Part.4 Wednesday Evening Wanderers(4)


         4


 わたし達が『月うさぎ』のあるDIANAダイアナ・ CITYシティに戻ったのは、もう夜九時を過ぎた頃だった。遅くなってしまったので、フィーンはわたしを送ると言ってくれた。

 わたし達は疲れ果て、銀河連合のSPACEスペース・ CENTERセンターからリニア・トレインに乗り込んでダイアナ・ステーションに着くまで、一言も話をしなかった。

 実際にわたし達を 《REDレッド・ MOONムーン》 へ連れて行ってくれ、ミッキーを捜してくれたのは、ラグと皆川さんだ。しかし、収穫がなかったせいで、すっかり気持ちが沈んでいた。失望が、心と身体の両方を重くする。


 ミッキーは、どこへ行ってしまったのだろう?


 皆川さんとラグにさえ、彼を見つけられなかった。ミッキーのことだ、何があろうと、きっと自分で切り抜けて帰ってくる。そう皆川さんに励まされても、ラグが心当たりを捜すと約束してくれても、わたしの気持ちは晴れなかった。


 だって……ミッキー。


 彼の少女のように繊細な顔立ちを想った。澄んだ黒い瞳と、柔らかな黒髪を。目尻に浮かぶ、優しい笑い皺を。

 わたしは、胸の奥にぽっかり空いている空洞に気づいた。しみじみと想う。


 わたし、やっぱり彼が好きなんだわ……。


 ラグ・ド・グレーヴスは、文句なしに格好良い。時々何を考えているか判らないけれど、そこが魅力なんだとも思える。

 ルネの野性的な雰囲気も、常に前向きな意志の強さも素敵だけれど。

 いつも、わたしを見守ってくれている。揺るぎない優しさで導いてくれているのは、ミッキーだった。彼がいないと痛感できた。わたしは、こんなにも困惑してしまうのだと。

 パパが死んでしまったとき、ミッキーがいなければ、わたしにはどうすることも出来なかった。ルネと知り合えず、ラグにも会えず、ひょっとしたら、パパを殺した連中に殺されてしまっていたかもしれない。今だって。

 ううん。そんなことが問題なんじゃない。わたしには、よく解った。

 だって……ミッキー……。


 その時、わたしは忘れていた。ミッキーと約束したことを。《レッド・ムーン》 へは行かないと――何があっても危険には近づかないと約束していたことを、完全に忘れていた。


「僕――」

 列車が駅に着き、改札を抜けながらフィーンが話しかけてきたので、わたしは我に返った。

 フィーンは青みがかった黒髪をしきりに掻いていた。


「僕、明日は学校を休んで、先輩を探してみるよ」

「……そうしてくれる?」

「始業日にリサ達を送ってから、いなくなったんだろう? 目撃者がいるかもしれない」

「わたしも行くわ」


 フィーンは何か言いたそうにわたしを見たけれど、黙っていた。


 あとはタクシーで帰るだけなので、わたしはいいと言ったのだけれど、フィーンは『月うさぎ』まで送ると言い張った。それで、結局タクシー代を半分もつという約束で、送ってもらった。結果的には、それが良かった。

 『月うさぎ』に着いたわたし達は、玄関前のロータリーに黒い風圧推進自動車エア・カーが停まっているのをみつけた。珍しい。うちのホテルの利用客は、定期宇宙船の乗組員や貨物船の乗務員が殆どなので、自家用車を乗りつける人は多くない。宿泊客なら、車は駐車スペースに停めるだろう。

 フィーンも変だと思ったらしい。おばさんに事情を説明するためにタクシーを降りながら、首をひねった。その疑問は、すぐに解明する。


 ウサギ達がうごめくガラスケージの向こう、ラウンジに、一団の人影が立っていた。アニーさん、イリス、こちらに背を向けて座っているのは、安藤おばさん――ミッキーの養母で、このホテルの責任者。――と、マーサさん。傍らに洋二さんが居て、奥の人達と話をしている。そして、見慣れない人影は……。


「おかえりなさい、リサ。フィーン、いらっしゃい」

「ただいま、麻美ちゃん」


 フロントに座っていた麻美ちゃんが、わたし達に声をかけた。人影もこちらを振り返る。イリスが小走りにやってきた。


「リサ、おかえりなさい。来てくれたのね、フィーン。リサ、お客さんよ、貴女に」

「お客って……」


 イリスは不安そうだった。わたしは立ち上がる人影に視線を移し、密かに呼吸を止めた。


「貴女が、倫道小百合さんですか」


 おばさんの向かいがわに座っていた二人の男性のうち、若い方が先に声をかけて来た。掠れた声が、用心深く響く。ミッキーより少し年上だろうか。背は彼と同じくらいで、決して高い方ではない。明るい金髪をした、吊り目の男だった。顔は美丈夫と言ってもよかったけれど、如何せん、目つきが鋭すぎる。瞳はうすい水色をしていた。


「はじめまして、こんばんは。私は、連邦警察月州ARTEMISアルテミス支局捜査課の、アイザックです。倫道小百合さんですね?」

「そうですけれど……警察の方が、どうして?」

「捜索願を頂いたので、こちらから伺ったのです」


 さし出したIDカードには、彼の写真と身分が書かれていた。わたしはちらりと眺めただけだったけれど、フィーンは手にとって確認した。本物?

