間章
第41話 夏といえばの水着回(前編)
青い空。
白い雲。
ここ、どーこだ。
「……あちい」
正解は、よみうりランドのプールである。もう夏なのでプールとして営業しているのだ。
「東山せんぱーい! 波の時間ですよー!」
「今回はパスー」
間延びした応酬に、隣に座っていた東寺が意外そうな視線を向けてくる。
「なんだよ、」
「いや、なんか……俺もお前も変わっちまったなって」
俺の視線の先では、美人四人が水着姿ではしゃいでいた。半年前の俺に言ったらぶん殴られそうなシチュエーションだ。
「ほんと、変わっちまったな」
半年前まで嫌悪していた景色を、当然のように受け入れている自分がいる。それは東寺も同じようで、彼は正式に橋野さんと付き合い始めたのだ。
そんな彼と橋野、元リア充撲滅同盟メンバーでプールに来る日が来るとは。
それにしても、視力が上がりそう光景だ。
照り付ける日差しの下で、敵対していたはずの彼女たちは一緒に笑い合っている。もちろん、すぐに仲良くなったわけではない。最初はミササギも久瀬先輩も距離感がつかめなかったが、佐山が切り込んでからは早かった。元WLAのメンバーだし、橋野とも接点があったのだろう。
そんなわけで、彼女らは波のプール手前の波打ち際で遊んでいる。あのビーチボール、さっき俺が膨らませたやつじゃん。そう考えると、なんか興奮する。レベル上がってきたな俺。もとい俺が膨らませただけで、エアーコンプレッサー使ったから息は入っていないし口を付けたわけじゃないけど。
「いっきますよー! えいやッ!」
バシーン。
「ちょ、元バレー部は本気禁止だ!」
「ちぇー、お詫びにミササギ先輩の本気スパイク受けますよー」
「……よし。いいだろう。――ていッ!」
ぽてん。
全力で振りぬかれた腕は見事なフォームで空を切り、空中に取り残されたボールがミササギの後頭部に落下する。運動音痴だったのか。
後頭部をさすりながら体を起こすと、ミササギのパレオが揺れる。緩く婉曲した腰から視線を上げていくと、控えめながら形のいい胸がビキニに――。
「なあ、橋野ってかわいいよな」
「なんだ、のろけか」
いい所を邪魔された腹いせに、彼のつまんでいたじゃがりこを激辛カレー味にすり替えてやる。
「いや、客観的に見て」
「ミササギも可愛い」
「……お前、ほんっとうに変わったな……」
向こうの女子たちも状況が変わったらしく、佐山VS橋野、ミササギ、久瀬先輩のボス戦じみた雰囲気になっていた。ビーチボールを取り損ねれば負けなのだろうが、ミササギたちはボールと同時に水をかけるなど下劣な手を繰り出していた。さよならスポーツマンシップ。
「ぇいッ!」
ぱしっ。
「えーいっ」
ぽんっ。
「どりゃっ!」
ばしん。
とまあ、のどかな風景が広がっていた。三人からの集中砲火を難なく捌く佐山すごい。
「長谷部くーん、かき氷あったよー」
「お、マジか。ありがとう」
「あかねーマジすごいなー」
「それなー」
近くから聞き覚えのある声。ギャル二人と長谷部とやらだ。
佐山はもともと彼女らと遊んでいて、波のプールでだけこちらに合流している。ギャルたちの会話を聞いていると、佐山も無事に仲直り出来たのだと分かってちょっとだけほっとする。
「か、辛ッ⁉」
ノールックで激辛じゃがりこを咥えた東寺が悶えた。してやったり、と思いながらも申し訳ないので俺も食べる。うわ、これ長引く辛さだ。
「庸介くん、アクエリとスプライトどっちがいい?」
「アクエリ!」
いつの間にかビーチボール遊びの輪から外れてきた橋野が、クーラーボックスからアクエリを取り出して東寺に渡す。ついでに俺にもスプライトをくれた、橋野ってこんなやつだったけ。
「それにしても、意外だよ。東山がこんなふうに遊びに来るなんて思わなかった」
「いやー、どうしてだろうな」
橋野の疑問に、少しだけ思考を巡らせてみる。ほんと、どうしてだろうな。
・・・
時は二日前にさかのぼる。
リア充撲滅同盟解体から四日、ミササギ誘拐作戦の翌日のことである。
