形見の品

「蒼葉…」

 麻子の背を見送りながら、沙和が呟いた。

「麻子さんのお孫さん… 柚木さんの子供さんですか?」

 美緒が訊くと、沙和が小さくうなずいた。


「もうずいぶん前に… 亡くなった息子です。高校生の時に… その…自殺して…」

 沙和は悲しい笑みを口元に浮かべた。

「義母の中では、蒼葉は生きているんですね」

「すみません。私、余計な事を訊いてしまって。本当にごめんなさい」

 沙和は首を振り、中庭に目をやった。

 きれいに剪定せんていされた常緑樹が、晩秋のやわらかい光に青々と輝いている。


「義母は誰の世話にもならず、一人で気楽に生きていくと言って、ずっと一人で住んでたんです。蒼葉は義母によくなついて… あの頃は下の子供たちに手がかかって… あの子には寂しい思いをさせていたんでしょうね。しょっちゅう義母の家に行って… とても可愛がってもらってたんです」

 沙和の目に、うっすら涙が浮かんでいる。

「蒼葉が亡くなってから、義母の目が怖くて… 何となく責められてるような気がして。顔を合わせるのはお盆と正月くらいで、義母の家からは足が遠のいてました。ご近所の方から、少しおかしいよと言われて、様子を見に行っても全然気がつかなくて… 転んで骨折して初めて認知症だとわかったんです。義母のご近所では私、冷たい嫁って言われてて」

 沙和が自嘲気味に笑う。


「柚木さんは一生懸命やってらっしゃいますよ」

 美緒の手が自然に伸びて、沙和の背中に優しく当てられる。

「ここの見学や手続きだって、全部お一人でなさってたじゃないですか。ご近所に何言われたって、気にしないのが一番ですよ」

 美緒は怒気を含んで続ける。

「本当に他人は勝手なんです。手続きされるのがお嫁さんだったりすると、面倒見たくなくて追い出したいから、一生懸命頑張ってるとか言うんですから。事情も知らないで」

「そうそう、私もそれ言われてます」

 沙和が目を丸くして、少しだけ声を張った。

「何言われようと無視ですよ。勝手に言わせておくのが一番です」

 美緒が笑顔を向けると、沙和はありがとうと言って、ようやく和らいだ笑み浮かべた。


「あのマフラーは蒼葉くんの形見ですか?」

 美緒の問いに沙和はうなずく。

「あんな長いマフラー、買ってやった覚えはないし、誰かにもらったんですかね。もとはもっと濃いブルーだったんですけどね。ホント時間が経つのは早い…」

 沙和は再び中庭の緑に目をやった。

 沙和の悲し気な瞳に、子供を亡くした母親のやり切れない思いが滲む。

 六十代の沙和の息子が高校生ということは、すでに二十年ほど経っているのだろうか、美緒は、未だ癒えない深い心の傷を沙和の瞳に感じて、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


「何とかします」

 美緒が力を込めて言うと、その声に驚いたように沙和が振り向いた。

「私、何とかします。形見のマフラー、麻子さんから取り上げなくてもいいように、危険のないように考えてみます」

 沙和の顔がパッと明るくなり、唇がほころんだ。

「お願いします。何とかお願いします」

 沙和が深々と頭を下げる。


「柚木さん!」

 美緒が強めの口調で名を呼ぶと、沙和が驚いたように顔を上げた。

「柚木さんは、決して安くはない施設利用料を支払っているお客様なんですよ。もっと堂々としてらしてください」

 沙和は目をくりくりさせながら、戸惑い気味に美緒を見ている。

「大きな声では言えませんが、島津に何か言われても、開き直って言い返してくださいね」

「…例えば?」

「例えば… 『うちで面倒見れないからプロにお任せしているんです。何とかしてください。プロなんだから』て感じですかね」

「覚えておきます」

 沙和がニヤけた笑みを浮かべる。

「これ、実際にお客様から言われた言葉なんですけどね」

 美緒が首をすくめると、沙和がこぼれるような笑顔を見せた。

  

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