Part.3 Tuesday Daytime Dreamers(4)


         4


 闇の中で、やわらかな黄金の光が、ぼんやり現れては消えていた。


《Hello……》


 それは一定の間隔を置いて夜空を照らし、船の行く先を示す灯台さながら規則正しく瞬いて、彼の脳髄を刺激した。正確には、深くしずんだ意識を。


《Hello……Do you listen to me ? ……Hello》


 光はノックする。何度も。諦めることなく脳裏を照らし、次第に強くなって覚醒を促した。


《Do you listen to my voice ?  ……Can you? ダレモ、イナイノカ?》


 男性とも女性ともつかない声が、呼びかける。明滅する光に同調して、近づいたり遠くなったりしていた。


《Hello ?……Hello――ドウした? 誰モ、イナイのか。……これダケ人間がいるノに、誰も、応えラレル者はイナイのか? ……Can you listen to me ?  Helloooooooooh ……》


 声は彗星のごとく長く尾を引いて彼の心を引っ掻いた。強くなる光は痛みを伴い、まなうらを刺激する。

 ミッキーはかたく瞼を閉じて光を遮断しようと試みた。『誰だ?』


『誰だ? そこにいるのは。おれは、ここにいるぞ?』

《Can you listen to my voice ? ……Hello……Does anybody listen to me ?  誰か、応えラレル者は、いないのか……?》


 しかし、彼の呼びかけが聴こえないかのように、声は繰り返した。

 ミッキーは苛々した。頭の芯がズキズキして、吐き気がする。体が鉛でも詰めたように重い。


『そっちこそ、聴こえないのか? おれは、ここに、いるぞ――』

《Hello……Listen to my voice……Can you?》



「……だから。乱暴なことはするなと言っただろうが」

「しかし、ですね」


 光のまたたきが速くなる。やがて、ざわざわと話し声が聴こえてきた。会話の波に呑まれ、《声》は徐々に遠ざかる。

 ミッキーはうめき、重い腕を動かして雑音を払いのけようとした。


『お前は、どこにいる? おれは、ここに、いるぞ……』


「こいつは合言葉を言ったんですよ。我われの仕事はここを護ることで、貴方がたの命令に従うことではありません」

「だからと言って、いきなり殴る奴があるか。死んでしまったら、どうするんだ?」

「これぐらいで、死んだりしませんよ」


 《声》はすっかり遠くなり、聴こえなくなった。意識を集中して聴き取ろうとしても、激しい頭痛がその努力をあざ嘲う。耐えきれず、ミッキーは頭を振った。


「ほら。お目覚めだ」


 今や瞼の裏いっぱいに溢れる光に我慢できなくなって眼を開けると、さらに強い光が瞳を射て、彼は唸った。視界に、こちらを見下ろしている二人の男の姿が入る。

 ミッキーは割れそうな頭痛に思わず頭を抱えようとして、両手首に嵌められた手錠の存在に気づいた。


「気がついた、ようだな」


 皮肉たっぷりな表情で見下ろすターナーの姿に、状況を思い出した。隣に、あの金髪の狐眼の男がいる。多分、自分を殴り倒したのは、こちらだろう。

 ターナーの後ろに、こちらを心配そうに見ているドウエル教授がいた。

 頭痛がひどく、吐き気がした。顔をしかめるミッキーに、ドウエル教授が静かに声をかけてきた。


「気分はどうだね。水は飲めそうか?」

「……ああ。いただければ、嬉しいね」


 話してみると喉は乾き声はかすれていた。己に対する腹立ちもあり、ミッキーの口調はかなり毒気を含んだものになった。

 ドウエル教授は動じずに、狐眼の男を促してグラスに水を持って来させた。


「どうも」


 ミッキーは一応礼を言い、手錠のかかった両手で受け取ると、ひとくち口に含んだ。むかむかして一度には飲めそうになかったが、冷たい水が喉を流れる感触は心地よかった。毒などが入っているかと疑う気持ちは無かった。殺すつもりなら、自分が気を失っている間にそうしただろう。


