Part.3 Tuesday Daytime Dreamers(2)


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「全然、眠いどころじゃなかったわよね、リサ」

「う、うん」


 昼食後、わたし達――わたし、イリス、フィーンは皆川さんに案内され、なんと、ラグの宇宙船にお邪魔していた。

 今日は授業が半日なので、午後は自由。ラグがフィーンに『話がある』と言っていたのが気になり、ついて来てしまったのだ。

 スペース・センターの宇宙港は軍事用で、一般の乗客はおらず、閑散としていた。接舷していたラグの個人艇 《VOYAGERボイジャー―E・L・U・O・Y》 号は、流線型の美しい船体にドームの青白い光を反射して、やわらかく輝いていた。

 濃いブルーの絨毯に灰色のソファーと船外モニター。宇宙船の中とは思えない落ち着いたリビング・ルームに通されて、わたし達はちょっと緊張していた。

 ラグの講義は、講義と言うよりVR映画のようで、眠くなることは全く無かった。講義室の真中に3Dの映像を映し、実際に宇宙船が飛んでいる状況を使って説明する相対性理論は壮大で、迫力満点だった。

 ラグは隣のキッチンに向かいながら、人の悪い苦笑を浮かべた。


「それで。お嬢さん方、少しは理解出来たのか?」


 ぐっ。そ、それは――。


「眠らなかった、だけじゃあ駄目だろう。ちゃんと観ていないと」


 皆川さんが、にっこり微笑んで言う。――うん。それは、そうなんだけれどね……。わたしとイリスはしょんぼりと、お互いの顔を見た。


「コーヒーか紅茶しかないが、どっちがいい?」

「あ、紅茶で。って……ラグが淹れてくれるんですか?」

「他にいないだろう」


 恐縮するわたし達に、ラグはひょいと肩をすくめる。皆川さんは慣れているらしく、「いいから」と笑った。フィーンは落ち着かない様子で室内を見回している。

 皆川さんはソファーの背に寄りかかり、カウンターの向こうのラグに、のほほんと注文した。


「俺は、ウィスキーの方がいいな」

「勝手にやってろ」

「はいはい」


 ぶっきらぼうなラグの態度にも、皆川さんは動じる風はない。のそのそと隣の部屋へ行き、バーボンとグラスを手に戻って来た。

 ラグはまず、お皿にナッツと干し葡萄入りのクッキーを載せて出してくれた。それから両手で四つのカップを運び、テーブルに並べると、その中の一つを取ってカウンターに寄りかかった。


「いただきます」

「どうぞ。……悪いが、煙草を吸わせてもらうぞ」


 彼が座らないのは、わたし達に気を遣ってくれているかららしい。煙草に火を点ける動作を眺めながら、大きめの白いカップを口に運ぶと――あ。これ、フレーバー・ティーだわ――ベリーの甘い香りがした。

