ライブまで、あと二か月
真剣なまなざしで南森はスマホのとある記事を眺めていた。
【Vtuber『白銀 くじら』とは? 中の人は? 前世バレ】
「むむ……」
昼間、テーブルの上に覆いかぶさるように、なんとなく周りからは眠っているように見えるかもしれないが、腕と頭でスマホを隠しながら記事をスクロールしていく。
【衝撃の新人デビューをしたVtuber白銀くじら。彼女のMVは生放送一発撮りという奇抜なアイデアを用いて、個人勢にして視聴者数1650人を集める。今もなお再生数は伸びており、現段階で5万再生を超えている】
「……」
【そんな彼女の中の人を今回調べました。その正体は……】
「……(どきどき)」
【何の成果も得られませんでした】
「ふふ……」
MV撮影から、2日が経っていた。
南森は、現在謹慎処分を受けてまったりと自分の記事を眺めて悦に浸っていた。
なにせ、謹慎という重い代償を受けたものの、結果は伴ったのだ。彼女の四か月は、実ったのだ。
「んー! 嬉しいなぁ。でも知らなかった。記事になるときって、特にこっちに連絡来ないんだぁ。突然スターになった感じ」
加えて気になって仕方がないのが、エゴサ―チだ。
ツイッターを開いて、『白銀くじら』『白銀』『くじら』『新人V』なんぞで検索してみると、一部のアニメアイコンの人々がしきりに動画を広めてくれている。さらに話題に挙げてくれる沢山の人々もいる。
ちなみに。
南森が一番喜んだツイートは以下のものとなる。
『@shirogane_kujira 誰?』
「いや直接聞いてるのは草生えますって!」
南森が大いに笑っているが、後程それを聞いた繭崎はこの発言の何が面白いのか理解できなかった。また、草生えるという言葉も微妙に理解していなかった。
「……喫茶店で不審者がいると思ったら。何してるんだ?」
「あっ、……えへへ、不動さん。いやぁ、……えへへ」
「?」
不動はトレンチコートをまとい、いつものように右側の髪を全部部屋ピンでバックに止めて。毛先の跳ねた赤と黒のツートーンのスタイル。
目標となる人物。
大型新人Vtuberグループ「アイギス・レオ」のメンバー、ギリーの中の人。
不動瀬都那は、南森に会いに来た。
二人が出会ったライブ会場のあるCDショップに併設されている、吉祥寺の喫茶店に。
「そういえば、動画は……」
「見たよ。生放送は、運転中だったから見れなかったけれど。後で動画も見た。……すごいな」
「えへへ……不動さんに言われるとこう、照れちゃいますねぇ」
「馬鹿」
軽口を叩きながら、不動はコーヒーに口をつけた。
「まさかさ、ここで出会った子がVtuberになるなんて。夢にも思わなかったよ」
「そうですね。あ、不動さんもそうですもんね。確かに因果を感じると言いますか」
「……? あれ、言ったっけ?」
「うぐっふぅっ!?」
危うく南森の口に含んでいたキャラメルラテが飛び出しそうになる。
「あ、えーと、確かそう、言っていたような、言ってなかったような……あ、でも! 確か2か月後のライブ、私が共演者で……」
「? ……。は? え、はぁ!?」
飛び上がって驚いたのは不動だった。
「嘘、なんで。白銀くじらなんてリストに名前……あっ」
スマホを取り出して、ラインを開く。
茫然とした様子で、画面と南森に視線を交互に動かす。
「……あの、ゲジマユの人の」
「あ、繭崎さんをご存じなんですか?」
「知ってるも何も……嘘だろ」
(……? あれ、不動さん?)
南森の視線が、ゆっくりと下に向かっていく。
彼女の瞳、くちびる、首元、そして、胸元に視線を這わせる。
黒。
「えっ」
声が出てくる。
その黒は、以前見たことがある黒だ。
(うそ、なんで? え?)