「……おい、なんだそれ」
「え、」
下校途中に立ち寄ったコンビニを出たところでミササギと出くわした。おそらくは右手に提げた袋を指して問うているのだろう。
「マンガ雑誌」
「嘘つけ破廉恥な」
「ええ……?」
一緒にマンガ雑誌を買った東寺を見ると、「エロ本と勘違いしてんじゃね」と口パクで伝えてきた。いや、最近はコンビニにエロ本ないんですよ。ジャンプSQ.ならあるけど。
「そんなに水着が見たいなら……その……みんなで、プールに……」
俯きがちに頬を赤らめるミササギ。尻すぼみになっていく言葉を聞いていると、ようやく彼女の真意を捉え始めた。
先ほど買ったマンガ雑誌を見ると、表紙を飾るのは水着グラビア。なるほどこれでミササギが勘違いしたわけだ。水着なら私の見ろよ、と。え、何それ可愛い。
別にグラビア目的で買ったわけではないのだが、それを言ってしまっては勿体ない。
「お、おう……じゃあ、行く?」
・・・
考えれば考えるほどわけが分からない。その場の流れで東寺を誘い、東寺が橋野を誘う。あとはまあ、成り行きだ。女子の水着見れたからどうでもいいか。
毎回思うんだが、水着と下着ってたいして変わらんのではないだろうか。あの薄い布の下にはユートピアが広がっていると考えると男子高校生なりに思うところがある。視界の端ではビキニのネーチャンと金髪の男が抱き合っていた。はいはい暑い暑い。
まあ、暑さで羞恥心も蒸発してるから、セーフなのかもな。
「……俺、ちょっと泳いでくるわ」
東寺と橋野の隣は、さすがに居心地が悪い。かといって女子たちが楽しそうにしている中に入っていくのも憚られる。アンパンマンプールのウォーターガンで遊ぼうかなとも思ったが、高校生一人だと虚しくなりそうだからやめた。
こういう時は、流されるのが一番である。
メインの波のプールから、少し離れたところにある流れるプールに向かう。遊園地の真横ということもあって、時折ジェットコースターに乗った人の悲鳴が響いてくる。二度と乗らないぞ。
「…………」
流れるプールは二番人気。人は少ないものの、いざプールに入ると思ったよりも身動きが取れない。そんなときは流れに身を委ねて悟りを開くのだ。
浮き輪がなくても人は浮く。カップルと家族連ればかりの中で精神的にも浮く。
流れに身を任せ、思考を捨てても勝手に移動している。ただ、そうしているだけではその流れが作り出す輪の中からは抜け出せない。進んでいると思っていても、また同じスタート地点に戻ってきてしまう。
流れるプール、即ち是人生なり。
流れに身を任せるのは心地いいが、思考放棄をしてはいけないのだ。
しかしまあ、カップルだらけである。
中学生からオッサンオバサンまで、幅広いカップルが同じ流れに流されながら楽しんでいる。多分、悟りを開きにここまで来たのは俺くらいだろう。
煩悩退散。ミササギの水着姿なんて想像してないヨ。
悟りを開きすぎて未来視の千里眼でも獲得したのか、緩く瞑目した瞼の裏にぼんやりと浮かび上がってくる像があった。無機質なキャンバスに、騒がしいチャラ男たち。サークルの勧誘でもしているのか、チラシを配っている。
意識を、ふと横切った桜の花弁に向けるとシーンが切り替わった。木のテーブルに焼き鳥が並び、あちこちで拍手やら叫び声やらが聞こえる。飲み会か。
そんで、ミササギの肩に手を置くチャラ男。
ミササギの頬は紅潮していて、目の前には空になったジョッキがあった。
カットチェンジ。薄暗い部屋の隅に、薄桃色の明かりが浮かんでいる。あー、ダメじゃん。未来進行形NTRだこれ。久しぶりに思い出したわこのワード。
慌てて水中から顔を出す。どうやら沈んでいたらしい。
NTRは「寝取られ」の略称だが、BSSというジャンルもあるらしい。意味は「僕が先に好きだったのに」である。要するに今みたいなシチュエーションだ。好きな子(付き合ってない)を取られてしまうシチュエーションのことを言う。悲しすぎる。
「…………戻るか」
