Part.6 Diagonistic Dyspraxia: Your left hand will be against the right.(4)


           4



 さあ、帰ろう!


 翌朝わたし達は、ラグが 《REDレッド・ MOONムーン》 の管制コンピューターに新しい軌道プログラムを入力し終えるのを、出発の仕度を整えて待っていた。ライムは玩具を楽しみにしている子どものように、蒼い瞳をきらめかせている。

 わたし達のしたことがばれれば、ポート(宇宙港)は閉鎖されてしまう。だから、周回軌道を廻っている 《DONドン・ SPICERスパイサー》 号と 《VOYAGERボイジャー-E・L・U・O・Y》 号へは、空間転位テレポーテイションで行くことになった。ライムがわたし達を、史織がラグ達を運んでくれるという。


「《AONVARRアンヴァル》 で落ち合えばいいんだな?」


 確認するルネの声は、ちょっと緊張していた。ミッキーがわたしの肩を抱く。


「行くぞ」


 ラグが低く言って最後のキーを押す。すぐに警報が鳴るようなことはなく、警備員が踏み込んでくることもなかった。

 まるでスパイ映画だ。わたしとライムはドキドキしながら、お互いの顔を見た。

 ラグが椅子を蹴って立ち上がる。


「行け、Lady」

「うん!」


 ライムはルネとわたしの腕を抱きかかえ、元気いっぱい頷いた。――


 ――わたしは 《ドン・スパイサー》 号のコクピットで、あやうく前につんのめりそうになった。ミッキーがぐいと腕を引いて立たせてくれる。


「呆けているヒマはない。さっさと座れ!」


 ルネの切り替えは速い。彼はパイロット・シートに座り、ダーク・グリーンのゴーグルをかぶった。船がまたたく間に息づき始める。ミッキーは無駄のない身のこなしで、通信士用のシートに座った。

 ライムが片手を口元にあて、とぼけた調子で言う。


「あ。鷹弘ちゃんを置いて来ちゃったわ」

「あいつならラグと一緒だ。心配することないよ」

「おいでなすったぜ」


 ルネは歌うように言って、ぺろりと唇を舐めた。白い牙が覗く。

 サイド・スクリーンに、地球連邦のものだろう、見覚えのある緑色の巡視艇が現れた。一隻、二隻、《レッド・ムーン》から追ってくる。

 わたしとライムは予備シートに並んで座り、ベルトを締めた。ライムはまだ心配そうだ。


「ラグはちゃんと出て来られたかしら」

「おっさんなら大丈夫だ」


 停船を要求する巡視艇からの通信が、かすかに聞えた。ルネは無視して船を加速させ、エンジンの振動がシートに伝わった。ゴーグル越しに虹色に輝く瞳がわたし達を一瞥する。


「キメラ野郎の能力は、ライ、お前が一番良く知っているだろう?」

「そう、ね……。大丈夫よね」

「来るぞ、ルネ」


 自分に言い聞かせるライムの呟きに、ミッキーの声が重なった。サイド・スクリーンを白い光芒が横切る。眩しさに息を呑むわたしの耳に、聞き慣れた声が届いた。


『小僧、聞えるか?』


 ラグだ。画像は送られて来ていなかったけれど、テレパシーではないということは、無事に 《ボイジャー》 号に戻れたのだろう。

 ルネは不敵に唇を歪めた。


「聴いてるぜ、おっさん」

『《アンヴァル》 で迎えに行く。援護しろ』

了解ラジャー。そう来なくっちゃ」


 ルネは嬉しそうに歯をむき出し、ゴーグルをかぶってメイン・スクリーンに向きなおった。


「結局、こうなるのか……」


 対照的に、ミッキーが溜め息混じりに呟く。わたしとライムは顔を見合わせた。どういうこと?

