまり堅苦しいところはなく、ピンクがかった赤毛の印象で明るく見えるが、同時に軽薄な印象も与える青年だ。エドワードの紅茶を毎朝真っ先に飲むのも彼である。

「エドワード、ありがとうございます」

「召し上がれ。今日は総出だな。ああ、マーサ。あなたは出なくて結構ですよ」

「……そうね」

 ティーカップを口に運びながら、この部屋の主にして班長、マーサ・キャロライン四級審問官が応じた。

「そうさせて頂くわ」

「サインしてもらう書類はたくさんありますからね。暇にはならないと思います」

「まあ、暇なら暇で楽しんでれば?」

 ロイがクッキーをかじりながら言う。ジルは……なんと声を掛けたら良いかわからずに押し黙っていた。

 マーサ・キャロラインは強烈な女性である。年齢は四十二歳。短い髪はくすんだ金色、瞳は鋭いアイスブルー。身長は百六十に届くかどうか。見た目だけなら、どこにでもいる中年女性だが、かなり苛烈な性格をしている。市民の悩み事の応対が主な仕事であるこの課においても、異端の匂いを嗅ぎつければ即座に審問開始。その裏に潜む事件を暴き出し、異端を追い詰め、裁きの場に引きずり出す。

 審問官としてはまことに正しい行いである。まことに正しいが、その過程で、苛烈な性格が災いすることも多い。市民や同僚との衝突が多いのである。ジルは、マーサの相棒として配属になったが、聞くところによれば、マーサの相棒と言うのは頻繁に変わっているそうだ。不安しかなく、先日起こった「妖精詐称事件」でも、マーサと自分の間にある深い溝を実感して落ち込んでいるところだ。

 であるからして、審問七課に数人いる班長の一人であるにも関わらず、マーサは相談業務に就かない。これは第八審問所の暗黙の了解である。マーサ本人は、異端の糸口は相談から、と思っているので相談業務に就きたがっている向きはあるのだが……エドワードにぴしゃりと申し渡されるとそれ以上は逆らわない。

「何か不審なことがあったら教えて頂戴」

「それはいつものように。さ、皆行こう」

 エドワードが手を叩くと、ジルとロイはカップを置いて、彼に続いて部屋を出て行った。

 ジルはドアを閉める前にちらっと振り返る。どこかむすっとした表情のマーサが、斜め下を見つめながら紅茶をすすっていた。


 午前一杯掛かって相談業務を終えた。ジルは、妻と同居の母が毎日喧嘩している、なんとかして欲しいと嘆く男性の愚痴をひたすら聞いた。結婚していないジルにはなんとも言えないが、暴行などはまだ発生していないと言うことで、

「あなたが二人の仲介をしたら良いのではないでしょうか。何か言う前にこらえてくれと」

「老いた母に我慢させるなんて……!」

 結婚していないジルにもピンと来た。この男、妻より母の方が大事なのだ。だがそのことは指摘せず、

「ですが、仮に我々審問官が介入するとしても、お母様にも奥様にも、多少の我慢は必要、と。そう言わざるを得ませんよ」

 人間関係は異端審問で解決するものではない。異端審問官ではどうにもできない、それは個人同士の問題である。もし暴力などが発生した場合はまた来て欲しい、ということを告げると、頭が冷えたのだろうか、しょんぼりしながらその男性は帰った。

(結婚って大変そうですね……)

 マーサは? マーサは結婚しているのだろうか。あるいは、結婚歴があるのだろうか。少し気になった。


 中にはもちろん異端に関する相談事もあるが、八割は愚痴だ。赤毛のロイはこの愚痴をさばくのが大変に上手い。部屋に戻ると、一番多く相談記録を抱えているのは、やはりロイであった。

「いやー、今日も面白い話いっぱい聞けたねぇ。男と女に二股掛けてたらバレてその二人が恋仲になったとか、異端でもなんでもねぇよ身から出た錆だ!」

 手を叩いて大笑いしている。

「あなたは何て答えたの?」

 書類にサインをしながらマーサが尋ねた。ロイは肩を竦めて、

「司祭に相談しろって言ったよ。もし殴られたり、身の危険を感じたりした時は力になるって言っといた。ただ、二股掛けられた者同士はそいつのことなんてもう眼中にないんだよな。可哀想だけど、異端審問官の仕事じゃねぇんだよ」