周囲の流れに流される人生を体験した後は、荒波に揉まれる人生も経験しよう。
そんなわけで、人生のビッグウェーブに乗るべく波のプールへ向かう。
・・・
ステージの盛り上がりは最高潮を迎えていた。完全に波に乗り遅れたわけだ。
このプールでは、一時間に一回程度の放水パフォーマンスが行われる。爆音で流される夏の定番ソングに、睡蓮の花のようにオレオレ叫びながら濡れたまんまでイッちゃうのだ。
「……人、多いな」
お祭りなどの人混みは嫌いじゃないが、それとは比べられないくらいの混雑具合だ。
意を決して、人混みの中に進んでいく。水深が深くなるにつれて、人口密度も上がっていく。一歩ずつ人混みに埋もれていく様は、まるで多数派に迎合していくようで、どこか皮肉めいていた。
水はぬるくて、あの時ほど思考はクリアにならない。
不意に、視界の端で黒髪が揺れた。人混みに紛れてもなお美麗なその髪に視線が吸い寄せられて、やはりその主の姿に釘付けになった。
プールということもあってか、髪は束ねられてポニーテールになっている。いつもなら制服で隠されているなめらかな首筋のラインが見えて、かなり艶めかしい。
「な……ぎ?」
嫌な予感は当たらずとも遠からずだ。ウェーブがかった茶毛を掻きあげながら、ミササギと久瀬先輩、佐山に寄りつく男が三人。三人ともなんで髪を搔き上げてるんだろう。
んなことどうでもいい。
「え、めっちゃ美人じゃん⁉ 俺が同級生ならほっとかないのになぁ!」
「そういうの興味ないです」
「人生経験も大事だよ? どうよ、俺らと一緒に遊ばん?」
「そこの味噌ラーメン奢るぜ?」
「おいバカ野郎そこはクレープだろ」
「……」
なんとも頭の悪い会話である。ミササギは、久瀬先輩と佐山を背に隠すような形で一歩ずつ距離を取っていく。ナンパなんて平成初期の文化だと思っていたが、今でも残ってたのか。もはや語る化石である。
だが残念、最近の流行はオラオラ系でもロールキャベツでもないんだ。時代錯誤は淘汰されるのがこの現代。ナンパ失敗おめでとう。
人混みを割りながら進んで、ミササギの前に出る。
「……あ?」
「亮?」
「――俺の彼女たちなんで、下がってもらっていいですか?」
「へ、」
「あら?」
「はい⁉」
チャラ男たちだけでなくミササギたちも動揺を浮かべていた。そりゃそうだろう、「彼女たち」なんだから。
「お、おう……幸せにな?」
「えっと、行くか?」
「せやな」
変な人間を見たかのように退散していく。実際に変な言動なので合ってるけど。
時代錯誤が淘汰されるのを逆手に取った作戦は、成功とも失敗ともつかぬ形で終了した。時代はハーレムを許容しない。ならば自分がそれを行うことで、あえて距離を取らせることも可能。
相手を戸惑わせて女子を救出する神ムーブをした勇者には褒賞があってしかるべきだが、残念ながら向けられるのは「ダサっ」の凍てつくような視線。だからまだ傷ついて喜べるほどの上級者じゃないんだって。
「……えっと、うん。現実でやると、な?」
「男らしいのは嫌いじゃないけど……ね?」
「……あ、えっと、……ですよね!」
気遣いも時には相手を傷つける、よし、覚えたぞ。
「さいでっか……ま、いいんですけどね」
無事に彼女らに手を出す輩を排除したところで、波がなくなった。波が出るのはステージパフォーマンス中のみで、あとはただの浅瀬を模したプールだ。
やることが無くなったので踵を返して波打ち際に戻ることにする。人混みも解消されるだろうし、もう大丈夫だろう。
「んじゃ、俺はシートにいるから」
「……亮!」
背中に声が投げられて、反射的に振り向く。
「……その、……ありがとう」
「……………………おう」
普段はあまり礼を言われないから、返事がどこかぎこちなくなった。俺の応えにミササギは口の端を緩めると、胸の前で小さく手を振る。それに右手を上げて応えて、その場を去った。
(後編に続く)
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