Part.4 Wednesday Evening Wanderers(4)
4
わたし達が『月うさぎ』のある
わたし達は疲れ果て、銀河連合の
実際にわたし達を 《
ミッキーは、どこへ行ってしまったのだろう?
皆川さんとラグにさえ、彼を見つけられなかった。ミッキーのことだ、何があろうと、きっと自分で切り抜けて帰ってくる。そう皆川さんに励まされても、ラグが心当たりを捜すと約束してくれても、わたしの気持ちは晴れなかった。
だって……ミッキー。
彼の少女のように繊細な顔立ちを想った。澄んだ黒い瞳と、柔らかな黒髪を。目尻に浮かぶ、優しい笑い皺を。
わたしは、胸の奥にぽっかり空いている空洞に気づいた。しみじみと想う。
わたし、やっぱり彼が好きなんだわ……。
ラグ・ド・グレーヴスは、文句なしに格好良い。時々何を考えているか判らないけれど、そこが魅力なんだとも思える。
ルネの野性的な雰囲気も、常に前向きな意志の強さも素敵だけれど。
いつも、わたしを見守ってくれている。揺るぎない優しさで導いてくれているのは、ミッキーだった。彼がいないと痛感できた。わたしは、こんなにも困惑してしまうのだと。
パパが死んでしまったとき、ミッキーがいなければ、わたしにはどうすることも出来なかった。ルネと知り合えず、ラグにも会えず、ひょっとしたら、パパを殺した連中に殺されてしまっていたかもしれない。今だって。
ううん。そんなことが問題なんじゃない。わたしには、よく解った。
だって……ミッキー……。
その時、わたしは忘れていた。ミッキーと約束したことを。《レッド・ムーン》 へは行かないと――何があっても危険には近づかないと約束していたことを、完全に忘れていた。
「僕――」
列車が駅に着き、改札を抜けながらフィーンが話しかけてきたので、わたしは我に返った。
フィーンは青みがかった黒髪をしきりに掻いていた。
「僕、明日は学校を休んで、先輩を探してみるよ」
「……そうしてくれる?」
「始業日にリサ達を送ってから、いなくなったんだろう? 目撃者がいるかもしれない」
「わたしも行くわ」
フィーンは何か言いたそうにわたしを見たけれど、黙っていた。
あとはタクシーで帰るだけなので、わたしはいいと言ったのだけれど、フィーンは『月うさぎ』まで送ると言い張った。それで、結局タクシー代を半分もつという約束で、送ってもらった。結果的には、それが良かった。
『月うさぎ』に着いたわたし達は、玄関前のロータリーに黒い
フィーンも変だと思ったらしい。おばさんに事情を説明するためにタクシーを降りながら、首をひねった。その疑問は、すぐに解明する。
ウサギ達がうごめくガラスケージの向こう、ラウンジに、一団の人影が立っていた。アニーさん、イリス、こちらに背を向けて座っているのは、安藤おばさん――ミッキーの養母で、このホテルの責任者。――と、マーサさん。傍らに洋二さんが居て、奥の人達と話をしている。そして、見慣れない人影は……。
「おかえりなさい、リサ。フィーン、いらっしゃい」
「ただいま、麻美ちゃん」
フロントに座っていた麻美ちゃんが、わたし達に声をかけた。人影もこちらを振り返る。イリスが小走りにやってきた。
「リサ、おかえりなさい。来てくれたのね、フィーン。リサ、お客さんよ、貴女に」
「お客って……」
イリスは不安そうだった。わたしは立ち上がる人影に視線を移し、密かに呼吸を止めた。
「貴女が、倫道小百合さんですか」
おばさんの向かいがわに座っていた二人の男性のうち、若い方が先に声をかけて来た。掠れた声が、用心深く響く。ミッキーより少し年上だろうか。背は彼と同じくらいで、決して高い方ではない。明るい金髪をした、吊り目の男だった。顔は美丈夫と言ってもよかったけれど、如何せん、目つきが鋭すぎる。瞳はうすい水色をしていた。
「はじめまして、こんばんは。私は、連邦警察月州
「そうですけれど……警察の方が、どうして?」
「捜索願を頂いたので、こちらから伺ったのです」
さし出したIDカードには、彼の写真と身分が書かれていた。わたしはちらりと眺めただけだったけれど、フィーンは手にとって確認した。本物?