『OK. 連中には、おれを殺すつもりはないらしい。なら、打つ手はいくらでもある』


 ターナーは、そんな彼を忌々し気に見下ろしていた。

 人心地ついたミッキーは、部屋の中を見回して、先ほどの地下ホールではないと気がついた。外が見えないよう窓にブラインドが下りているところを観ると、地上らしい。部屋の広さは十二平方メートルほどだ。殺風景な床に直接置かれたソファーの上に、彼は乗せられていた。

 ターナーとドウエル教授以外にも、数人の男達がいた。みな若く、狐眼の男の仲間だろうと思われた。


「君に会えて光栄だよ、安藤あんどう君」


 ドウエル教授が、おもむろに口を開いた。穏やかな口調のなかに、皮肉っぽい響きをミッキーは聴き取った。


「安藤……幹男みきお君、だね。こんな形で再会するとは思っていなかったが」

「おれも光栄ですよ。ドウエル教授」


 今度は、声はかすれなかった。水の効果を確かめたミッキーは、軽く肩をすくめた。


「自分の石頭に感謝したまえ。アイザックが君の頭を割ってしまわなかったのは、本当に運が良かったのだから」


 ターナーが苦々しく言った。藍色の瞳は冷ややかだ。

 アイザックというのが、例の狐眼の男の名前らしい。ミッキーは、親しみをこめて彼にわらいかけた。


「へえ、アイザックくん。きみも幸運だったね。おれの頭が硬かったおかげで、殺人罪にならなくて済んだのだから」


 男は憎らし気に唸ったが、何も言わなかった。ターナーが呆れた口調になる。


「随分、落ち着いているじゃないか。自分の立場が判っているのか?」

「そのつもりだよ。あんた達こそ、どうしておれがここにいるのか、知りたくはないのかい?」


 のんびりと言い返すミッキーの台詞に、ターナー達はお互いの顔を見た。

 ドウエル教授の表情は変わらなかったが、ターナーの声に戸惑いが混じった。


「では。君は、地下で我われの話を立ち聞きしていたことを否定しないんだね?」

「否定する気はないよ。失礼はお詫びする。でも、決して無断で入ってきたわけじゃないんだから、もう少し丁寧に扱って欲しかったな」

「黙れ」


 ミッキーは我ながらこの冗談が気に入ったのだが、アイザックにとってはそうではなかったらしい。ぎりぎりと歯軋りをして、彼を睨みつけた。冷たいアイスブルーの瞳に、ミッキーは悠然と言い返した。


「そこのアイザックくんが、入っていいと言ってくれたんだ。だから、おれは入っただけだ」

「この男は、合言葉を使ったんだ」


 アイザックは怒りで頬を紅潮させた。ターナーとドウエル教授を振り返り、仲間達に弁解する。


「会っていきなり合図の言葉を使ったから、オレは通したんだ。オレ達の仕事は、それでいいはずだ」

「そう。アイザックくんは、悪くない」


 ミッキーは不敵に嗤った。


「可哀相だから、お払い箱になんてしないでやってくれ。もっとましな番犬はいくらでもいるだろうけどさ。……とにかく、彼のお陰で、おれはこうやって、教授にお目にかかる光栄に預かれたんだから」