 しかし、わたしの関心は彼よりも、その隣の人物に引かれていた。


「安藤幹男君は、我われが保護しています。それで、是非、貴女に来て欲しいのです。捜査に協力してくれますね?」


 ああ、それで――。わたしは、何故おばさんやマーサさんが奇妙な表情をしているのかが判った。ミッキーの居場所が判ってホッとしているのだけれど、どうしたらいいか判らないのだ。

 わたしは、そっと息を吸い込んだ。


「彼は無事なんですか?」

「勿論です」


「……はじめまして、倫道さん」


 わたしの視線を受けたその人が、ようやく口を開いた。何故、この人が、ここにいるのだろう? 白髪混じりの栗色の髪と灰色の瞳を見上げて、わたしは考えた。

 何故?


「お父上には大変お世話になっていました。地球連邦所属、宇宙生物研究所シンク・タンクNo.42の責任者で、クラーク・ドウエルと言います」


 フィーンがすばやく青い眼をまばたかせた。

 さし出される掌を見下ろしながら、わたしは考えた。ああ、そうか。彼は、わたしが彼の顔を知っているとは知らないのね。


「……はじめまして」

「君は、フィーン・ライリフド君だね?」

「そうです」


『何故、貴方がここにいるんです? シンク・タンクNo.42は、どうなっているんです?』 そうフィーンが訊ねたがっているのは一目瞭然だった。それを目線で遮り、ドウエル教授は頷いた。


「君がいるなら、話は早い。先日、私の研究所から研究材料が奪われた事件を知っているだろう。その捜査を連邦警察とともに行っていたところ、安藤君を保護したのだ」

「…………」

「君達には、是非とも協力してもらいたい。どうだろう? 来てくれるかね?」


 フィーンはわたしを顧みた。わたしは、順番にみんなの顔を見た。


 不安そうなイリスとアニーさん、麻美ちゃん。――三人は、ドウエル教授を知っている。それで、当惑しているのがよく判った。ミッキーがこの人達のところにいる以上、不用意なことは言えない。

 おばさんとマーサさん、洋二さんの顔を、わたしは観た。皆がミッキーのことを心配している。突然降って来た手がかりに、藁をも掴む気持ちなのだ。けれど。

『罠だ』――胸の奥で、自分自身の警告を、わたしは聴いた。

 わたしのパパを殺したかもしれない人だ、ドウエル教授は。ラグ・ド・グレーヴスに会うのを邪魔されたことを、忘れてはいない。今だって、ラグとミッキーが必死に捜しているモノを盗んだのは、他ならぬ彼かもしれない。

 判っている。でも、


《どうする? リサ》


 フィーンの声が脳裡に響いた。初めてテレパシーで話し掛けて来てくれた声は、肉声よりも柔らかかった。

 マーサさんの青い瞳を見たとき、心は決まった。わたしは一歩前へ踏み出し、顔を上げた。


「行きます。わたしを、ミッキーのところへ連れて行って下さい」



         ◆◇



「困ったなあ、本当に。困った」


 《VOYAGERボイジャー―E・L・U・O・Y号》 のリビングで、鷹弘は、うろうろ歩き回っていた。右手の拳で左手の掌を叩きながら、ぐるぐる部屋の中をめぐる。その様子は、動物園の檻に閉じ込められた熊、そっくりだった。