しかし、わたしの関心は彼よりも、その隣の人物に引かれていた。
「安藤幹男君は、我われが保護しています。それで、是非、貴女に来て欲しいのです。捜査に協力してくれますね?」
ああ、それで――。わたしは、何故おばさんやマーサさんが奇妙な表情をしているのかが判った。ミッキーの居場所が判ってホッとしているのだけれど、どうしたらいいか判らないのだ。
わたしは、そっと息を吸い込んだ。
「彼は無事なんですか?」
「勿論です」
「……はじめまして、倫道さん」
わたしの視線を受けたその人が、ようやく口を開いた。何故、この人が、ここにいるのだろう? 白髪混じりの栗色の髪と灰色の瞳を見上げて、わたしは考えた。
何故?
「お父上には大変お世話になっていました。地球連邦所属、宇宙生物研究所シンク・タンクNo.42の責任者で、クラーク・ドウエルと言います」
フィーンがすばやく青い眼をまばたかせた。
さし出される掌を見下ろしながら、わたしは考えた。ああ、そうか。彼は、わたしが彼の顔を知っているとは知らないのね。
「……はじめまして」
「君は、フィーン・ライリフド君だね?」
「そうです」
『何故、貴方がここにいるんです? シンク・タンクNo.42は、どうなっているんです?』 そうフィーンが訊ねたがっているのは一目瞭然だった。それを目線で遮り、ドウエル教授は頷いた。
「君がいるなら、話は早い。先日、私の研究所から研究材料が奪われた事件を知っているだろう。その捜査を連邦警察とともに行っていたところ、安藤君を保護したのだ」
「…………」
「君達には、是非とも協力してもらいたい。どうだろう? 来てくれるかね?」
フィーンはわたしを顧みた。わたしは、順番にみんなの顔を見た。
不安そうなイリスとアニーさん、麻美ちゃん。――三人は、ドウエル教授を知っている。それで、当惑しているのがよく判った。ミッキーがこの人達のところにいる以上、不用意なことは言えない。
おばさんとマーサさん、洋二さんの顔を、わたしは観た。皆がミッキーのことを心配している。突然降って来た手がかりに、藁をも掴む気持ちなのだ。けれど。
『罠だ』――胸の奥で、自分自身の警告を、わたしは聴いた。
わたしのパパを殺したかもしれない人だ、ドウエル教授は。ラグ・ド・グレーヴスに会うのを邪魔されたことを、忘れてはいない。今だって、ラグとミッキーが必死に捜しているモノを盗んだのは、他ならぬ彼かもしれない。
判っている。でも、
《どうする? リサ》
フィーンの声が脳裡に響いた。初めてテレパシーで話し掛けて来てくれた声は、肉声よりも柔らかかった。
マーサさんの青い瞳を見たとき、心は決まった。わたしは一歩前へ踏み出し、顔を上げた。
「行きます。わたしを、ミッキーのところへ連れて行って下さい」
◆◇
「困ったなあ、本当に。困った」
《
ラグ・ド・グレーヴスはソファーに長身を横たえ、煙草を咥えてそんな相棒を眺めている。リサとフィーンを帰らせてから、二人はずっとこの調子だった。
鷹弘は、数十回目の溜め息をついて天を仰いだ。
「困った。あー、まったく。どうしたらいいんだ?」
遂にラグが、うんざりして口を開いた。吸いかけの煙草を手にとり、身を起こす。
「うるさいぞ、タカヒロ。座っていろよ」
「そう言うなよ。じっとしていられない気分なんだから」
「心配しなくても、奴等にミッキーを殺すことは出来ない」
鷹弘は足を止め、ぶすっと相棒を見下ろした。ラグは片方の膝をソファーの上に立てて坐り直す。
「……生きていればいいってもんでもないぞ」