南森は、普段から無意識に人の感情を見ないようにしていた。
一々人の感情を見つめていると、周囲のすべての感情が自分に向けられているような錯覚に陥るからだ。
だが、この時ばかりは目をそらせなくなっていた。
不動の胸元に浮かぶ感情の色が、絶望の色と同じだった。
かつて、星空のようにキラキラと輝いていた彼女の感情は、何も見えない暗い真っ黒に染められていた。
穴が、開いているようだった。
「……ねぇ。南森ちゃん」
「!? は、はい……」
怯えた声が出てしまう。南森はたらりと額に汗を流した。
何故か、その真っ暗を覗き込んでしまえば、自分もその黒に取り込まれてしまいそうで恐ろしかった。
声がこれ以上出ない。ごくりとつばを飲み込んだ。
「……。……、……っ、……。えー、と……。…………あのさ」
「……はい……」
「歌は、楽しいか?」
不動が発した言葉の意味が分からなかった。
歌は、楽しい。それは、かつて不動が教えてくれたことだったからだ。
「……歌は、楽しいです。でもそれ以上に、これからVtuber活動ができるって思うと……すごくうれしいです」
「Vtuberってさ」
不動の目が、初めて鋭くなった。
「何が楽しいんだ?」
「……ぇ」
ぞっとするほど、美しい瞳が、恨みを抱えた情念すら抱いているような気がした。
不動は口元を片側だけゆがめた。
いびつな笑顔だった。
「……仮面を被ってるだけの、臆病者じゃないか」
「――、そんなこと、ないです」
「いやそうさ。二次元の皮を被って……わが身可愛さに活動している……臆病者だよ」
「違います!」
南森はテーブルを叩いた。
周囲の空気も一瞬止まった気がした。
「私、その。今までずっと、その、えっと、Vtuberにあこがれて、でも出来なくて。みんなと手をつないで楽しめるVtuberにあこがれて、それで!」
「……静かにしとけって、他の客に迷惑かかる」
「私、本当は企業勢のオーディション受けるくらい好きだったんですVtuber! でも交通事故で入院しちゃうし、今の今まで出来なかった、でも今は、今は活動できるのがすごく楽しいんです、お願い、不動さん、私の好きを否定しない、で……?」
がちゃん。
不動のコーヒーカップが倒れた。
自分が倒してしまったのかと急いで拭こうとするが、不動が、さっきまで摘まんでいたカップの取っ手を探すように指先を動かした。
いや、勝手に動いていた。
彼女は、指先が真っ白になるほど震えていた。
「……不動、さん?」
彼女は立ち上がって、ふらふらと一歩、二歩下がっていく。
「……こうつう、じこ……?」
「おおーい、南森―。どこだー」
店の外から声が聞こえてきた。
繭崎だった。おそらく、迎えに来てくれたのだろう。
不動に会うためだけに、予定を調整してくれていたのだ。
時間が来てしまったのだろう。だが、南森にとってそんなことは今関係なかった。
「繭崎さん……」
「!?」
不動が勢いよく声の方向に首を向ける。
「お、いたいた……。……アイギス・レオの……っ!?」
繭崎の心が、一変した。
先ほどまで安心できるような緑色をしていたのに。
得体のしれない、赤黒い感情が一気に膨れ上がっていた。
繭崎も不動も、感情を表情には出していない。
南森にはそれが一層怖かった。
「……失礼、行くぞ。南森。練習の時間だ」
「ま、待って繭崎さん、今は、まだ」
「南森ちゃん」
いつの間にか、帰る準備をしている不動。
南森の視界には、彼女の表情は見えない。
ただ胸元にぽっかりと穴が開いているだけだ。
そんな彼女が、皮肉げに呟いた。
「事故った時、どんな気分だった? 加害者をぶん殴ってやろうとでも思ったか?」
「――どういうことだおい」
繭崎が怒り心頭の様子で不動に近寄ろうとする。
「ダメです! ダメです!! 不動さん、また、また今度!」
次は繭崎の腕を思いっきり引っ張りながら南森が繭崎を店から出す。
最後に見た不動の心の中は、先ほどよりも暗くて、孤独の中にいるようだった。
CDショップから、この一連の流れを見ていた男がいた。
男はギターを担いでおり、不動のことをずっと見つめていた。
「……Vtuber?」
ライブまで、あと二か月。
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