 その疑問はすぐに解明する。


「…………!」


 ぐわんと顎を殴られたような衝撃を受けて、わたしはクラクラした。船が急旋回したんだ、と気づく間もなく、血が脳内を逆流する。


「……ルネ」

「黙ってろ。舌噛むぞ!」


 ミッキーの抗議にかまわず、ルネはさらに 《ドン・スパイサー》 号を加速させた。

 ミッキーが苦虫を噛み潰した。きっと、わたしと同じことを考えたのだろう。


 しまった。皆川さんに先に修理してもらうんだった……。


 この程度の重力(G)はラウル星人にはどうってことないらしい。ライムは、きょとんとわたし達を見ている。わたしは彼女に苦笑してみせるだけで精一杯だった。

 メイン・スクリーンには、出て来たばかりの 《レッド・ムーン》 が大きく映っている。表面を覆う太陽光反射板が赤銅色に輝いている。

 ラグ達が月の裏に隠しておいた 《アンヴァル》 号で戻るまで、ルネは巡視艇を引きつけておくつもりらしい。《ドン・スパイサー》 号は次々と襲いかかる牽引ビームをきわどいところでくぐり抜け、赤い月を目指した。

 サイド・スクリーンに青い地球が映った。溜め息が出るほど美しい、水の惑星。


「来るぞ、ルネ。正面だ」

「見えてるよ!」


 ルネはいつの間にか咥えていた煙草を噛み潰すと、船を急上昇させた。宇宙空間に上下はないから、コックピットの床から天井へ向かってと言う方が正確かも。地球に見蕩れていたわたしは、今度は体じゅうの血液がざあっと足元へ下がる感覚に悲鳴を呑んだ。


 お願いだから……。


 言いかけて、スクリーンを過ぎる光の束に呼吸をとめた。そうして気づく。これまで、わたしは何度もトラブルに巻き込まれた。最初は悲鳴のあげどおしだったけれど、今は周囲の景色に見蕩れる余裕がある。それくらい、彼等を信じている。

 ルネは無言でコンソールに並ぶキーを操作している。ミッキーも手元に映る座標に集中していて、恐いくらい真剣だ。

 きっと、大丈夫。

 わたしは、不安そうなライムに微笑んでみせた。


『ルネ、ミッキー。大丈夫か?』


 妨害を受けているのだろう、ガーッという雑音の隙間から皆川さんの穏やかな声が聞こえ、わたし達はホッとした。

 ミッキーの声に安堵が交じる。


「鷹弘」

「おい、おっさん! いつまで逃げ回ればいい?」

『準備が出来た。そこに居ろ……』


 皆川さんの言葉が終るか終らないかのうちに――


「…………!」


 蒼白い光芒がメイン・スクリーンを横切り、サイド・スクリーンの中にいた巡視艇の一隻に命中した。音もなく片方の翼が砕け散ったので、わたし達は一斉に息を呑んだ。

 振り返ると、もう一方のサイド・スクリーンに、銀の月とならんで白い宇宙船が映っていた。


『ラグ!』


 皆川さんにとってもこの行為は意外だったらしい。相棒を呼ぶ声が狼狽している。

 ラグは冷静だ。


『さっさと来い、小僧。次が来る』


 それで、わたし達にも、巡視艇がどんどん増えてこちらを包囲しようとしていることが判った。牽制ではないエネルギー弾の光芒を眼にして、ルネは舌打ちした。


「相変わらず、マイペースなおっさんだ」

 ぼそりと呟き、船首を月へ向けた。


 こっちの地球連邦の巡視艇は、隊列を組んで 《アンヴァル》 号に対峙しているのだけれど、相手の大きさに躊躇っているらしい。

 《アンヴァル》 号は本当に大きな船だった。そして、美しい。流線型の船体は純白で、しみ一つない。船首から翼にかけて滑らかな金のラインが描かれている。

 《ボイジャー-E・L・U・O・Y》 号は神秘的な黒衣の貴婦人を、《アンヴァル》 号は夜空を飛ぶ白鳥を連想させた。どちらも設計したのはラグだから、デザインは彼の趣味なんだろう。二隻とも優雅な外見に似合わぬ戦闘能力を備えている。

