第10話 「僕は高価いよ」
「失礼、相席構いませんか?」
張りのあるやや低めの声が耳に届く。
どうぞ、とGは素気なく答えた。
夕食のために入った店は、どうやら繁盛しているようで、店構えの規模の割には、人の出入りが多い。
よほど味で保っていると思われる。
素朴な木のテーブルは四人掛けで、そうたくさん置かれてはいない。
それも家族連れが陣取っているのが殆どである。
一人で食事に来る彼のような者が珍しいらしく、相席も当然、という雰囲気が一目で見てとれた。
Gの前に座った男は、彼と同じ黒い髪を長く伸ばし、同じくらいか、多少歳上に見える。
彼とは別の意味で目を引くタイプだった。
東洋の血が濃いらしく、切れ長の同じ色の瞳が独特の雰囲気を醸し出していた。
ぼんやりとその容姿を観察していたら、男の方が切り出してきた。
「東洋系は珍しいですか?」
「あ、いえ。特にそういう訳では」
そういう訳ではない。
確かに旧東洋系は珍しいが、彼にはもっと希少性のある血が混じっていたから。
彼にとって、帝立大学で音楽を学ぶことは、当初はささやかな一族への反抗であり、彼の属している世界からの逃走であったと記憶している。
現在においてまでも、そこから削除されていない以上、特権階級の「一族」に属する彼は、その様に幼い頃から教育されてきた――筈だ。
教養だけではなく、その態度・物腰、目下の者に対する考え方・接し方…… 息をすることすらそれに相応しくあることを強要された。
疑いは持たなかった、と思う。
音楽に接するまでは。
音楽は当初、ただの教養の一つだったはずだった。
それは、人前で演奏して恥ずかしくない程度の技術が身につけば充分の筈。
だがそこで番狂わせが起こったらしい。
彼にとってはそれだけのものでは留まらなかったのだ。
ただ幸運なことに、それは一族には知られなかったようである。
彼もまた、知られることを恐れた記憶がある。
そして、その階級の子女がその年齢になれば、よほどの愚鈍でない限りそうするように、彼もまた、帝都本星にある最高学府へ進学した。
当初は一族の意向の通り、政治・経済を専攻したはずなのだが、やがてそこから彼は音楽へ転向した――はず。
抜き打ちだった。
一族は驚愕したようである。
だが一度転向した学科を二度変更することは、学府からの退学を意味する。
それは「一族」にとって不名誉なことだったから、彼の行動は見て見ぬふりをされたようである。
そして彼はその時点で、一族の意識の中から抹殺されたはずだ。
だがそれからのことは、見て見ぬふりではなく、本当に「一族」の預かり知らぬところのものとなる。
音楽専攻は「MM」のうずまく場所だった。
学生だけではない。
教授・助教授・助手に渡って、至るところに反帝国組織「MM」の下部構成員の誰かが紛れ込んでいる。
彼らは無理な勧誘を好まなかった。
それは組織的な美学に反するのだ。
そのただならぬ雰囲気を察知する、同じにおいを本能でかぎつける同族だけに誘いをかけていたのだ。
そして彼は職業テロリストになった。
「ここへは休暇で?」
男は簡単に訊ね――― そして彼もまた簡単に答えた。
「いえ、仕事です」
「それは大変ですね」
全くだ、と彼は思う。
一体どの行動を「仕事」と名付ければいいのか判らないが、いずれにせよ仕事であることには変わりはない。
目の前の男は優雅な手つきで注文したワインを飲み干す。
実に自然なその動きが、何となしGの神経をとがらせた。
判ってはいる。
この惑星は、この都市はそういう人間達ばかりの所なのだ。
自分の所属していた――― 自分に多大に影響を与えている階級への憎悪が、彼をその反帝国組織へ走らせていた。
その感情は、彼にとって自分自身を必要以上走らせる武器にもなれば、弱点にもなり得た。
今現在の自分にとって、それが弱点になることを彼は感じていた。
気をつけろ、と自分自身に警告する。
そして深く突き刺したミートボールを口の中で激しくかみ砕いた。
「なかなかいい食べっぷりをなさる」
「若いですからね」
「それはいい事だ」
軽く男の口元が緩む。
おや、と彼はその表情の変化に気付く。
こういう表情には見覚えがある。
彼の中に一つの考えが浮かぶ。
気持ちを切り替えれば、表情を変えることすらたやすい。
「でも大変ですよ。今日なんか、アルバイト先をクビになってしまいましてね。このままじゃあ帰ることさえままならない。宿なしですよ」
「そうなのかい」
彼の口元が微妙に上がる。
ほんの僅かな変化だったが、それは明らかに媚態を含んでいた。
「もし良ければ、一夜の宿を提供するが?」
それは予期された台詞だ。
そして彼はそれに対し、相応の台詞を返す。
「僕は高価いよ」
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