魔導具工房〈影猫堂〉のゆるやかな日々

ベニサンゴ

第1話「開店」

 迷宮のあるところに探索者はやってくる。

 探索者のあるところに商人がやってくる。

 迷宮が人を呼び、人が人々を呼ぶ。

 ぐるぐると廻る歯車は徐々に大きくなって勢いを増し、周囲に散らばる小さな部品を不思議な魅力で引き寄せる。

 複雑に絡み合い、歯車はやがて大きな町となる。

 カリュが拠点とする町ハーナライナもまた、小迷宮〈翡翠の奈落〉を中心に発展した迷宮都市の一つだった。


「ふわ、今日も一日がんばろーぅ」


 ある春の日和のこと。

 日ごとに暖かくなる朝の通りを歩きながら、灰狼族グルフのカリュは欠伸をかみ殺す。

 硬い魔獣の革の防具を着こみ、腰のベルトにポーチとナイフとランタンを提げた姿は、彼女が一端の探索者だと表している。

 しかし背中に背負う一対の双剣はまだ傷が少なく、作り自体も簡素なものであり、彼女が駆け出しであることを示す。


 カリュは未だ人影もまばらな大通りをふらふらと歩く。

 ここはハーナライナの白草通り。

 探索者を支える職人たちが店を構える、この町で最も活気のある場所の一つだ。

 今朝も多くの露店が軒を連ね、彼女のような出勤中の人々に明るく陽気な声を掛けている。


「うっふふ、遂に買っちゃったもんね。早めに稼いで元取らないと」


 そんな客寄せの声すら耳に届かないカリュの腰のベルトには、三本の細い瓶に入った赤い〈治癒の秘薬〉が提げられている。

 今日、彼女は念願の魔法薬を手に入れたのだった。

 魔法薬というのは、特殊な術を習得した薬師にのみ作成が可能な、驚くべき効能を持つ薬品の総称で、彼女が大枚をはたいて購入したこの〈治癒の秘薬〉は、もっとも一般的な物の一つである。


「二割引きセールの日を目指して迷宮でちまちま小鬼狩りを続けた甲斐があったってものだね!」


 口元を緩め小瓶に頬擦りしそうなほどに足取り軽く、灰色の毛並みのふさふさした尻尾を揺らしながら通りを歩く。

 駆け出し探索者である彼女にとっては、一般的な〈治癒の秘薬〉ですら高価でなかなか手が出ない代物なのだ。

 だが、いつ何時落命の危険に陥るかも分からない探索者にとって、瞬時に傷を癒やすことのできる魔法薬はまさに命綱だ。


「やぁ、これでもうちょっと下の階層にチャレンジしても……。あれ?」


 腰に感じる頼もしい重みを感じながら歩いていると、ふと彼女の鼻先を香ばしい匂いが掠める。灰狼族の敏感な嗅覚はほんの微かなそれをつかみ取り、本能的にその根源を探して顔を向ける。