 皆川さんはソファーに座り、自分でグラスにバーボンを注いだ。

 わたし達が紅茶を飲んでひと息つくのを待って、ラグは訊いた。


「どこが解らないんだ?」

「え……あ。ええと――」


 地底から響くような低い声に、わたしとイリスは顔を見合わせた。それから、相対性理論のことだと気づく。わたしはカップを音を立てないようテーブルに置き、彼を見上げた。


「光速度不変の原則は解ったんですが、その後の……『宇宙船が光の速度に近づけば、その時間が遅れる』っていうのが、ちょっと」


『うん、うん、うん』と言うように、イリスは何度も頷いた。


「想像がつかないのよね。トリックにかかったみたいで」


 フィーンはまだ緊張しているらしく、硬い表情で黙っている。皆川さんは、わたし達を面白そうに眺めていた。

 ラグは無言で煙草を吹かした。気だるげに――仕様がない、と言う風に肩をすくめる。


「まあ、仕方がないか。ドームから出たことがないなら……。経験すれば、すぐに解るんだが」

「そうなんですか?」


「宇宙船に乗れば、解るよ」

 皆川さんが微笑んで言った。

「太陽系内で光速度航行をすることはないけれどね。ウラシマ効果とまではいかないけれど、数時間くらいのちょっとした時間の遅れなら、すぐ経験できるよ」

「はい……」


 ラグはこちらに横顔を向けている。わたしとイリスは、皆川さんに慰められて嘆息した。――はあ。やっぱり、前途多難かも。

 フィーンは頬をこわばらせてわたし達の会話を聴いている。今度は、イリスがラグに訊ねた。


「あれ、本当の話なんですか? レポートにカレーの作り方を書いたって」


 軽く片方の眉をもちあげるラグを、皆川さんが愉快そうに見遣った。


「お前、そんな話をしたのか?」

「ディック教授がだ。……ああ。あれは、まずかったな」

「まずかったって――」


 では、本当のことなのだ。わたしとフィーンは、お互いに呆れた表情を見た。

 わたしの代わりに、フィーンが言った。


「まさか、それで単位を落としたわけではないでしょう?」

「いや、減点だ。『アクを取る』のを書き忘れた」


 わたし、唖然。どういうレポートなの。


「ブラックホールについても、本当のことなんですか?」

「嘘をついても仕方がないだろう」


 ラグはぷかっと煙を吐き、つまらなそうに答えた。

 皆川さんが、くすくす笑いながら口を挿んできた。バーボンをストレートで飲みながら、


「こいつは昔からこうなんだよ、倫道ちゃん。火星の訓練校にいた頃も、確か文法のテストだったよなあ、ラグ。お前、穴埋め問題の解答に、全部 Strawberry って書いたんだっけ」

「Blueberry だ」


 フィーンの口が、ぽかんと開いた。ラグはサングラスを掛けなおした。


「あの時は冗談が通じなかった」

「……通じないのが普通じゃないですか?」

「そうか? 俺なら満点をつけるぞ」


 呆れ声で言ったフィーンだけれど、ラグに飄々と言い返され、絶句した。

 皆川さんが、愉快そうに笑って助け舟を出した。わたしとイリスに片目を閉じて見せてくれる。


「つまり、ラグのテストは簡単なんだ、フィーン。解けない問題があったら、答案を塗りつぶしてしまえばいい。満点がもらえるぞ。な? ラグ」

「……『真っ黒』では減点する。ガンマ線バーストくらいは描いてくれ」


 ラグの方は、いい加減この話題に飽きたらしい。コーヒーに口をつけ、フィーンを顎で示した。


「タカヒロ、本題に入れ。小僧に用があるのは、お前だろう」

「ああ、そうだった」


 皆川さんは柔和な態度を変えず、フィーンに向き直った。急に話を向けられて、フィーンは首を傾げた。

 皆川さんはバーボンのグラスをテーブルに置き、厚い掌をすり合わせた。


「あれから《REDレッド・ MOONムーン》 へ行ってみたんだ。お前が倒れた所に」


 フィーンは真顔になっていずまいを正した。ラグはカウンターに寄りかかり、カップを口に運んだ。


「どうでした?」

「駄目だった、全然。お前が言った通り、取り付く島もない」

「やっぱり」


 フィーンは悔しそうに唇を噛んだ。わたしも落胆する。事情を知らないイリスは、不思議そうにわたし達の顔を見比べた。


 《レッド・ムーン》 のシンク・タンク(研究所)No.42 の警備をしていたフィーンは、三日前、Psychoサイコ・ Attack アタックを受けて入院する羽目になった。その時の記憶を失っているのだ。あそこで何があったのか、知りたいのは当然だろう。