「判っている。少しは落ち着いてくれ……。手がかりが無くて焦るのは判るが、連中の目的は、どうせ一つだ」
「…………」
「ドウエルがミッキーを人質にしているなら、向こうから何か言ってくるはずだ。俺達が動かなくとも、必ず、奴等の方から近づいて来る。それを待っていればいい」
「しかしなあ、ラグ」
鷹弘は、苦い気持ちで相棒を見た。ラグはソファーの上で胡座を組み、自嘲気味に肩をすくめた。
「確かに、シンク・タンクNo.42の件は誤算だった。あそこまでごっそり持って行かれるとはな。《
「厄介どころじゃないだろう、お前。…………?」
言いかけた台詞を、鷹弘は呑んだ。不意に、全く場違いな声を聴いたように思ったのだ。
ラグも聞き耳を立てる。一瞬、幻聴かと思われた。もう何年も、《ボイジャー号》 のESPシールドが破られたことはないのだ。
しかし、今度は明らかに、
《何をそんなに困っているの? 鷹弘ちゃん》
「ライム?」
「……あんたか」
《はあい、ラグ、お久しぶり。鷹弘ちゃん、元気そうね》
艶やかなテレパシーは、彼女の肉声そのままに快く響いた。約五万キロの彼方から 《ボイジャー号》 のESPシールドを超えて届いた 《声》 に、鷹弘は目をまるくした。
ラグは低く囁いた。
「ついて来たのか、
《そうよ。レーダーはごまかせても、あたしのテレパシーはごまかせないわ。……ひどいわ、ラグったら。せっかく来たのに、寄らずに帰っちゃうなんて》
「ああ、悪かった」
拗ねる口調は生き生きとしていて、唇を尖らせるさまが目に浮かぶようだ。ラグは苦笑して応えた。
「急いでいたんだ。次は、ちゃんと寄る」
《うん。……ううん》
「どうした?」
無邪気な声だ。――もの哀しい気持ちで、鷹弘はそれを聴いた。素直で、喜びも悲しみも、真っすぐ表にあらわれる。それは、確かに彼女の魅力だが……。
躊躇う 《声》 に、ラグは優しく囁いた。幼子をあやす如く、
「子どもはもう、寝る時間だぞ」
《うん、ごめんなさい。……でも、あの。あのね、ラグ。鷹弘ちゃん》
「ん?」
《そっちに、行っちゃ駄目?》
「…………」
ラグが黙りこむ。鷹弘は彼女の言葉の意味を理解し、半分呆れた。
「おい、ライム。自分の言っていることが判っているのか?」
《うん。あのね、出来ると思うの。シールドを外してくれたら。……ね。やってみちゃ、駄目? ラグ》
「……いいだろう」
鷹弘は迷っていたが、ラグは不敵に唇を歪めた。ソファーの背中越しに後ろのカウンターに手を伸ばす。そこにあるキーのいくつかを、見ずに触れた。
「やってみろ。ただし、無理はするなよ」
《うん、ありがとう。待っててね》
そう言って、《声》 は黙った。
まさかと思っていた、鷹弘は――まさか。真空を越え、五万キロ離れた 《
しかし、顧みた相棒は至って真面目だった。珍しく真剣な表情で、リビングの中央を見詰めている。その頬に、ふてぶてしい苦笑が浮かぶ。
ラグの視線の先を見遣った鷹弘は、リビングの中心に白い光の粒子が
彼等の前で、靄はつよく輝いた。
象牙色の肌を濃紺のドレスに包み、膝まである深海色の髪を揺らめかせ、彼女は出現した。細くくびれた腰に見事な曲線が描かれる。青白い残光をまとう髪を無造作にかきあげ、男達を見下ろした。
地球色の瞳にラグを映し、彼女は微笑んだ。気の強そうな、それでいて無邪気な、誇りに満ちた微笑。滝のように流れる髪の上を、ライト・シーリングの光がなめらかにすべり落ちた。
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