第46話 永遠
いつまでも続くと思っていた日常。
いつまでも続くと思っていた幸せ。
考えないようにしていた現実。
見えるものだけ見ていたかった真実。
日常の中の非日常。
現実の中の真実。
彼の体を目の前にして、私は思考の波へと
どうか神様……彼だけは連れ去らないでほしい。
どうか神様……彼のこれからを照らし続けてほしい。
しかし、現実は残酷だ。
私は彼が眠るベッドの隣で手を握り続けている。
「せんき……」
………………
…………
……
彼が倒れた日、私は急いでパパと
駆けつけたパパは彼の状態を見ると真剣な顔でみんなをリビングへと連れ出す。
今この家には幼馴染達とその家族が勢揃いしていた。
それは異様な光景で、いつかの病室を思い出す。
「パパ……」
「
パパは言葉が続かない。この沈黙を私は知っている。テレビやドラマでよく見る光景だ。演技でやっているだけと思った事もある。
だけど、目の前の現実はそれが真実だと告げているような……長い長い沈黙。
「おじさん……うそでしょ?」
口を開いたのはかおるだ。それに続くように……
「そうよあんなに元気だったのに」
「……千姫は最強なんだよ。ねぇ
咲葉もソラも取り乱しながらお父さんに詰め寄る。
「落ち着きなさいふたりとも!」
咲葉のお父さんが代表して場の空気を取り持つ。
「ごめんなさい」
「……」
そこでひとつ咳払いをしたパパは改めて重い口を開く。
この世界で一番聞きたくない言葉を。
「千姫くんは……もう長くない」
この人は何を言っているのだろう?
「今日、明日がヤマ場かもしれない」
私のお父さんは何を言っているのだろう?
さっきよりも長い沈黙がその場を支配する。
「……雪音」
誰かが私の名前を呼んだ気がした。
絶望するほどの現実を突きつけられても尚、私の意思は変わらない。
「……大丈夫! 必ずなんとかなる。千姫は私のお婿さんになる人だから」
この言葉を口にするだけで精一杯だった。
………………
…………
……
最期は自宅がいい。
誰かがそう言った。
目の前のベッドには浅い呼吸を繰り返す、彼の姿。その右側にはパートナーの桃太郎。私は反対側に寄り添い彼の手を握り続ける。
「……ゆき……ね」
寝たり起きたりをもう何度繰り返しているだろう。その度に彼は私の名前を口にする。
「……なぁにせんき」
優しく頬を撫でながら耳元を口へ持っていく。
「……すき……だよ」
「……うん、私もだいすき」
へへっと笑うと閉じていた瞳をゆっくりと持ち上げる。
「……ぼくは……幸せだったよ……ゆきね」
「……何言ってんの? これからもっと幸せになるんだよ」
どこかの空間に吸い込まれそうな細い声。その声はこれまでの事を思い返しているかのよう。
彼はわかっているのだ……未来が訪れないという事を。
「……ねぇ、ゆびわを……みせて」
呼吸の切れ間に声が漏れる。その意味を確かめるように私は彼に左手を差し出す。
「……キレイだ……まるで……ゆきねみたいに」
「……アイデアをくれたのは千姫でしょ?」
指輪のデザインを決めたあの頃。
私は彼の……彼は私の指輪を互いに
「……ねぇゆきね……知ってる?」
「……ん?」
私の左手を握り目を見開く彼。
「……桃の花の……花言葉」
藤園にデートに行ったあの日から……いや花が好きだと言ったあの日から……私は花について少しずつ調べている。
そして彼が言った花も……それは私の名前そのものだから。
「うん。知ってるよ……チャーミング、気立ての良さ、天下無敵……そして」
「「私はあなたのとりこ」」
「……ゆきね……ぼくはね」
「……うん」
「出会った時から……ゆきねのとりこなんだ」
力強く握りしめる手を決して離しはしない。
「……せんき……私もね」
「……うん」
「出会った時から……せんきのとりこだよ」
彼の瞼が震える。そこには一雫の優しさが広がる。
「桃太郎、私のカバン持ってきてくれる?」
「わん!」
ベッドから飛び降りてリビングに向かい、口に咥えて持ってくる。
「ありがとう桃太郎」
「くぅん」
私は桃太郎を撫でると主人の隣へ舞い戻る。
「……せんき、聞こえる?」
「…………あぁ」
微かな吐息が口から漏れる。もう時間がないかもしれない。だから私は鞄から勢いよくその紙を取り出す。
「せんき……私の誕生日にさ、指輪をくれたじゃない?」
「…………ぁ」
浅い呼吸を繰り返す彼は、必死に答えようと懸命に口を開く。
「せんき……今日はね……16才の誕生日なんだよ?」
「…………」
「だからね……これを持ってきたの」
「…………」
私は一枚の紙を彼の目の前に持っていく。そこに書かれているのは。
妻になる人
『
「ふふっ、ちょっと気が早いけど……もらってきちゃった」
「…………」
「……後はね、ここの夫になる人の所に……せん……せんきの……なまえ……を」
「…………」
彼の手から力が抜けていく。まぶたがゆっくりと沈んでいく。
まるでもう帰って来ない別れを告げるように。
「待ってっ! 逝かないでっ! 約束したじゃない。ずっと一緒にいるって……」
「あいしてるよ……ゆきね」
彼の最期の言葉は……あいしてる。
どれだけ願っても……彼の口が言葉を紡ぐ事はなく。
どれだけ願っても……彼の指が動く事はなく。
どれだけ願っても……彼の瞳が光を取り戻す事はない。
3月3日 15時33分
どれくらい時間が経っただろう。ほんの一瞬だったかもしれない……永遠だったかもしれない。
千姫が旅立ったという現実が受け入れられずに、私は左手を握り続ける。
瞳からは、もう出ないと思われた雪の雫が降りしきる。
「……わたしを……おいてかないで……」
彼の手を顔の前に持っていき果てる事のない雪が積もる。
不意にその雪が私と彼の誓いの結晶へと吸い込まれた。
……瞬間
(……あきらめないで)
誰かの声が聞こえる。優しくて暖かくて鈴のような声……
目をひらくと、私と彼の指にふたつの花が咲いていた。
……藤の花と桃の花
花達は輝きを増し、部屋全体を包み込む。
これから起こる"キセキ"を連想させるような……そんな眩い光。
光の波に攫われて白夜の中に私の意識は溶けてゆく。
次回【奇跡】
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