 しかも、フィーンに警備の依頼をしたのは、ラグ・ド・グレーヴスだ。

 わたしはラグを見遣ったけれど、彼は他人事のように平然と煙草を吸っていた。


 皆川さんは、穏やかな口調で続けた。


「あそこは地球連邦政府の管轄だからな。銀河連合の俺達が行っても、そう簡単には事情を説明してくれない……。けど、お前、ここで引き下がるつもりはないんだろ?」

「勿論ですよ」


 フィーンはやや慍然ムッと言い返した。背筋を伸ばす彼を、皆川さんは頼もしげに眺めた。

 ラグの表情はサングラスに隠れていて窺えない。皆川さんは相棒に視線を走らせてから、改めてフィーンを見た。


「そこで提案だが、お前、俺達を手伝ってくれないか? あのシンク・タンクで起こったことを調べたい」


 勝気な青の瞳が、ぱちぱちと瞬いた。


「僕が皆川先輩を、ですか? でも、先輩は緊急の任務があるんでしょう?」

「そうだ。俺もラグも、こいつにずっと関わっているわけにはいかない。だから、手を貸して欲しいんだ」

「面白そうね、リサ」


 イリスがわたしに耳打ちした。フィーンはわたし達を不安気に見遣り――やはり、この人が気になるらしい。ラグに面を向けた。

 ラグは、ぼそりと呟いた。


「俺が表立って動けば、騒ぎになる」

「そうでしょうね……」

「フィーンなら、俺達より身軽に動けるんだ。頼むよ」


 懇願する皆川さんを、フィーンは当惑気味に見返した。

 わたしはラグを振り向いた。


「ラグ」

「……何だ?」


 わたしに話し掛けられるとは思っていなかったらしい。意外そうに眼をみひらく彼に、わたしは訊いた。


「これって、昨夜ミッキーに話していたのと同じ事件ですよね?」

「……そうだ」


「ミッキー?」

「先輩に?」


 皆川さんとフィーンの声が重なる。Aクラス・パイロットは、面倒そうに頭を掻いた。


「お前、ミッキーに会いに行ったのか? ラグ」

「ああ」

「事件って、どういうことです?」


 皆川さんとフィーンに矢継ぎばやに質問され、ラグは黙り込んだ。長い前髪を掻き上げ、決まり悪そうに口ごもる。


「あの日、シンク・タンクNo.42 から盗まれたものがある。そいつを探して欲しいと頼みに行った」

「盗まれたものが、ある……」


 フィーンは、一語一語を噛み締めるように繰り返した。

 一方、皆川さんは、情けなさそうに嘆息した。


「ラグ、お前なァ。俺に断りもなく、どうしてそういうことをするんだよ。『月うさぎ』に行くなんて、聞いていないぞ」

「悪い……。《ウィル》 が戻っていたらやばいと思って」

「だからって、お前が行ったら逆効果だろうが。俺が確認するまで我慢できなかったのか?」

「ああ、悪い」


 皆川さんは、深く、深く溜め息をついた。首を横に振りながら、


「お前のは、全然、謝っているように聞こえないんだよ……」

「単に行き違っただけで、悪気があったわけじゃない。細かいことを気にするな、タカヒロ。禿げるぞ」

「余計なお世話だ」


 慍然と皆川さんは言い返したけれど、ラグは澄ましてコーヒーを口に運んだ。その様子を見て、わたしは思った。

 ラグに振り回されているのは、ミッキーだけじゃないのね……。


「お二人、仲がいいんですね」


 わたしが言うと、ラグはひょいと肩をすくめ、皆川さんはわらった。


「腐れ縁だよ、俺にとっては。ジュニア・スクールからだから、ミッキーより付き合いは長いんだ」

「そうなんですか」


「盗まれたものって、何ですか?」

 フィーンが口を開いた。挑戦的な視線を、ラグはさらりと受けとめた。

「生憎、それを教えるわけにはいかない」

「でも、『何もなかった』というのは嘘だったわけですね?」

「…………」

「判りました」


 フィーンは、ラグから皆川さんへ向き直った。青い瞳に強い意志の光が宿る。


「やってみます。Psychoサイコ・ Attackアタックを仕掛けられる奴が相手なら、僕の精神感応能力テレパシーが役に立つかもしれない」

「無理するなよ。俺たちも協力するからな」


 皆川さんは心配そうに付け加えた。フィーンは不敵に笑った。

 わたしは、再度ラグを見上げた。


「ラグ。わたしとミッキーも、フィーンと一緒に行動していいんでしょう? 同じ事件に関わるんだもの。協力していいですよね?」


 ラグはわらった。フッと、煙草の煙とともに息を抜いた。


「ご自由に」

「ミッキー先輩と一緒なら、僕も頼もしいよ」


 フィーンは微笑んで片手を差し出した。わたし達はお互いの手を取った。


「よろしく、リサ」

「こちらこそ」

「なんだか、つまんないなあ」


 握手を交していると、話に入れないイリスが不満げにこう言ったので、わたし達は笑った。





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