「そうね」

 マーサは首を横に振った。そこに、エドワードが怪訝そうな顔で戻って来る。

「おい、どうしたよ相棒」

 ロイが紅茶を淹れ直しながら尋ねると、

「いや、今の相談者、不審者のことで相談に来ていたんだが……その不審者がいた所で、怪我をした妖精を見つけたって言うんだ」

「その話だったら、この前、私も聞きましたよ。物音がするから、見に行ったら妖精が怪我してたって。羽が取れ掛かっていたそうです」

 ジルも、類似の相談内容を思い出した。妖精が見える、ということをひどく懐かしく感じたものだ。

「何で? 盛りがついてんの?」

 ロイがクッキーをぼりぼり咀嚼しながら首を傾げた。

「エド、私も最近その話を聞くの。この審問所で何件目かしら?」

「ちょっと待っててください。記録を見てきます」

 エドワードも引っかかりを覚えていたのだろう。眉間に皺を寄せたまま、紺色の短い髪をがりがりと掻きむしりながら部屋を出て行く。

「子供の頃は妖精も見えたんだけどな。大人になってからは見えなくなったよ。ジルはどうだ?」

 ロイがクッキーを更に出してテーブルの真ん中に置いた。

「私ですか? 私は、うんと小さな頃は見えていたみたいですよ。だけど、他の子たちよりも早く見えなくなっていました」

「そうなのか。ジルって善良そうだから妖精の方から寄ってきそうだと思ったんだけどな」

「人間と妖精で善悪の基準は違うと思うわよ」

 マーサがつまらなさそうに言う。どう言う意味だろう。ジルがその言葉の意味を深読みするよりも早く、エドワードが戻って来た。

「マーサ、ちょっとおかしいですよ。今月で五件目です。その内三件は、不審者絡み。何かありますよ」

「多いわね。ふむ……」

 マーサは顎に手を当てた。その眼光は既に鋭く、これを「事件」であると認定している様だった。その鋭い目が、ジルを見た。

「調べましょう。エドはロイと一緒に聴取記録をまとめて。ジル、行くわよ」

「は、はい」

 マーサは立ち上がり、つかつかと部屋の扉に向かう。その前に立っていたエドワードはどきながら、

「ああ、マーサ、どこに行かれます?」

「まずはドロシーに、妖精のことを聞いてみようと思うの」

「じゃあ、先に行っててください。自分はちょっとジルに聞きたいことが」

「わかったわ。ジル、ラボで待ってるわ」

 特にエドワードを問い詰めることもせず、マーサはあっさりと部屋を出て行った。ジルは困惑してエドワードを見る。

「何でしょうか?」

「ジル、マーサとやって行けそうか?」

「た、多分大丈夫だと思います」

 エドワードは痛ましそうな顔になり、

「君の前任は、マーサと喧嘩してコンビを解消しているんだ。マーサも悪い人じゃないんだが……いかんせん評価されない期間が長くてね。人に対して心を閉ざしがちなところがある。だが、それは君とは関係ない。もし、仕事を続ける上で辛いようなら言ってくれ。異動続きになってしまうとは思うが、上に掛け合ってみる」

「ま、あのおばちゃん、ちょいと考え足らずなところがあるからね。こっちも何も考えないで喋るくらいが丁度良いぜ」

 呑気に口を挟むロイ。エドワードは肩を竦めて、

「皆が皆、お前みたいに神経太くないんだよ」

「エドはどうなんだよ」

「俺は慣れた」

「ほんとか?」

「あ、あの、エドワード、その、お気遣いありがとうございます」

 ロイがにやにやしているのを横に、ジルは笑顔を見せた。

「いつでも相談してくれ」

「はい、そうします。失礼します」

 ジルは逃げるように部屋を出た。


 マーサのことをどう思っているかと言うと、もちろん「苦手」だ。どう話しかけたら良いかわからない。こちらが最大限の礼を尽くしたとしても、マーサはにこりともしてくれない。仕事だから、と言われてしまうとそれまでだが、もう少し笑顔が欲しい。もう少し好意を見せて欲しい。マーサの変わらない態度が、ジルには少々堪えていた。

(自分よりすごい人と『ともだち』になろうとする人はあまりいないんですよ)

 先日、妖精を騙る悪魔にたぶらかされた少女に掛けた言葉だ。

 恐らく……マーサはジルと必要以上に親しくするつもりはないだろう。

(逆に、私が割り切った方が良いのかもしれない……)

 重いため息を吐きながら、彼女は廊下を歩いた。


※作者註

(1)審問官の階級は7段階に分かれており、一番上が1級、一番下が7級である。ジルの6級は日本警察の巡査部長に相当する。4級のマーサが警部、エドワードが警部補、7級ロイが巡査にあたる。

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