幸福トースト論

無頼 チャイ

幸福に向けた努力

 窓から暖かい陽光が入り、部屋全体をナパージュでも塗った見たいにキラキラと輝かせている。


 下から香しい白い煙が上がって、そろそろだなと思いつつ。

 隣で、俺と同様にその瞬間を待ちわびていた少女が、チンッ! という音と共に小さく飛び上がり、恐る恐るという風に小さなドアを開け、焼き上がったを慎重に、平皿に置いた。


「お師匠、焼き上がりました」


 固唾でも飲んだのか、か細い喉がごくりと動いた。

 俺は、熱々のそれを人差し指と親指で挟み、そっと口に運んだ。


 サクッ!


「うん、美味い」


 固い生地を噛みきり、再度それにかぶり付く。今度は柔らかな生地と豊かな香りが口内を満たして、スッーと鼻から心地よく抜ける。

 サクサクッ、という音は小気味良く伝わり、食べる人の五感を楽しませる。楽器でいうならカスタネットのようだ。


 出来たばかりだというのに、手元に残ったのは湯気を健気に昇らせる一欠片。まだ熱が残っているうちにと口に放り、あっという間に完食する。


「ご馳走さまでした」


 胸の前で合掌し、ひとときの幸福を味わえたことに感謝する。

 そっと目を薄く開けると、目の前に何かを期待する少女が、今か今かと俺の反応を待っていた。


「お師匠、どうでしたか……」


 白玉のように綺麗な眼を見開いて、俺の感想を待っている。


 見た目、味、香り、音、食感。それらを当てはめて、うんと頷いて答える。


「60点だな」


「へぇっ!?」


 少女は、ひょろひょろとたじろぐが、そんなのいつものこと。

 ハッ、と意識が戻ったようで、俺に駆け寄り、鼻息荒く質問攻め。


「も、問題は何ですか!」


「皿が冷たい。いつも言ってるけど料理だけに意識するな、皿やフォーク何かも、提供前には温めておくこと」


 ふにゅー、という効果音が出そうな程、前のめりでしぼんでいく麦野。


 やれやれ、トーストのことになるといつもこうだな。


 俺は皿を手に取って流し台に立ち、トーストの粉と食器を洗う。

 その後ろで、ぶつぶつと麦野が何か独り言を呟いているが、気にしないようにする。


 だって、彼女が考えてることなんていつも決まってる。


「麦野先輩、今回の焼きバタートースト理論て何ですか」


「それはもちろん、黄金の小麦畑を夕陽が照らすような、心を覆い尽くす幸福です!」


 カシャッ、と食器が音をたてる。


 黄金の小麦畑ねぇ~、バターをトーストに塗って焼いただけでそんな壮大な幸福が訪れるものなのか。

 ポケットから取り出したハンカチで手を拭きつつ振り返ると、麦野は再度俺に詰め寄った。


「で、で! お師匠は幸福になりましたか!」


「う、うん、なったよ。めちゃハッピー」


 60点の幸福だけど。


「なら、焼きバタートースト論は完成――」


 ピーンポーンパーンポーン、とチャイムが鳴り響いた。


 それは、お昼休みが終わった事を告げている。


「先輩、また明日ですね」


「う、うん。そうだね」


 俺たちは、料理準備室の戸を開け出ていった。



 そう、俺たち師弟は毎日料理準備室でこんなことをしている。

 それは、先輩で弟子である麦野 香穂という人の掲げる、幸福トースト論を借りて言うならこうだ。



 トーストとは、つまり、幸福なんです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る