「口の減らない野郎だな」


 視線で人が殺せるのなら、ミッキーは既に三回くらい死んでいただろう。睨み殺さんばかりに睨みつけるアイザックに、ミッキーは毒気たっぷりに言い返した。


「すぐに暴力をふるう誰かさんより、百倍もましだと思うけど」

「この……!」


「止めろ、アイザック」


 忍耐の短い緒が切れて殴りかかろうとしたアイザックを、ターナーがたしなめた。冷静な藍の瞳を、ミッキーはまっすぐ見返した。


「くだらない。挑発に乗るな」

「は。済みません」


「この男なら、《VENAヴェナ》の名を知っていたとしても不思議ではない……」


 ターナーの後ろから、ドウエル教授が言った。ミッキーを見詰めて、ひとりごちる。


「だが、それを合言葉に使うことまで知るはずはない。誰に聴いた? アイザックか、ターナー君か? それとも――」

 灰色の眸が細められ、アイザック以上の迫力が生まれた。かすれた声で囁く。

「ラグ・ド・グレーヴスか? あの男が、ここを知っているのか」

「生憎、それを教えて差し上げるわけにはいかないな」

「君に教えてもらおうとは思わないよ」


 憎しみを剥き出しにするアイザックよりも、表情を変えずに言う教授の方が、ミッキーは数倍も恐ろしいと感じた。彼らに自分を殺すつもりがないという確信が、揺らぐ程に。

 ごくん、と唾を飲む。

 ターナーも教授を顧みた。


「どうします? 教授。このまま帰すわけにはいかないでしょう」

「勿論、安藤君には、しばらくご滞在頂こう」

「殺す必要は?」


 アイザックが訊ねると、ドウエル教授はじっとミッキーを見詰めた。やがて何か思いついたらしく、ターナーの肩を叩いた。


「え? 何ですか?」

「…………」

「……はい。はい。ですが――」


 ミッキーからもアイザックからも顔をそむけて、二人は、ひそひそ相談を始めた。勿論、彼の身の振り方を検討しているのだろうが、内容は聞きとれず、ミッキーはひどく居心地の悪い思いを味わった。

 アイザックは、大人しく教授の指示を待っていた。


「判りました。やってみましょう」


 ようやく結論が出たらしい。ターナーがこう言って、ミッキーを顧みた。藍色の瞳は考えこんでいるようだ。

 ミッキーはドウエル教授を見上げ、努めて冷静に言った。


「今後の方針が決まりましたか」

「ああ。君には、しばらく我々と一緒にいてもらおう。ラグ・ド・グレーヴスの出方を観る必要がある」

「人質というわけですか?」

「それもある……。だが、君には、我われに協力してやってもらいたいことがある。その為に、今は殺さない」

「それは良かった」


 教授がさりげなく『今は』という言葉を使ったことを、ミッキーは聞き逃してはいなかった。

 用事のなくなったアイザックが、ターナーに促されて仲間とともに部屋を出る。ミッキーはそれを見送り、博士とターナーに向き直った。


「死ぬことに関しては、大いに異議がありますからね」

「何か言いたいことでもあるのか?」


 彼の図々しさに呆れたように、ターナーが言う。ミッキーはソファーの上で胡座を組み、澄まして言い返した。


「沢山ありますよ。だいたい貴方がたは、先刻から、おれにばかり質問しているじゃないですか。たまにはおれの質問に答えてくれたっていいでしょう?」

「ほう?」


 ドウエル教授は黙っていたが、ターナーの方が反応した。片方の眉を跳ね上げる。


「何が訊きたい」

「そうですね。まず――」


 ミッキーはいったん言葉を切り、乾いた唇を舐めた。ドウエル教授の灰色の瞳を見据え、ゆっくり言葉を吐き出した。


「誰が倫道りんどう教授を殺したのか、教えてくれませんか?」

「…………」

「おれ達は、教授を殺した犯人を探している。それすら教えてくれない相手に、協力するも何もないでしょう」


 ターナーはドウエル教授を顧みた。教授は無表情にミッキーを見下ろしていたが、おもむろに口を開いた。


「判っているのかね。君は、我われに宣戦布告しているも同然なのだよ?」

「そう思われるのであれば、どうぞ、ご自由に。これでも、おれは取引を申し出ているつもりなんですがね」

「取引、だと?」

「そうですよ」


 ターナーが圧しころした声で囁く。ミッキーは、もう一度唇を舐めた。


「おれは、《SHIOシオ》 の居場所を知っている。おれならば、ラグ・ド・グレーヴスより先に 《SHIO》 を見つけ出せる、と言ったら?」


 ターナーも、ドウエル教授も、しばらく何も言わなかった。


 勿論、ミッキーに 《SHIO》 の居場所など判るはずがなかった。《SHIO》 が何なのか見当もつかないが、彼らとラグの両方が探している対象だということは、ちょっと推理すれば判った。