 ラグ・ド・グレーヴスはソファーに長身を横たえ、煙草を咥えてそんな相棒を眺めている。リサとフィーンを帰らせてから、二人はずっとこの調子だった。

 鷹弘は、数十回目の溜め息をついて天を仰いだ。


「困った。あー、まったく。どうしたらいいんだ?」


 遂にラグが、うんざりして口を開いた。吸いかけの煙草を手にとり、身を起こす。


「うるさいぞ、タカヒロ。座っていろよ」

「そう言うなよ。じっとしていられない気分なんだから」

「心配しなくても、奴等にミッキーを殺すことは出来ない」


 鷹弘は足を止め、ぶすっと相棒を見下ろした。ラグは片方の膝をソファーの上に立てて坐り直す。


「……生きていればいいってもんでもないぞ」

「判っている。少しは落ち着いてくれ……。手がかりが無くて焦るのは判るが、連中の目的は、どうせ一つだ」

「…………」

「ドウエルがミッキーを人質にしているなら、向こうから何か言ってくるはずだ。俺達が動かなくとも、必ず、奴等の方から近づいて来る。それを待っていればいい」

「しかしなあ、ラグ」


 鷹弘は、苦い気持ちで相棒を見た。ラグはソファーの上で胡座を組み、自嘲気味に肩をすくめた。


「確かに、シンク・タンクNo.42の件は誤算だった。あそこまでごっそり持って行かれるとはな。《SHIOシオ》だけじゃない……《LENAレナ》 と 《MAOマオ》 も、だ。連中にまとめてかかられると、ちと、やっかいだな」

「厄介どころじゃないだろう、お前。…………?」


 言いかけた台詞を、鷹弘は呑んだ。不意に、全く場違いな声を聴いたように思ったのだ。

 ラグも聞き耳を立てる。一瞬、幻聴かと思われた。もう何年も、《ボイジャー号》 のESPシールドが破られたことはないのだ。

 しかし、今度は明らかに、綺羅綺羅きらきらしい女性の笑声が聞こえた。


《何をそんなに困っているの? 鷹弘ちゃん》

「ライム?」

「……あんたか」

《はあい、ラグ、お久しぶり。鷹弘ちゃん、元気そうね》


 艶やかなテレパシーは、彼女の肉声そのままに快く響いた。約五万キロの彼方から 《ボイジャー号》 のESPシールドを超えて届いた 《声》 に、鷹弘は目をまるくした。

 ラグは低く囁いた。


のか、Ladyレイディ.」

《そうよ。レーダーはごまかせても、あたしのテレパシーはごまかせないわ。……ひどいわ、ラグったら。せっかく来たのに、寄らずに帰っちゃうなんて》

「ああ、悪かった」


 拗ねる口調は生き生きとしていて、唇を尖らせるさまが目に浮かぶようだ。ラグは苦笑して応えた。


「急いでいたんだ。次は、ちゃんと寄る」

《うん。……ううん》

「どうした?」


 無邪気な声だ。――もの哀しい気持ちで、鷹弘はそれを聴いた。素直で、喜びも悲しみも、真っすぐ表にあらわれる。それは、確かに彼女の魅力だが……。

 躊躇う 《声》 に、ラグは優しく囁いた。幼子をあやす如く、


「子どもはもう、寝る時間だぞ」

《うん、ごめんなさい。……でも、あの。あのね、ラグ。鷹弘ちゃん》

「ん?」

《そっちに、行っちゃ駄目?》

「…………」


 ラグが黙りこむ。鷹弘は彼女の言葉の意味を理解し、半分呆れた。


「おい、ライム。自分の言っていることが判っているのか?」

《うん。あのね、出来ると思うの。シールドを外してくれたら。……ね。やってみちゃ、駄目? ラグ》

「……いいだろう」


 鷹弘は迷っていたが、ラグは不敵に唇を歪めた。ソファーの背中越しに後ろのカウンターに手を伸ばす。そこにあるキーのいくつかを、見ずに触れた。


「やってみろ。ただし、無理はするなよ」

《うん、ありがとう。待っててね》


 そう言って、《声》 は黙った。

 まさかと思っていた、鷹弘は――まさか。真空を越え、五万キロ離れた 《REDレッド・ MOONムーン》 から月への空間転位テレポーテイションなど、いくら 《VENAヴェナ》 でも出来るとは思えない。Aクラスのラウル星人超感覚能力者E S P E Rにも、容易に出来ることではない。

 しかし、顧みた相棒は至って真面目だった。珍しく真剣な表情で、リビングの中央を見詰めている。その頬に、ふてぶてしい苦笑が浮かぶ。


 ラグの視線の先を見遣った鷹弘は、リビングの中心に白い光の粒子がもやのごとく漂うのをみつけ、呼吸を止めた。それは急速に集まり、人の形をつくった。さすがに瞬時にと言うわけにはいかないが、充分速い方だろう。

 彼等の前で、靄はつよく輝いた。


 象牙色の肌を濃紺のドレスに包み、膝まである深海色の髪を揺らめかせ、彼女は出現した。細くくびれた腰に見事な曲線が描かれる。青白い残光をまとう髪を無造作にかきあげ、男達を見下ろした。

 地球色の瞳にラグを映し、彼女は微笑んだ。気の強そうな、それでいて無邪気な、誇りに満ちた微笑。滝のように流れる髪の上を、ライト・シーリングの光がなめらかにすべり落ちた。





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