 巡視艇の群れは 《アンヴァル》号に接近すると、彼女から一定の距離を置いて旋回を始めた。時折、思い出したように威嚇射撃をするけれど、エネルギー弾は船体の表面をすべり、傷つけることはなかった。多分シールドか何かをはっているのだろう。それでも、ラグは鬱陶しそうだった。


『早くしろ、小僧。置いて行くぞ』

「簡単に言うなよ。即興アドリブなんだぜ?」

『データを送る』

 皆川さんの声が交代した。


『船首の下だ。大丈夫か? ミッキー』

「やってみるよ」


 ミッキーは落ち着いていた。どうやら 《アンヴァル》 号の格納庫に 《ドン・スパイサー》 号を収容しようとしているらしい。彼の前のコンピューターが忙しく計算していた。

 宇宙空間では、動いている宇宙船が動いている宇宙船に収容されるのは大変なことらしい。普通は何度もリハーサルを行うので、ルネは苦情を言ったのだ――と、後でミッキーが教えてくれた。

 わたしとライムには二人の苦労が全く分からないでいるうちに、《ドン・スパイサー》 号は 《アンヴァル》 号の船首の下(白鳥なら胸の部分)に開いた穴の中に、すうっと入って停止した。真横から伸びたエア・チューブが船のメイン・ドアに接続する。軽い振動が伝わった。

 あまりの呆気なさに(わたしには、ミッキー達の苦労が解っていなかっただけなんだけど)ぼうっとしていると、ルネが立ち上がった。ゴーグルを外してしわがれた声を張り上げる。


「どこか判るか? ライ!」

「うん! こっち」


 そうだ、呆けている場合じゃない。駆け出す二人を、わたしは慌てて追いかけた。ミッキーが後からついて来る。


 エア・チューブを抜けて 《アンヴァル》 号の格納庫に入ったわたしは、一瞬、戸惑った。宇宙船内とは思えないほど広い。それからライムを追って左へ曲がり、通路へ駆け込んだ。

 窓のない幅五メートルほどの通路は、右へと緩やかなカーブを描いて伸び、その先に金属製のシャッターがあった。全体的に白く、明るい光に照らされている。前を走るライムの蒼い髪が、旗のように揺れている。量の多い長髪は、細い身体と緑色のワンピースを覆い隠していた。

 遠雷のような振動を感じながら上下に開いたシャッターを抜け、次に現れた左右に開くドアに駆け寄る。扉の向こうに吸い込まれそうな夜空を見つけ、わたしは息を呑んだ。

 皆が一斉に振り返る。皆川さんが呼んでくれた。


「ルネ、リサちゃん! ライム、ミッキー!」


 コクピットはとても広かった。入ったドアから同じ高さの床が数メートル続き、そこから先は階段のように少しずつ下へ下がっている。正面にパイロット・シートとコンソールが並び、側面には通信士用の席と各種モニターが並んでいる。

 わたし達を圧倒したのは、床から左右の壁に拡がり、天井の半ばまでおおう巨大なメイン・スクリーンだった。宇宙空間に飛び込んだ気持ちになる。そこに立っていたラグは、地球と 《レッド・ムーン》 を背景に、ひときわ長身に見えた。

 史織とルツさんもいる。


「無事だったようだな、小僧」


 闇を裂いて走るエネルギー弾の光芒が、わたし達を現実に戻した。

 皮肉めいたラグの声に、ルネは唇を歪めてパイロット・シートに駆け寄った。ミッキーも皆川さんの隣へ行く。

 ラグは平然とわたし達を眺めた。


「さて、どうする。宣戦布告をしたようなものだぞ」


 そう言って、ルツさんを顧みる。

 ルツさんは、史織の巨狼の肩に片手をのせ、静かに彼を見返した。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る