 ラグの方は、ドウエル教授のところに 《SHIO》 がいると考えているらしいが。


 それで。時間を稼ぐ目的で口にしたのだが、彼らの反応はミッキーの予想を超えていた。

 ドウエル教授が、ややあって、こう訊いた。


「思い出したのか?」


 ミッキーの顔をまっすぐ見詰め、教授は呟くように訊ねた。傍らのターナーは、彫像のごとく動かない。

 教授は繰り返した。


「思い出したのか? まさか、能力ちからも? ……そんなはずはなかろう。《古老チーフ》 の封印が、そう簡単に解けるはずがない」

「…………」

「そうだ。思い出したのなら、が、仮にもそんなことを言い出すはずはない」


 二人称が『君』から『お前』に変わったことにも気づかない様子だった。

『何のことだ……』ミッキーは内心、舌打ちした。どうやら、何かまずいことを言ったらしい。しかし、それがどうまずいのか判らない。


 ターナーがドウエル教授の腕を引いた。


「教授」

「うむ。ターナー君……」


 そうして、またひそひそと相談する。ミッキーは眉間に皺を刻んだ。ぎりっと歯がきしむ。

 相談がまとまると、二人は改めて人質を見下ろした。


「その件に関しては検討の余地はあるが、今、君を自由にする条件にはならないな、安藤君」


 ミッキーは教授の灰色の瞳をじっと見詰め、考えを読み取ろうとしたが、無理だった。


「やはり、君にはしばらくここに居てもらわないといけないのだが、大人しくしていてくれるだろうか?」

「……いいですよ」


 後から考えてみれば、この時の教授の台詞にも充分な意味が含まれていたのだが、ミッキーには判らなかった。――故に、皮肉をこめて言い返した。


「またアイザックくんに殴られるのは、願い下げですからね」

「まあ、そういうことだ」


 教授は満足そうに頷き、踵を返した。ターナーを促す。


「行くぞ、ターナー君。あとで食事を届けさせる」


 二人は部屋を出て行き、木目調の重い扉が閉じられると、カギのかかる音がした。




 ミッキーは溜め息を呑んだ。


「参ったな」


 胡座を組んでいた脚を下ろし、ソファーに座りなおす。今更のように殴られた後頭部の痛みを感じ、そこを撫でようとしたミッキーは、手錠の存在を思い出して舌打ちした。

『さて。どうしよう?』

 心の中で呟いて、部屋の中を見渡す。ああは言ったが、一刻も早くリサのところへ帰った方がいいのは明らかだ。ラグ・ド・グレーヴスに報せなければならない。

 ドウエル教授に関する情報を、可能な限り集めておきたかった。何を考え、ここで何をしようとしているのか。あの仲間達は、何者なのか。そのうえで、作戦を練らなければならない……。


 袋小路に迷い込んだ窮屈さを感じて、ミッキーは立ち上がり、うろうろと歩き回った。アナログな腕時計は残っていたが、携帯電話ヴイ・フォンは没収されている。室内には、扉とブラインドの下りた窓、彼が座っていたソファー以外、何もなかった。カーペットも机も。

 窓に近づいてブラインドの隙間から外を覗くと、夜の底……はるか下方に、星明りに照らされた舗道があった。腕時計は既に夜の九時を過ぎている。

 ミッキーは溜め息をついて、再びソファーに腰を下ろした。もう、夕飯の仕度には間に合わない。リサとイリスを駅に迎えに行くことも出来なかった。皆がどれだけ心配しているだろうと考え、気持ちが沈んだ。


「…………?」


 突然、カギを開ける音が聞こえ、ミッキーは振り向いた。手錠のかかった両手を握り、身構える。教授にはああ言ったが、相手が狐眼のアイザックなら、二、三発お礼をしてやりたい。

 跳びかかる準備をしていたミッキーは、扉を開けた人物の姿に、眼をみはった。

 今日は驚かされることばかりだ……。見間違いではないと判断し、手を下ろす。

 扉を開け、夕食を載せたトレイを手に入ってきたのは、リサと同年齢くらいの女の子だった。





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