 白草通りから枝分かれした細く薄暗い路地。その奥にひっそりと、真新しい看板を掲げる小さな店が見えた。


「あんなところにあんな店あったっけ?」


 毎日のようにこの通りへと足を運ぶカリュが初めて見る店だ。

 興味をそそられて、ふらりと近づく。

 色の濃い木材で組まれた、重厚な作りの店である。

 左右に大きなガラスの窓がはめ込まれ、中央に背の高いドアがある。

 元々あった空き家を改築したのか、石畳の白草通りに自然と溶け込む穏やかな雰囲気の店構えだ。


「えっと、〈影猫堂〉?」


 看板に共通語で彫られた文字を読み上げる。

 ポーチの置き看板には、達筆な共通語コモナで『ハーブティーと魔導具の店』と書かれている。

 窓からほのかにランプの明かりが漏れ出しているところを見るに、開店しているようだ。


「魔導具の店なんて、いつの間にできたんだろう」


 言いながら、カリュは好奇心が少しずつしぼんでいくのを感じていた。

 魔導具といえば、魔法薬よりも更に高い技術と希少な素材を必要とする強力な道具の総称だ。

 当然その価格もまた、今回彼女が多少の無理も承知で購入した〈治癒の秘薬〉とはくらべものにならないほどに跳ね上がる。

 要は、この店は一流の探索者や一部の魔導具愛好家の金持ちにしか用のない――少なくともカリュにとっては縁のない場所だった。


「はぁ、さっさと迷宮に潜って使った分稼がないと」


 くるりと踵を返し、カリュは店の前を立ち去ろうと足を上げる。

 その時、ドアベルの乾いた音が鳴り響いた。


「あれれ? お客さんですか? もしかしてファーストお客さんなんですか!?」


 続いて、カリュの後方足元から、可愛らしい声が届く。

 ころころとした、小鳥のさえずりのような声は、喜色を存分に含ませて放たれる。


「うわっ」


 唐突な展開に思わず声をあげて、カリュが振り向く。

 そこには、ふわふわとした白銀色があった。

 否、それはカリュの腰元ほどの身長の、小さな少女の頭である。

 視線を下げれば、肩口まで伸ばした銀髪の下にある、期待に満ちた青い瞳が真っ直ぐに射抜いてキラキラと光っている。

 彼女の白い陶器のような肌はほの赤く上気していた。

 店の制服らしい栗色の服を着た、小さな花のような女の子である。


「あ、あなたはここの人?」


 突如現れた可愛らしい少女に混乱しつつもカリュが尋ねると、彼女は白い歯をこぼして笑った。


「はい! わたしがこの〈影猫堂〉のオーナーですよっ!」


 オーナー。

 店主。

 あるじ。


 少し待てよとカリュの脳が思考を停止させた。

 この年端も行かぬ小さな児童がこの店のオーナー?

 徒弟としてどこかしらの工房や商館に奉公することはあるだろうが、店を任されるような立場にあるとは何事だろうか。

 今年で十六歳になるカリュの妹よりも更に若い少女だ。

 本当に、この子がオーナー?


 瞬時に巡る思考の果てに、カリュは一つの結論に至る。

 彼女はにっこりと笑みを浮かべてしゃがみ込んで、少女と視線を合わせた。


「店番偉いね、お嬢ちゃん。それで、お父さんはどこかな?」


 沈黙が場を支配する。

 きょとんとした彼女の表情に、カリュは少し違和感を覚え――


「……ふぇ」

「ふぇ?」

「ふぇえええええええん!!!!!」

「ええええええっ!???!?」


 決壊した濁流のような泣き声が響く。

 カリュの尻尾と耳がピンと立ち上がる。

 少女に泣かれたという事実が、カリュの頭を掻き乱した。

 真っ先に思いつく言葉は、通報。


「やばいやばいやばい!!」


 頭の中に警鐘が鳴り響く。

 探索者として迷宮へ潜る時以上の死の予感に、瞬時に周囲を見渡して人影がないことを確認する。

 早朝で良かったと心の底から安堵する。

 これがもう少し遅い時間ならば、瞬く間に衛士を呼ばれていたところだろう。


「し、仕方ない」


 未だ泣き叫ぶ少女を抱えて、カリュは素早く店内へと滑り込む。

 ここにも俊敏性を活かした流れるような戦術を得意とする彼女の、探索者として培った身のこなしが役に立つ。


「ほーら、泣かないで。ごめんねー、お姉さんちょっと勘違いしちゃったのー!」

「ふぇえええええええん!!!!!」

「ほ、ほら、飴ちゃんあげるっ! おいしいよー」

「ん。……ふぇえええええええん!!!!!」

「食べてから泣かないでぇぇえええ!!!」


 こっちまで泣きそうだとカリュは頭頂の三角の耳を倒し、目尻から雫を溢しかける。


「いらっしゃいませ、お客様。ようこそ〈影猫堂〉へ」


 そんな時、またも彼女の背後から、今度は落ち着いた女性の声がかかる。


「あ、お母さんですか。ごめんなさい娘さん、を――」


 振り向きざまに口を開いたカリュの言葉は、尻すぼみに途切れる。

 背後に立っていたのは少女ではない。

 だが、彼女の母親らしき存在でもなかった。


「ノアは放っておけばすぐに泣き止みますので、ご心配なく」


 抑揚のない声を発するのは、小さな黒猫だった。


「私はノアの友人、影妖精のリツと申します」


 以後お見知りおきを、と言って黒猫はひょこりと頭を下げた。


「ね……、猫が……喋った」

「ああ、私は今でこそ猫の姿を取っておりますが。まあ、別段どのような姿にこだわる必要も無いのです。とはいえ、そうですね、ノアを運ぶには少々不便ですか」


 言って、リツと名乗った黒猫は瞬時に姿を変える。


「うわっ」


 黒猫に代わり立っていたのは、長い黒髪をしたスレンダーな美女だった。

 落ち着いた色合いのメイド服に身を包み、整然とした表情で立っている。


「少しの間、あちらのテーブルでお待ちください。私は主人を少しアレするので」


 アレとは何だとは聞ける雰囲気ではなかった。

 呆然とカリュが立つ横を通りすぎ、リツは未だ嗚咽を上げる白い少女を抱えて店の奥へと引っ込んだ。


 目まぐるしい朝の騒乱。


「な、なんなの……?」


 一人取り残されたカリュは唖然とした表情で、力なく尻尾を振った。

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